4.残紅の街
斜陽の庭。コンクリートの塀。補助輪の付いた自転車。
チューリップの花壇。岩陰の鈴蘭。大きな古い木。
雪の朝の静寂。雨が濡らすアスファルト。帰り道の夕日。
まな板と包丁の音で目覚める朝。畳の匂い。
そのすべて。
もう戻らないもののすべて。
◆
個人用コンシェルジュアプリが朝のニュースをピックアップしてARに投影する。ヨーロッパの軍用ナノマシン工場を狙ったテロ事件。共感を応用した通信方式の研究発表。次期パラリンピックにサイボーク施術を行った選手の出場を認めるか否かの決議。いつも通りの日常。きっとこれを見る各々にとっては意味があり、しかしぼくにとってはBGM代わりにもならないニュースの羅列。
「ニュースはもういい。コラム欄を見せてくれ」
その声に反応したAR機器が新着の論評を映しだした。共感から見えた神との合一体験。ARの過度の使用がもたらす心身の不調について。ネットメディアに対する警鐘。益体もない情報が流れる。うんざりしながらウィンドウを消そうとしたぼくの目が隅にあったひとつの記事を捉えた。
『医療共感に潜む危険~万能精神治療の欺瞞と真実~』
既存の医療技術と同様、医療共感にも決して好意的な見方をしない人間が一定数存在する。共感が一般レベルですっかり浸透した今であっても、このような言説は必ず付きまとうものだ。それがどこであれ、なんであれ、文句を付けたがる人間は必ずいる。そんなことを思いながらも一応は目を通しておきたいという欲求に逆らえず、ぼくはその記事をタッチした。視界を覆うウィンドウに論評が表示される。
『その気になれば人間の心をいくらでも操作することができる』
『彼らの行うそれは洗脳と何ら変わらない』
『一部の団体の利権が』
黙ってウィンドウを消した。その言い分は真摯に受け止めよう。だがいささか感情論に傾き過ぎだ。共感が一般化してからもうすぐ半世紀。今では共感に関する法律や条約なども整備され、こと医療共感においては厳格なプロトコールのもとにそれを執り行うことが定められている。確かにぼくらの振るう力は人間の心をたやすく書き換えることができる。だが外科医がその気になればいつでも患者を殺すことができる力を持っていながら、それを決してしないのと同様、いやそれ以上の職業倫理をもってぼくら共感医は治療にあたっている。力を持つ者にはその力を振るう腕と同じく自らを律する頭が必要なのだ。その言葉はデバイスを持つぼくにとって殊更に重く響く。しかしこういった言説の存在はある意味で貴重だ。皆が皆特定のシステムを礼賛し、迎え入れる光景はそれこそ洗脳に等しく、まるで往年のディストピア小説だ。だからぼくはそのコラムニストに心のなかでエールを送った。どうかそのまま疑問を持ち続けて欲しい。完璧なシステムとは初めから絶対的な無謬性を持って生まれるのではなく、内に抱える矛盾を克服した先に得られるものなのだから。コーヒーの香りがその思考に割り込んできた。ぼくの起床を感知したコンシェルジュシステムがコーヒーを淹れてくれたのだ。ゆっくりとベッドから立ち上がると、ぼくはキッチンのほうに向かう。万能科学万歳。ぼくはきっと未来に生きている。
◆
日の傾きかけた夕方、その日の診療を終えたことを確認するとぼくはある場所へと向かった。言うまでもなくリンネの病室だ。診察室を後にし、クリーム色に包まれた廊下を歩きながら先日の共感治療のことを思い返す。あの時ぼくが彼女に施したのは認知の矯正。両親を殺した殺人犯に自分も殺されるのではないかという恐怖を除去、次に両親が殺されたのに自分が生きているという罪悪感、何も出来なかったという無力感からの解放。これらの認知をあの幼いリンネとの接触で潜在意識に埋め込んだ。あとは切り取られて焼き付いていたトラウマが忘却の記憶流に乗り、過去のものとして消化されていくのを見届ける。認知の歪みの解消はかつての精神科ならば年単位の時間を要してもおかしくないものだが、直接深層心理にアプローチできる共感治療ならば劇的に短い期間で治療が完了する。通常のケースならば事態はこれで収束するはずだ。現にここ数日のリンネは少し落ち着いた様子で、以前よりも笑うことが増えたように思う。相変わらず閉鎖病棟に収容されてはいるし、不明な事柄も多々ありはするけれど、少なくともこの時のぼくはそう思っていた。
