i'm lovin' it
パチ……パチ……パチ……
燃え盛る炎が、初夏の陽光にかすかに揺れていた。
空は澄みきった青。
真昼の太陽が、残された線路の上を真っ直ぐに照らしている。
その陽射しが、線路の先に伸びた黒煙と交差し、陽炎を生む。
まっすぐなはずのレールはぐにゃぐにゃと歪み、現実そのものが焦げているかのようだった。
炎の中心にあったのは、黒く焼け焦げた男の死体。
谷々たちが立ち去ったあとも、炎はまるで火葬のように彼を包み続けていた。
──誰の目にも、それは“終わった”ようにしか見えなかった。
ヒュカッ!
空気が、反転した。
それまで周囲に熱を吐き出していた炎が、一瞬のうちに吸い込まれたように消え去った。
火の粉すら残らず、煙さえも立たない。
まるで、その場に炎が存在していなかったかのように。
「……にひひ♪ あぶねぇあぶねぇ♪」
その場に横たわっていた“はず”の男が、けだるそうにつぶやいた。
炎に焼かれていたはずのその肉体には、火傷の痕は一切なかった。
焦げ跡すらない滑らかな肌が、ジリジリと照りつける日差しを反射している。
男の視線は、空へ。
だがその瞳に浮かぶのは感傷ではなかった。
ギラついた──まるで獲物を見据える獣のような目だった。
「一張羅が台無しだな♪ ……国分寺にユンクロあったっけか?」
焼け残った布地を指先で払いながら、男はのそりと起き上がる。
上半身は裸。鍛え抜かれた体が陽光を受けて浮かび上がる。
その肌には、ただの一箇所も“戦いの痕”が存在していない。
谷々の一撃も、炎も、彼を傷つけるには至っていなかった。
「……谷々」
その名前を呟いた時、男の笑みがわずかに弧を描いた。
だが、その口元に浮かぶのは賞賛でも感謝でもない。
狂気に染まった──執着の笑みだった。
「谷々……」
最初は、ただの呟きだった。
かすれた声で、思い出すように。
口の端が、にやりと歪む。
「谷々……谷々……谷々……谷々……谷々……」
言葉は呪文のように繰り返される。
「やや……やや……やや……やや……やや……やや……やや……やや……」
リズムが狂い始める。
発音の抑揚が奇妙に上下し、音が音でなくなっていく。
「ややややややややややややややあぁあぁあぁぁあぁぁああはぁあああああ♪」
──はじけた。
その声は、歓喜だった。
歪んだ喜び。
狂った愛。
男は自らの身体を抱きしめ、肩を震わせながら嗤っていた。
ビキ、ビキ……と、筋肉が音を立てるほどの力で。
「はぁ……っ、あはぁ♪ 最っ高だ♪」
瞳孔が震え、唇が泡立ち、汗が玉のように噴き出す。
「……あんなやつ、初めてだぜ。ちゃんと刺さったわ、俺の《恩知不》……なのに脱いで投げてくるとか、変態すぎんだろ♪ それに──あの目! あの目、完全に俺と同類だ! クセに人間気取ってんのがまた、たまんねぇ♪」
足を踏みしめて立ち上がると、男は上半身の燃えかすを払った。
そのまま、谷々たちが去った立川方面を──恋い焦がれるように見つめる。
「ようやく見つけた……ようやく出会えた……」
その声は震えていた。
興奮、執着、恋慕、全てを混ぜ合わせた、歪な震えだった。
「……俺の、《《最愛》》」
息が荒い。
その胸元には刻まれた鼓動が、乱れて響いていた。
「けど──まだダメだ。あのままじゃ、次は俺が殺しちまう。
そうなったら、だめだめだめだめだめだめだめぇ♪ “愛”は……壊しても、殺すもんじゃねぇ♪」
ゆっくりと、舌が唇を這い上がる。
その動きは蛇のようであり、どこか艶かしかった。
「……せめて、“ちゃんと俺に殺されないくらい”には、強くなっといてもらわねぇと♪」
その顔に、ゆっくりと笑みが戻る。
そして、ぽつりと呟いた。
「……楽しみだな。
ウェディングドレスでも、見に行くか……♪」
男はくるりと踵を返す。
そして、口ずさむのは──あまりにも場違いな旋律。
「パパパパ〜ン♪ パパパパ〜ン♪」
結婚行進曲を、朗らかに。
鼻歌で。
まるで夢見る少女のように。
男は陽の照りつける線路を、陽気に、国分寺駅へと戻っていく。
その背中は道化に見えた。
だが──その足跡が刻むのは、殺意のリズムだった。




