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染まりゆく

作者: 叶 こうえ
掲載日:2017/03/04

過去作品です。

描写、文章に拙さがありますが、お読みいただければ嬉しいです。

「そろそろ彼氏欲しくない?」

 昼食後、歯磨きのせいでとれてしまった口紅を塗りなおしていると、隣で化粧直しをしている幸子が話しかけてきた。幸子は入社以来仲良くしている同僚で、プライベートな話もできる仲。ここ二年、私に彼氏がいない事も知っている。

「新人の酒井君、どう?」

 予想外の名前を言われて、手元が狂った。口紅が思い切りはみ出す。よりによって、あの酒井君? 私のタイプからかなりかけ離れている。

「ちょっと……無理かも」

 ちょっとじゃないけど。

 洗面台に置いてあるティッシュペーパーで、はみ出た口紅をごしごし拭いた。白いティッシュには、肌色と臙脂色が混じって付いていた。ファンデーションまで取れた。

「この前の歓迎会で意気投合してなかったっけ? あんた達。あの後、酒井君が私に聞いてきたんだけど。奈央がフリーかどうか」

 私が無理だって言っているのに、幸子は気にせず話を続ける。

「外見も悪くないし、性格も人懐っこいし。悪く無いじゃん。トータル的に」

 確かに外見は悪くない。丸くて大きい目は小動物みたいで可愛いし、笑ったときに見えた歯並びもきれいだった。歯茎も出てないし。

「センスがちょっとね……」

 憮然としながら私は言った。彼はセンスが悪い。今日着ていたスーツもどこで売ってるの? って聞きたくなるほど酷い色だった。遠目で見て(近くで見る勇気がなかった)、紫っぽい色だった。やくざじゃあるまいし。極めつけに、ネクタイが赤一色。最悪としか言い様がない。

 鏡から目を離さずに、幸子は「そんなの大したことじゃないわよ」と呆れたように言った。

「奈央が教育してあげればいいんだから」

「教育って……私は教師じゃないっての」

「奈央、酒井君より四歳年上でしょ? 主導権握ればいいのよ。あんた好みに教育してさ……スーツも選んであげれば?」

 幸子が楽しそうに笑う。……ひとごとだから面白いんだろうけど。

「ま、その気になったら教えてよ。酒井君にあんたのメールアドレス教えるから」

 一方的に話を終らせて、幸子はさっさと化粧室を出て行ってしまう。残された私は、口元にファンデーションを付けながら考える。

 センスが悪い程度で、彼氏候補から外すのは厳しいんだろうか。顔は整形しない限り変えられないけど、センスなら変えられるかもしれない。身長は私より遥かに高いから問題ない。性格は……あの末っ子ならではの甘えん坊な所がなければ、許せる。甘えん坊って、直せるだろうか。マザコンは直せないっていうけど……

 幸子は教育すればいい、と言った。自分好みに教育、と。

 他人を教育できるほど、私はまっとうな人間だろうか。他人を私好みに変えるほど私は偉い人間? 

 ……ふと、昔言われた言葉が蘇った。

 ――付き合っている子が自分好みに染まるのって……なんだか、いいよね。

 言った人は、私の元彼氏。

 彼は、私の、最初の恋人だった。


  六年前のちょうど今頃。十二月のはじめ。クリスマスが目前に迫っているというのに彼氏がいなくて、できる気配もなくて、私はかなり焦っていた。

 通っていた短大は圧倒的に女が多く、学内で彼氏をつくるのは至難の技だった。小学校の時、クラスの男の子一人に人気が集中することがあったけれど、その男の子と両想いになるぐらい確率が低いかもしれない……二十倍ってところか。とにかく私は、二十歳にもなって男と付き合ったことがないという現実を、酷く疎ましく思っていた。

 そんな悶々としていた時期に、彼は現れたのだ。

 短大の友達と二人で行ったクラブで声をかけられ、始発の電車へ一緒に乗り込む頃には、彼のことが知りたくて堪らなくなっていた。

 一目ぼれだった。今でも、あの時の彼を鮮明に思い出すことができる。彼の薄い唇、少し高めの鼻、柔らかいまなざし、浅黒い肌。量販店では絶対売ってなさそうなセンスのいいスーツ。磨きこまれた黒の革靴。大音量で流れるテクノに紛れて、私の耳元をくすぐった彼の声さえも。

 ……滑稽なほど、私は彼にのめりこんだ。バイト先のレストランで接客をしていても、大学で友達としゃべって笑っている時も、ご飯を食べている時も寝る前も。ありとあらゆる時間、彼を想うことに費した。