閉鎖病棟の最後のロックを解除し、リンネの病室にIDを提示する。鈴の転がる声がどうぞと告げ、ドアが音もなく開いた。クリーム色の壁に包まれた部屋で、リンネは相変わらずメガネを掛けて本を読んでいた。
「調子はどうだ」
メガネを外して本を閉じたリンネが柔らかく微笑んだ。ベッドのサイドテーブルには読み終わったと思しき本が積まれている。
「だいじょうぶです」
「それはなにより」
柔らかい栗色の髪が光を浴びて光る。天井近くにあるはめ殺し窓からは夏の夕方の日差しが差し込んでいた。医者としてどうなのかと言われるかもしれないけれど、明るい日差しの指す病室はどこか世界の終わりじみていて、いつもそこには死の匂いを感じてしまう。
「今日もいい天気ですね」
まさに夏らしい夏。ここ数日は夕立すらない晴れの日が続いていた。穏やかな日、という表現が適切かどうかはわからないが、茹だる暑さを除けば精神衛生上も快適な日だった。傍から見ればなんと平穏なことか。けれどぼくにはどうしても確かめなければならないことがあった。
「リンネ、体調のことで訊きたいことがあるんだが」
「なんですか」
ベッドで上体を起こしていたリンネはベッドに腰掛ける形でこちらに向き直った。
「今まで突然記憶が無くなったことはあるか」
確かめなければならない。いつまでも『説明の付かない』ままにしておくわけにはいかないのだ。
「いえ、特になかったと思います」
「本当に」
「はい」
「突然物忘れが酷くなったりは」
「ない、ですね」
顕著な症状はない。ぼくが気になっていたのはもちろんリンネの無意識に居た『もうひとりのリンネ』のことにほかならない。仮にあれが解離して分化した人格なのだとしたら、表層にも何らかの影響があるはずというのが現状での推論だ。だが『そうである』と断定出来るだけの材料は結局見つからなかった。それにあの『御門リンネ』は確かにこう言った。表層に出て行くことはできないと。だとしたらあれの役割は何だ。それにあの心象風景。あれから数日経っているが、看護師の報告によればリンネの身体症状が大きく改善した兆候はないという。それはつまり彼女の『だいじょうぶです』は決して大丈夫ではないということだ。前回の共感はリンネのトラウマになっている記憶に干渉し、それに対するリンネ自身の認知を正すものだった。認知を矯正したとしても、その新たな認知を患者が自分のものとして獲得するには少しの時間が必要になる。今日共感をしたから明日からはもう何の問題もないという状態にはならず、通常は最低でも72時間程度の時間がかかるとされている。リンネと共感して今日ですでに3日以上経っていた。通常のケースなら患者自身が認知を獲得できても良い頃合いなのだけれど。
「あれからわたし、よく夢を見るんです」
初めて会ったとき、問診で夢を見るけどすぐに忘れるとおどけて笑っていた表情を思い出した。
「どんな夢」
「たくさんの人の記憶、なのかな。見たこともない風景が現れて、でも自分ではこれが夢だってはっきりわかってるんです」
現実世界で見たこともない風景が夢に現れるというのは別段珍しい話ではない。誰だって経験のあることだ。しかしリンネのような症状を訴える患者にとって、夢というのは潜在意識の状態を探るために重要な要素でもある。それは夢占いなどという与太話のレベルではない。
「その夢はどのくらいの頻度で見るんだ」
「毎日です。夢の中の感覚がとってもリアルで、起きた瞬間夢か現実かわからなくて困ったこともあります」
