「ジャックポット」
ジジジ……「時間がねぇから手短に話すぞ! とりあえずその部屋の窓を割れ!」
ジジ……「その声は雀さんですか? 窓を割れって言われても──」
ガシャーン!
返答より早く、耳を裂くような破壊音が背後で炸裂した。
振り返ると、足にシーツを雑に巻いた一鬼さんが、勢いよく蹴りを叩き込んで窓ガラスを粉砕していた。
「……次は?」
無垢な表情で問いかけてくる。
判断が早い。
どこかのひょっとこもお喜びだろう。
ジジジ……
「上出来だ。次は……もう少し左に寄れ」
?
わけがわからないまま、言われるままに半歩だけ窓際で位置をずらす。
その刹那──
シュコン!
鋭い空気の裂ける音とともに、さっきまで僕の頭があった位置を、何かが弾丸のように通過した。
振り返ると、壁に突き刺さった金属製の矢が一本、震えながら深々と食い込んでいた。
「これは……矢?」
近づくとそれは、まるで戦闘用ボウガンで射出されたような硬質の矢だった。
しかもその先端には細い釣り糸が括りつけられている。
ジジジ……「矢じりに釣り糸が結んである。たぐればロープに繋がってるから、部屋の柱にでも結べ。……あとはわかるな?」
言われるがままたぐると、釣り糸の先から強靭なロープが現れた。すぐさま室内の柱に結びつけると、テンションがかかりロープがピンと張った。
ジジ……「……滑り降りろってことですか」
割れた窓から顔を出すと、ロープは真向かいのビルの中階へと伸びていた。傾斜は急で、地面までは遥か下。
逃げ出した避難民たちが米粒ほどに見え、その奥にはゾンビの群れが蠢いている。
風が強く、顔を出しただけで頬に鋭い冷気が突き刺さった。
ジジジ……「カラビナは持ってるだろ? 電柱の上を歩くようなもんだ。だ〜いじょうぶ。滑り落ちた先にクッション用意しといたからよ」
軽い口調のくせに、その采配は的確だ。
でも、……なんか信用できないんだよなこの人。
「実里は俺が背負う」
言う間に、気絶した御法川を器用に背負い上げる一鬼さん。
その手はやや雑ながらも迷いは一切ない。
「じゃあ僕はハルエちゃんと行きます。まず一鬼さんたちが降りてください」
「いや、まずはお前たちが──」
「言い争っている暇はありません。けが人が優先です。それに、いざというとき僕らはエゴを使えますからね」
有無を言わさずロープとカラビナを結束しながら告げると、一鬼さんは口を閉じた。次の瞬間、建物全体が大きく軋むように揺れた。
「……先に行く。必ず来いよ」
「もちろんです」
音もなくカラビナを滑らせ、一鬼さんがまるで舞うように外へ消えていく。その姿は一瞬でビルの谷間に吸い込まれた。
「……歌う?」
背中越しに聞こえた小さな声。
ハルエちゃんの息は荒く、細い指が僕の肩をきゅっと掴んでいた。長期の昏睡から目覚め、強力なエゴを使い、限界に近いのだろう。
「いや、これくらい大丈夫だよ。……しっかりつかまっててね」
カラビナを握る手が湿っている。緊張で汗がにじんでいた。
壊れた窓際に立ち、下を見下ろす。
息をのむ光景だった。
見渡す限り、崩壊しかけた世界と、その下で生きようともがく小さな人々。
──やるしかない。
心臓が鳴る。
耳が、それしか聞こえなくなった。
風が唸り、割れた硝子の縁が足元で揺れる。
カラビナの鉄が軋み、小さな振動が掌に伝わる。
「……最近こんなのばっかりだな」
苦笑を浮かべ、片足を宙に出す。
その瞬間──
足元が崩れる感覚とともに、重力が消えた。
身体が空を裂くように滑り出す。
次の着地が、“今”を越えるための一歩になると信じて。




