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千年書館

俺の可愛いお姫様

作者: 琳谷 陸

俺の可愛いお姫様




 護りたいと思えるものに、初めて出会った。




 何か一つでも秀でているなら、メルベティウルの名を与えよう。

(馬鹿げてる)

 まるでそれがこの上ない栄誉か何かのように言う神経が理解不能だ。

「大変名誉な事です。喜んで良いのですよ」

 いかにもお貴族様といったこの無駄にデカイ屋敷の夫人。黙れババアと言ったらどんな顔するかな? そこまで考えて、後が面倒臭そうなので止めておく。

 文部庁と武門庁の二大機関が覇を争うこの国で、メルベティウルという家は代々優秀な学者や政治家を輩出している、いわゆる名家だ。

 そして、俺は、十二才の誕生の今日から『メルベティウルを名乗らされる』事になっていた。

「傍流でも才ある者は等しく私達の家族。なに不自由無い暮らしと最適な研究環境を用意して差し上げます。勿論、ご実家への援助も」

「ありがとうございます」

 余計な事は言わずに、早く終われという一心から言葉を絞り出す。

 頭が良いという割りに、自分達が言っている事が、相手にどう思われているか察せない残念な相手。これがあと何人住んでいるのか。

「さあ。貴方のお部屋に案内しましょう」

 そう言って案内された部屋の窓から、外を眺める。

 空から見れば中庭のある長方形の建物が二つ並び、両端が繋がっている三階建の屋敷。屋根は灰色で面白味も無い。

 建築美なのだろうが、興味がない身からするとどんな精緻な細工が施されていてもどうでも良いと思ってしまう。

 光の差す深紅のカーペットが敷かれた廊下も、美しい額縁に入った絵画も、全て自分にとっては灰色同然。

(煉獄だ)

 必要なものは揃った部屋の中、何をする気も起きなくてベッドに腰掛け、ぼんやりと窓の外を見る。広い庭、その向こうに今まで住んでいた世界とこの煉獄を繋ぐ門が見える。

(でも、これで)

 家は支援を受けられた。後は、この家の指し示す道を選んで、その通りに生きれば。

「最善だった」

 灰色の煉獄でこれからゆっくり飼い殺される。それが、今の俺に出来る最善だった。




 煉獄での生活も滞りなく退屈に淡々と過ぎたある日。

 運命なんて信じていなかったけど、嘘みたいな運命の出会いをする。それは春だった。春の、夜。

 退屈に飽いた俺は、散歩でもしようと部屋を出た。

 屋敷の外をただ歩く。馬鹿みたいに広い屋敷は外周を回るだけでそれなりに運動になったが、ふと、いつもと違う事に気がついた。

(窓に明かり?)

 出歩いている俺が言うのも何だけど、夜中だ。

 好奇心。その一言しか当てはまらない感情に動かされ、俺はその部屋を覗けるだろう木を登った。

(子供……?)

 少しだけ開いた窓に背を向ける形で机に向かっている。小さな頭と体が、ランプの光でゆらゆら揺れる影を部屋に映し出していた。

(そう言えば、ここの家には俺より年下の子供もいるって言ってたっけ)

 見たところ、六才くらい。うつらうつらと眠気に頭を揺らしている。

(あ、おい!)