「もう少し夢の内容について詳しく教えてくれるか。今日見たもので構わないから」
リンネはさらに考えこむように眉間にしわを寄せ、しばらくの後ぼくの問に答えてくれた。
「交通事故の現場だったと思います。車がぺちゃんこになってて、その」
「いや、思い出したくないならいいんだ」
慌てて遮る僕を制するとリンネは続けた。
「すみません。だいじょうぶです。それで轢かれてる人がいて、血がものすごく出ててっていう場面なんです」
「いつも同じ場面を見るの」
「いえ、場面は毎回違うんです。でもいつも大勢の知らない人たちに囲まれているっていうのは同じで。その人たちがわたしに話しかけてくるんです」
そう言うとリンネは顔を伏せ、垂れてきた髪をいじりだした。栗色の髪が夕日を浴びてきれいな光の波を作った。
「その内容も訊いていいか」
髪から手を離したリンネがぼくのほうに顔を向けた。
「はい、先生には話しておきたいんです。何かの役に立つかもしれないから」
もともとあれだけのトラウマや心象風景を抱えながら微笑むことが出来ていたのだ。彼女はきっと、ぼくなんかが思っているよりもずっと強いのかもしれない。
「聞かせてくれ」
「はい。話しかけられるっていっても、ぼそぼそしゃべっている声が聞こえるレベルなんですけど。内容、そうですね。どの夢でも共通して聞こえてくるのは『死にたい』『殺したい』『消えたい』『憎い』『悲しい』『痛い』とか、そういう言葉です」
夢は現実の鏡でもある。自分の中にそういう気持ちがあったから夢の中にもそういう言葉が現れるというのは筋の通った話だ。
「ぼくと共感してから夢の内容は変わったか」
「それがあまり変わってなくて」
申し訳無さそうに眉を下げるリンネ。彼女には何の落ち度もないことは言うまでもない。
「それについては気にすることはないさ。確かに医療共感は素晴らしいシステムだけど、万能じゃない。ゆっくり解決していかないといけない場合だって十分にあるんだ」
「そういうものなんですか」
妙に授業じみてきた気がするが、まあいいだろう。
「そういうものなんだよ。他になにか変わったところはあるか、この前の共感から」
「あの、両親のことなんですが」
困ったような、それでいてはにかんだような表情を浮かべてお腹のあたりで両手を握った。パジャマがくしゃりと皺を作る。両親のこと。つまりぼくが行った共感治療の結果が今明かされるのだ。
それからリンネは滔々と話し始めた。まったく変に聞こえるかもしれないけれど、両親の事件の記憶は思い出のひとつのように感じる。それを今思い返してみても、悲しいという思いは生まれるが、それに罪悪感や恐怖を感じることは無くなった。寝ている時も起きている時も、あの風景のフラッシュバックに悩まされることはなくなった、と。
「そうか、よかった」
ひとまず先日の共感は成功したということになる。時間的経過からも明らかなように、リンネはぼくの埋め込んだ認知を無事に獲得している。リンネが強がりや嘘を言っていないのであれば、深層意識の認知の歪みは完全に矯正されたはずだ。どのみちそれは意識場を計測することで否応にも明らかになる。ならばますますおかしい。肉体と精神は常に連動している。だからトラウマを完全に乗り越えた今、リンネに相変わらず身体症状が続いていることは説明がつかない。なんだか頭が混乱してきた。落ち着いて整理しよう。現状、リンネに対する懸案事項は次のふたつ。ひとつは深層意識に居た『もうひとりのリンネ』の正体。もうひとつは改善しない身体症状や夢について。順に考えてみる。まず『もうひとりのリンネ』。リンネの受け答えから、あれが別の人格であるという可能性は限りなく低い。特に害を及ぼしているようには見受けられないし、ぼくに対する敵意もさほど感じなかった。これについては、なぜ、何のために存在するかを明らかにする必要がある。