炎上
「急げ! 怪我人や子どもを優先して倉庫に避難させろ!」
焼けた鉄の匂いが鼻を刺す中、静馬が怒号を飛ばす。火の粉が巻き上がり、ただでさえ騒然とした空気を、さらに熱と恐怖で包み込んでいく。
何の前触れもなく起きた爆発。
それはIKEAの正面入り口を吹き飛ばし、灼熱の炎が爆音とともに建物の奥へと舐め広がっていく。
燃え広がる火は空気を喰い尽くし、壁が爆ぜ、天井がきしみ、子どもたちの叫びと悲鳴が入り交じる。
「ひっあぁああ!! やめろ! 来るなぁ!!!!」
炎だけではなかった。
爆音に釣られたかのように、外からゾンビの群れがなだれ込んできた。
瓦礫の隙間をすり抜けるように、割れたガラスを踏み越えて。それはもはや“殺到”ではなく、“洪水”だった。
入り口付近で爆発に巻き込まれた者たちは、火と牙の両方に喰われ、すでにほとんどが肉の塊に変わっていた。
「はーっ! この腐れ野郎共がぁ!!」
「笑麻! 前に出過ぎるな!」
怒号を浴びながらも、笑麻は角材を振るって前線を守る。
だが、守りきれるわけがない。
波のように押し寄せるゾンビに、武器も体力も焼け石に水だった。
「!! まずい! 上へはいかせるな!」
静馬がバットを構えながら叫ぶ。
視線の先、何体かのゾンビが進路を変え、2階への階段を這い登っている。そこには、避難が間に合わなかった子どもたちがいた。
「笑麻! なんとかしろ!」
「ぐぬ……ぎぃ!! わかってらぁ!!」
声は出る。だが、足が動かない。武器を振るう手が、間に合わない。
二階の吹き抜けから階下を覗いていたひまりが、血まみれの亡者と視線を合わせた瞬間、ぴたりと動きを止めた。白くなった唇が震える。喉が閉じ、悲鳴さえ出ない。
「くそっ! やめろおぉ!! 逃げるんだ!!!」
静馬の怒声が響くが、無情にもゾンビの咆哮がそれをかき消す。
少女はもう、目を閉じることしかできなかった――。
「「「ゔぁあぁあぁああああぁうああああ!!」」」
「《夜明障壁!!》」
張り詰めた空気を引き裂くように、鋭い叫びが響いた。
ゾンビの先頭が飛びかかる刹那、少女の目前に不可視の壁が出現する。
パァン!
という激しい破裂音。
突撃したゾンビが叩きつけられた瞬間、後続が追突し、まるで玉突き事故のように階段が屍で埋まっていく。
その前に――深夜が立っていた。
震える膝で、それでも崩れないように踏ん張って。片手をまっすぐ突き出して、壁を維持している。
「……深夜……!」
誰かの呟きがこぼれる。その背に、強烈な風が巻き起こった。
「一鬼さん!」
「――上出来だ」
広場を突っ切ってきた影が、手すりを乗り越え、2階から地上へ一直線に飛び降りた。
総大将、一鬼。
体を傾けることなく、着地の衝撃を殺すことなく、そのまま突進していく。眼前のゾンビをまるで人形のように蹴散らしながら、砲弾のような突進が続く。
ズドン!!
蹴り飛ばされたゾンビが宙を舞い、地面に叩きつけられ、骨が砕ける音を響かせた。
「へへっ! 大将! 遅かったじゃねぇですか!」
笑麻が肩で息をしながら、割れた棚の後ろから顔を出す。
「ばぁか。おめぇらが早すぎんだよ。……よく凌いだ」
咆哮と爆ぜる炎の中、一鬼の声だけがなぜか澄んでいた。
「一鬼さん! すみません……! 突然のことでかなり犠牲者をだしてしまいました……!」
駆け寄ってきた静馬の目には、悔しさと無力感がにじんでいた。
「静馬、泣いてる暇はねぇ。……この数、流石に殺りきれねぇぞ。時間は俺が稼ぐ」
それだけ言い、炎が吹き上がる正面へ走り出す。その背を、静馬がほんの一瞬だけ見つめると、自分の頬を張った。
「笑麻! お前の班は一鬼さんを援護! 残りは避難誘導と二階の救出に分かれろ! 落ち着いて動け、絶対に取りこぼすな!」
どん底まで落ちかけていた士気が、一鬼の登場と静馬の咆哮で息を吹き返す。
だが現実は容赦しない。
炎の中、ゾンビの群れはさらに膨れ上がり、逃げ遅れた者を喰らい、新たな屍となって地獄の舞台に加わっていく。
ホームが、まさに地獄と化していた。