 付き合って間もない頃、私と向き合ってコーヒーを啜りながら、彼はこう言った。

「付き合っている子が自分好みに染まるのって……なんだか、いいよね」

 言われてすぐに、反応を返すことができなかった。嬉しい言葉ではなかったからだ。……自分好みに染める? 傲慢な感じがした。

「私は染まりたくないです……私は私だし」

 対抗心を覚え、それでも遠慮がちに私が言うと、一瞬彼は困ったような顔をした。

 ――それから数ヵ月後、別れはあっけなく訪る。

 彼には奥さんがいたのだ。彼の外し忘れた、左手薬指に光る銀色の指輪を、私は目ざとく発見してしまった。まさかそんなわけがない……そう思いながらも問い質すと、彼は「しまった……」という風に一瞬表情を歪めた後、「そうだよ、結婚してる」と開きなおったように言った。「今日のお昼はカレーだったよ」そんな言葉が似合いそうなほど、のう天気な声で。

 染まる事を拒否した私なのに、意思とは反対に彼好みに染まっていた。彼に買い与えられたものを身につけ、彼がカラオケで歌っていた曲をCDショップで見つければ、迷わず購入して聴き入った。

 彼が煙草を吸いながら路上を歩いても、咎めなかった。彼の話すこと、することは、全て微笑ましかった。

 ――彼が私と付き合いながら、奥さんとも円満な家庭を築いていた。……私にもっと魅力があれば、彼を惹きつけていたら、彼は奥さんと別れてくれたのかもしれない。そこまでさせられなかったのだから、私の力不足だったのだ。そんな風に思った。

 彼に対する怒りや悲しみ。そんなものは後からやってきた。すでに彼と別れた後だ。


 彼と別れ、もう誰も好きになれない……そう本気で思いつめたが、杞憂に終った。会わなければ、嫌でも思慕は薄れていく。新しい恋は案外早くやってくる。

 私のルックスは悪くなかったし、簡単に恋人は手に入った。恋人が出来るたび恋人好みに私は染まり、染まる自分を楽しんだ。経験を重ねるごとに余裕が生まれる。もう、あの時の私じゃない。あんな甘ちゃんは、どこにもいない。

 ――じゃあ、なんで、この二年間彼氏を作らなかったの? 

 洗面所の蛇口から滴る水滴をぼんやり眺めながら、自問した。

「……疲れてただけ」

 私ももう、二十六だ。そろそろ結婚を前提に付き合える恋人は欲しい。独り身も楽だけど、淋しさもある。

 酒井君。彼はどうだろう……私より四歳下。結婚願望はあるんだろうか。ルックスは悪くないし、浮気はしなさそうだ。なんせ、あのセンスの悪さだ。モテないだろう。多分。

 染まるのには疲れた。だったら染めてみようか、相手を。もう、染まるのは卒業のかもしれない。彼を染めてみようか――私好みに。


 酒井君と付き合い始めてから、三ヶ月が経った。隣で歩く彼は、着実に私好みに変わっている。初回のデートで身に付けていた趣味の悪いシルバーアクセサリーも、視界に映る事はなくなった。彼の友人に譲ったらしい。色彩感覚もマシになっている。原色のワイシャツも着なくなっている。良い傾向だ。私が口うるさく言った甲斐があった。デートに遅れる事もなくなったし、気の利いた言葉も言えるようになった。全て私の思い通り。

 私がほくそ笑んでいると、彼が突然、嬉しそうに話し出す。

「奈央さん、今度一緒に有休をとって、ハワイにでも行きませんか?」

「……馬鹿じゃないの? そんな事したら、絶対怪しまれるわよ」

 私達の関係は誰にも知らせていない。キューピッド役の幸子にさえ言っていないのだ。彼の考えの無さに、呆れてため息が出た。

「キツイなあ、奈央さんは……まあ、そのキツイところが好きなんですけど」

 満足そうに酒井君が頷く。

 その瞬間。

 私は、平手打ちを食らったような衝撃を受けた。

 もともと私、キツイ性格だったっけ? ――違う。いつもソフトな言葉を選んで話す方だった。小さい頃からずっと、人に嫌われるのが怖くて……会社の後輩にだって厳しい事を言えなかったのに!

「僕、小さい頃からずっと気の強い姉達に囲まれて育ったから。尻に敷かれの、好きみたいです。ちょっと情けないけど」

 ……ちょっとじゃない。相当情けない。

 でも、私だって情けないのかもしれない。私がキツイ物言いをしているのは……彼に誘導されているからだと、今頃気が付いたんだから。染めているつもりで、染められていた。馬鹿みたいじゃない? 私。全然、成長なんかしてなかった。変わっていなかった。

 突然、疲労を感じた。もう、だめだと思った。何が、なのか分からないけど。

 私が完璧に、彼好みに染まったとして。彼は私と結婚したいと思うだろうか? ……思わないだろう、と思う。一回攻略したゲームを同じように楽しむことはできないのと一緒。完璧に染まったら、私は捨てられる。予感ではなかった。――確信だった。


『染まりゆく』

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