次に身体症状。投薬による対症療法で乗り切るという選択肢もなくはない。だが現在の精神医療の制度的な問題により、投薬が続いている限りはおそらく隔離措置は解除されないだろう。万能を誇るとされる医療共感を持ってしてもコントロールし切れないケースには、症状が寛解するまで入院をさせ、完全な管理下に置くべきというのが現行制度の見解なのだ。そしてリンネの視るという夢について。やはり彼女の症状と無関係には思えない。夢を見ている状態のリンネに共感をするという手もあるが、睡眠中は意識場が不安定になることから推奨はされない。夢の中に入り込む技術もあるにはあるが、特殊なスキルと専門の装置が必要で、しかもまだ研究段階の技術だ。そこまでして危険な橋を渡るべきか否かは、今は判断できない。幸い明日には研究チームの会議がある。そこでぼくも知り得ないリンネのデータが明かされることは間違いないと踏んでいる。ぼくの結論を出すのはそれからでも遅くないはずだ。
「あの、先生」
黙って考えこんでいたぼくにリンネが心配そうな声を投げ掛ける。つくづくこの娘には心配されてばかりだな、ぼくは。
「ああ、すまない。少し頭を整理していた」
「そうですか。あの、わたしの状態って」
気まずそうに言い淀む。相変わらず差し込む夕日はそんな彼女の後ろから降り注ぎ、ベッドに深い影を投影していた。それはまるでリンネの心を表しているようで、ぼくはどうにもいたたまれない想いを抱く。
「悪くはない、というのが正直なところだ。寛解には向かっていると思う」
思う、なんて主観的な言葉を果たして医師が使うのが適切なのかはわからない。もう少し言葉を選べよと頭の中のカスカが説教を垂れるのが聞こえた。ぼくが発した言葉は部屋の中に拡散して消え、今ではただ静寂が満ちている。それらが無言の圧力を掛けているようにも思えた。先生、あんたは何をやってるんだと。
「大丈夫。確実に前進してるんだ。焦ることはないさ」
言い訳じみているなとは自分でも思う。それはリンネに対する励ましでもあったが、同時に自分に向けた言葉でもあった。焦ることはない。一歩ずつ、確実に進んでいるんだ。
「そう、ですね。ありがとうございます。ちょっと安心しました」
顔を上げたリンネの後ろから日が差し、その微笑みも相まって聖母のごとき神聖さを感じさせた。その光の前ではぼくの抱く不安や懸念がなにか冒涜的なようにも思えてしまう。科学は神の領域を侵すものだと誰かが言った言葉を、ふと思い出した。だからぼくはリンネのその言葉に精一杯の微笑みで応じる。どうかこの娘を救う力を我が身に。アーメン。
「先生」
信心などかけらもない祈りの真似事の最中、リンネのその言葉がぼくを西日の差す部屋に引き戻す。
「外、今から出られますか」
「今から」
「はい、敷地内でいいんです。見たいものがあって」
リンネの申し出に頷いて応じると、ぼくはARのウィンドウを呼び出す。患者名、御門リンネ。当該患者の症状改善傾向を鑑み、外出許可を申請。数秒の後、返答が帰ってきた。当該患者の外出を許可。但し当院許可区画内、及び担当共感医同伴のうえ。
「許可が下りた。行こうか」
リンネが嬉しそうに頷いた。
◆
夕蝉の声が飽和する。淀んだ夏の空気を吹き飛ばすかのように、涼し気な風がぼくらの髪を撫でていた。太陽はすでに地平線に沈みかけ、大気との乱反射によってオレンジに染まる光で街を照らしている。夏の夕暮れはどうしてこんなにノスタルジックなのだろうか。それはきっとこれがぼくらの心に共通の心象風景だからなのかもしれない。もしも集合的無意識というものを覗けるならば、たぶんその風景は夏の夕暮れかもしれないと思ってしまうぼくは、いささか以上に感傷的になっているのだろう。ぼくらは病棟の屋上にいた。
「この景色。ずっと見てみたかったんです」
