異世界にて10
沢田石礫は、森へ入ってすぐの開けた場所で足を止めた。
木々の切れ間から淡い光が差し込んでいる。
「……あいつらどうなったかな。転移が現地人による召喚なら接触くらいはしてる頃だろうけど」
転移の際のことを思えば、現実での死亡による転生の可能性は低い。
いまのところ神や悪魔による接触もないとすれば、一番考えられるのは現地人による召喚だ。
だが現地人が善良である保証なんてない。
場合によっては隷属させられ、奴隷のような扱いを受けるパターンもある。
そうでなくてもわざわざ異世界から人間を召喚しようなんて状況は厄介毎になるパターンしか考えられない。
結果的に有りよりのイベントの可能性もあるが、リスクを冒す必要はない。
なにせ僕は誰よりも知識と情報があるのだから。
……沢田石にとって異世界ものの主人公たちというのは、大した努力もせずに与えられた力を振るい、文明も知識も劣る相手を圧倒し、得意げになるという恥ずかしい存在だった。
子どもの草野球へ大人が一人混ざり、ホームランを打ってちやほやされているようなもの。
そんなことで得意になるなんて恥ずかしくないのか。
心の奥でそう思いながらも、沢田石は誰より異世界ものを読み漁ってきた。
現実では認められず、女の子にも好かれない自分が、未知の世界へ行けば特別な人間として認められる。
そんな物語ばかりを選んで読むたび、馬鹿にする心とは裏腹にとある思いが大きくなっていった。
『自分ならもっと上手くやれるのに』と。
沢田石は森の奥へ踏み込んでいく。
木の幹へ背中を寄せ、身を屈めながら周囲を見回す。
テレビで見た特殊部隊の動きを思い出し、足音を忍ばせながら木々の間を進んだ。
森に入ってすぐに発動した被害妄想は、まだ効果を維持し、沢田石の存在感を極限まで減らしている。
その効果のほどはクラスメイト達で実験済みだった。
「ふふっ、これってアサシンってやつだよな。僕にぴったりのクレバーな能力だ」
心を躍らせながらしばらく進むと、前方の茂みの向こうから甲高い鳴き声が聞こえた。
葉の隙間から覗くと三体の小鬼が地面にしゃがみ込んでいる。
体格は小学生ほど。
深い緑色の肌には大小のイボが浮き、黄色く濁った不揃いな歯が剥き出しになっていた。
汚れた腰布からは、これだけ離れているのに生ゴミを蒸したような強烈な臭いが漂ってくる。
……ファンタジーの始まりにふさわしい雑魚だな。
沢田石は足元から両手に収まるほどの角張った石を拾い上げた。
小鬼たちはこちらを見ようともしない。
三体のうち後ろにいた一体へ音を立てずに近づき、石を両手で振り上げ小鬼の後頭部へ叩きつけた。
「ぐぎゃっ!」
鈍い音とともに小鬼の身体が前のめりに崩れ落ちる。
石を握った両手へ頭蓋骨が沈む鈍い感触が伝わり、裂けた頭部からは赤黒い血が噴き出し、土と枯れ葉を濡らしていく。
沢田石は反射的に石を手放しかけ慌てて握り直した。
倒れた小鬼は口からどす黒い血を吐き、白目を剥いて痙攣している。
「おえっ……思ったより……リアルだな」
胃の奥から酸っぱいものが込み上げる。
石に付着した血は生温かく、指の間へぬるりと入り込んできた。
「は、早く慣れないと……」
残った二体が鳴き声を上げて倒れた仲間へ駆け寄ると、一体が頭部へ触れ手についた血を見た。
大丈夫。
まだ被害妄想は発動している。
今のでレベルも上がったはずだ。
音も表示もなく、身体にも目に見える変化はない。
だが、きっとそういうものなのだろう。
覚悟を決めて石を握り直し、小鬼に向かって駆け出す。
「うぉおおおっ!」
狙うのはやはり頭。
手前の一体の眉間へ向け石を振り上げたその時。
脇腹を軽く押されたように感じた。
トン、と軽い感触。
見下ろすと、脇腹にナイフが突き刺さっていた。
「えっ……?」
何が起こったかわからないまま、握っていた石を手から滑り落として目の前の小鬼を見る。
濁った黄色い目が、まっすぐ自分を捉えていた。
見えている。
そう理解した途端、脇腹から灼けるような痛みが全身へ走った。
「ひっ……あっ……!」
膝から力が抜けその場へ崩れ落ちると、傷口から脈に合わせて血が溢れ制服のシャツを濡らしていく。
息を吸うたび、腹の内側へ熱した鉄の棒を押し込まれているようだった。
「な、なんで……見え……」
小鬼が沢田石の前髪を掴む。
身体を引き倒され、後頭部が硬い地面へ打ちつけられた。
視界が白く弾ける。
小鬼は髪を掴んだまま、脇腹へ刺さったナイフの柄へ手を伸ばす。
「あ……お願い……お願いします……」
涙と鼻水が頬を伝い、開いた口から涎が垂れる。
「抜いて……抜いてください……」
小鬼の口の端がゆっくりと持ち上がり、次の瞬間ナイフが傷口の中で捻られた。
「やめてぇええええっ!!」
絶叫が森へ響く。
沢田石は反射的に上体を起こそうとしたが、髪を強く引かれ後頭部を再び地面へ叩きつけられる。
喉の奥から潰れた声が漏れた。
小鬼は甲高い笑い声を上げながら、もう一度刺さったままのナイフを反対側に捻る。
沢田石にできるのは、身体を震わせ、痛みに声を上げることだけだった。
それから、どれほど叫んだのか分からない。
気づけばもう一体の小鬼も腹の前へしゃがみ込んでおり、冷たい刃が今度は正面から腹部へ沈んでいく。
声を出そうとしても、喉からは掠れた息しか出ない。
小鬼たちは沢田石の身体を押さえつけ、刃を動かし続ける。
下腹の辺りで、生温かい何かが引きずり出されていた。
痛みも、笑い声も、少しずつ遠くなる。
沢田石は動かなくなった首を傾け、木々の隙間から空を見上げた。
空は蒼く澄み、どこまでも綺麗だった。




