終わった世界の生き残り方2
「……暑かったですか?」
「ふふっ、案外冷静なんだね。ちょっと残念」
杏子さんは口元に笑みを浮かべ、這うように手を伸ばす。その指先が、僕の太ももをなぞるように滑った。
「……ねぇ、依代君はさ、こういうの初めて?」
手はそのままベルトへ伸び、カチャカチャと慣れた手つきで金具を外しにかかる。
「……やめてください」
その手を押さえ、外れかかったベルトを締め直した。
「あはっ、もしかして緊張してる? 大丈夫だよ。お姉さんに任せてくれたら──」
「いえ、そういうことではなくて」
「かわいい……。いいから、そのままじっとしてて……」
杏子さんは押さえた手から逃れるように身を寄せ、僕の耳元へ唇を近づけた。かすかに乱れた息が耳たぶをかすめ、そのまま僕の膝の上へ腰を下ろす。
先ほど腰で感じた時よりも、熱くなった体温が服越しに伝わってきた。
「こんな世界なんだから、楽しめる時に楽しまないと損だよ?」
「わからなくもないですが、やめてください、というのは」
そこで言葉を切る。
「そこで木刀を振りかぶってるあなたに対してですよ」
膝の上にあった杏子さんの身体が強張り、背後で短く息を呑む音がした。
「美香っ! いいからそのままやりな!!」
杏子さんが僕の胴へ両腕を回し、声を張り上げる。
「分かってる!」
背後から慌てた声が返り、ほとんど同時に木刀が振り下ろされた。
杏子さんの肩を押し、膝の上から横へ崩しながら、反対側へ身を滑らせる。直後、さっきまで頭のあった位置を木刀が叩いた。
「ちっ!!」
杏子さんはベッドへ手をつくなり身を起こし、枕元へ回り込む。
「……はぁー、マジめんどくさっ。黙って殴られとけよ」
先ほどまでの妖艶な態度とはまるで違う、低く気だるげな声だった。
「なに? なんで分かったの?」
冷えた目を向けながら、杏子さんはじりじりと枕側へ下がっていく。
「水もない人から、石鹸の匂いはしません」
杏子さんの目が細くなる。
「それと、消えたテレビはよく映りますよ」
「……ちっ、これだから新しい部屋は」
はぁ、とため息をつき、杏子さんは頭をぽりぽりと掻いた。
「……童貞くさいガキかと思ったら、案外鋭いじゃない」
そう言うと枕の下へ手を差し込み、刃渡りの長いサバイバルナイフを取り出した。
「できれば先に腕の一本でもへし折っておきたかったけど……しょうがないか」
切っ先をこちらへ向けながら、杏子さんは薄く笑う。
「ねぇ、チェリー君。大人しくそのリュックの中身、全部渡してくれない? 痛い思いしたくないでしょ?」
「全部ですか……随分と欲張りですね」
「はっ、こんな世界で欲を抑えてどうすんのよ!?」
背後で、美香さんがくすくすと笑った。
「ねぇねぇ杏子、ちょっと味見くらいしてからでもいいんじゃなぁい?」
「あんた、ほんと童貞好きよね」
杏子さんの声は冷たく、感情が抜け落ちていた。
「……さっさとリュック漁って」
「あいさー♫」
美香さんはリュックを拾い上げ、上機嫌で中を探る。
しかし、
「……ちょっと、どういうことよ」
次の瞬間、その顔が歪んだ。
「何も入ってないじゃん!? 水は!? 食べ物は!?」
空のリュックが、ばさりと床へ叩きつけられる。
「……どういうこと?」
杏子さんが冷ややかな目を向けてくる。
「どういうこと、とはどういうことでしょう?」
床でくたっと潰れたリュックを眺めながら、淡々と答えた。
「馬鹿にしてんじゃねぇよ! どこに隠した!?」
苛立ちを隠さず声を荒げる杏子さんの手で、ナイフの刃が薄暗い室内の光を弾く。
「……必要な物なら、入っていますよ」
「嘘ついてんじゃねぇよ! さっさと答えないと、その指、片っ端から切り落とすぞ!!」
ドスッ、と目の前の床へナイフが突き立ち、切っ先が床板へ食い込んだ。
「……だから、この中ですよ」
身体を起こし、床のリュックへ右手を差し入れる。
人差し指の銀色の指輪が、布の縁を擦った。
「乾パンの欠片でも出して『入ってます』とか言うつもり? ふざけんな!!」
杏子さんがナイフの柄を握り直す。
「……まさか。でも、一つ訂正があります」
何もないはずの底へ指先が沈み、ずるりと、リュックの倍はある真っ黒なボウガンを引き出す。
「誰が童貞って言いました?」