 とうとう子供の頭が落ちた。机に突っ伏した腕がランプに当たって、くるくると台座ごと一回転した後、床目掛けてランプが落下する。

 火事。その文字が頭を過るのと、木から部屋へヤケクソ気味に飛ぶのはどちらが先だったか。

 大げさなくらいデカい音。窓枠を蹴って滑り込むように手を伸ばし、台座を引っ掴んだ。

「っぶねぇ……」

「だれ……?」

 ぎくっと身体が強張る。身体を起こし振り向く。

「……兄様じゃない。お父様でもない」

 抑揚のない、ただ自分の記憶と認識を確認するような独り言に近いそれ。

 まるで、人形。

「あなたは、だれ?」

 怖がるでもなく。

「だれ?」

 ただ目の前の“モノ”を。

「だれ……?」

 確かめてる。

「気色悪い」

「きしょく?」

「俺は人間だ。そんな目で見るな」

「……?」

 硝子玉みたいなくすんだ緑の瞳。手入れがされているのに、生気のない滲んだ茜空の金髪。

 蝋人形のような青白い、小さな指先が、俺へ伸びる。

 正直、気色悪い。避けたい。けど、避けたら負ける気がして。

「……ほんとだ。天使じゃ、ない」

「は?」

「だって、鳥にはみえない」

「……」

「兄様でも、お父様でも、じいでも、ない。空からくるひとのようなものは、鳥じゃなきゃ、天使くらいかと、思って」

 小さく青白い指先が確かめるように頬を無遠慮に触る。

 何かが着いた気がして、触れられた跡を自分の指でなぞった。

「インク……と、血っ?」

 月光照らすその指先には、インクとつぶれた肉刺から滲む血。

「お前!」

「……?」

 火を消したランプを置いて、その両手を掴む。

 両手とも、あかぎれこそないが、肉刺がいくつもあった。ペンやら何やらそれは多種多様な要因があるだろうと思えるほど。

「まず手を洗え」

 逆らうこともせずに、人形のような子供は寝台の横に置かれた洗面具へ近づき手を洗う。

 タオルで手を拭き、不思議そうとも無表情ともつかない顔で戻ってくる。

「なんで貴族の部屋はいらんもがあって必要なものが無いんだ」

 ハンカチを裂いて血が滲む手に巻いて結ぶ。その間も、子供は何も言わずただ黙ってされるがまま。

「できた」

「……ありがとう、ございます」

「礼は言えるのか」

 コクリと頷く顔からは相変わらず何も読み取れない。

「……天使じゃ、ない?」

「なんで天使なんだ。もっとピーターパンとか何か他にあるだろ」

 よっぽど人間に近くて空を飛ぶものがあるだろうに。呆れて呟いた言葉に、子供が首を傾げた。

「ぴーたーぱん?」

「ピーターパン。……知らないのか?」

「偉人のひとりですか?」

「違う」

 なんで偉人なんて言葉が出る。

 部屋を見回して、俺は再度あきれ返った。

「絵本とか、そういうもんは」

「絵です、か? 図鑑なら、そこに」

「違う。……じゃあ、白雪姫とかそういう物語の」

「しらゆき……?」

「嘘だろ……」

 整然と並ぶ小難しい書物の中に、子供らしい物語の本はなく、ただただ手に肉刺をつくってこんな夜更けまで勉強する子供。

 狂ってる。

「寝ろ」

「でも、お勉強、しないと」

「こんな時間までやって頭に入るか。寝て、どうせなら朝早起きしてやれよ」

 子供を寝台へ問答無用で連れていく。気がかりそうに机を見遣る事に気づいていたが、無視する事に決めていた。

「ほら、目を閉じて何も考えるな」

「……あなたは、ぴーたーぱん? しらゆきひめ?」

「まだピーターパンの方がマシだ……」

 何故、姫。

「ピーターパンて言うのは」

 その晩から、俺は気が付けば毎晩、その子供の部屋へ足を運んでいた。

 ベッドに腰かけて、真夜中の時を柱時計が告げるまで語る、おとぎ話。

 少しずつ、少しずつ。子供の事を知って。

 例えば、下に弟が一人いる、とか。その弟が優秀で、子供はその弟より進みが遅いと言われるだとか。

 優秀な兄や姉に、挨拶をしても無視されるだとか。

「だから、びっくりしました」

 くすんでいると思っていた瞳が、昼間の日差しで照らされると淡く柔らかな苔色モスグリーンだった事とか。

「嬉しかった」

 はにかむような表情かおは、子供らしくて、案外可愛いとか。

 本当に。

「ユート兄さん、大好き」

 そんな、些細な事。


 それが、いつしか俺の光になっていた ――。


「ユート兄さん、本当に行くの?」

「うん。しばらくはあんまり会えなくなるけど、大丈夫」

 真昼の光の中、泣き出しそうな淡い茜空の金髪と柔らかな緑の瞳。寂しそうにこちらを見てくる妹。

 十才になって、流石にもう夜に訪ねることはやめた。

「いつだって、メリーの側に俺はいるから」

「……わかった。兄さん、いってらっしゃい」

 精一杯、少し不器用な笑顔でそう言って。

「うん。いってきます」


 まだ知らない世界を君に届けたくて

 煉獄の鳥籠でもがく君を連れ出すには、俺の手は頼りなくて

 君が羽ばたける空があるって、教えたくて

 それは俺のただの我儘だけど

 君に

 笑ってほしくて


「行ってくるよ。迎えに来るから。俺のお姫様」


 君を連れ出すための鍵を集めに

 俺の可愛いお姫様



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