そう言って風になびく髪を片手で押さえながら、リンネは街を見下ろしている。人も、車も、家も、すべてが橙に染まる残紅の街。こうして見下ろす街は行き交う人や車の動きが総体としてどこか生物的にも見えるし、はたまた世紀の絶景にも出来損ないのミニチュアのようにも見える。
「この病院、すごく高いからきっときれいに街が見えると思ってたんです」
安全面、自殺防止、保守管理など、さまざまな理由から本来ならば患者がひとりで立ち入ることを禁じられる階層。実はぼくも初めて来たのだ。病院の全面改装の折に空調設備も一新されたらしく、一昔前のように林立する室外機の群れはここにはない。テニスコートがいくつか入りそうなだだっ広い平面だけが広がっている。隣を見れば病棟よりもさらに高い研究棟が見える。ここはさながら、巨人が差し出した手のひらの上のようだ。リンネはただ静かに眼下に広がる街を見下ろしている。考えたくはないけれど、いざ飛び降りようとでもされたときには捕まえられるように、ぼくはリンネの隣をぴったりとマークする。
「夕焼け、きれいですね」
高層階ゆえの風音の合間に、リンネの声が流れてくる。
「あまり乗り出すなよ。危ないから」
一応リンネの保護者を自負しつつ、釘を刺しておく。リンネは鈴が転がるように笑い、大丈夫ですよと応えた。かつては自殺防止用ネットといって、絶対に乗り越えられないように上部が内側に曲がった柵が設置されていたのだが、そもそもこの病院のセキュリティ上患者が屋上に出ることは不可能なため、それも無用の長物として撤去されたようだ。おかげでぼくらの視線を遮るものはなく、こうして景色を眺めることさえできる。リンネの横顔をちらりと見遣る。それはまるで好きな女子に想いを告げられない臆病者が、その顔を焼き付けようとこっそりと見るような所作だったに違いない。この街のことは何も知らないというリンネは、眼下の建物をひとつずつ指差しながらぼくの解説をせがむ。あれは大学、あれは自然公園、その隣にあるのが警察署。視線をやや上に上げれば電波塔。オレンジに染まるオブジェのひとつひとつに意味があり、ひとつひとつに人の営みがある。その中にいるうちは気づかないが、ぼくらは俯瞰して初めて街を認識できるのかもしれない。あれはなんですか。そう言ってリンネが次に指差したのは病棟のさらに上にある研究棟最上部。大きなパラボラアンテナがさながら菌床のごとく無数に突き出している。
「あれはMETROシステムの通信設備」
「メトロ、システム」
「そう、METROシステム。世界中の共感を統括しているシステムだ」
一般の認知度は低いが、ぼくらのように共感を専門に扱う者の間で知らぬ者は居ない。ぼくらが用いる意識場同調システムやデバイス、そして巷に溢れる一般向け共感機器など、世界のありとあらゆる共感技術を最終的に統括制御しているシステムだ。その実態はネットワーク分散型並列演算方式とされている。コアの概念を廃することにより、不足の事態でも問題なくシステムを運用できるという触れ込みだ。例えて言うならクラウド上にあるOSを各々の端末が引っ張りだして使っているようなものらしい。もちろんぼくは技術者ではないので、このくらいまでしか知らないのだけれど。人の心を繋げる共感を司るのが機械とはまったく皮肉なものだ。ぼくの説明で知的好奇心が満たされたと見えるリンネは、ふたたび街に目を落とした。
「街って、こんなに大きいんですね」
ぽつりとリンネが零したその言葉は、どこか諦観じみていて、空虚な響きを持っていた。
「両親が死んでからわたしはずっと施設とか病院を転々としてました。街から、社会から離れたところで生きてきたんです」
リンネが初めて話す自分の過去。ぼくは黙って耳を傾ける。
「だからわたしには自分が世界の一員だっていうことが、どうしても理解できないんです。先生は人間原理って知っていますか」
予想外の単語が飛び出してきたことに驚いたが、その意味するところは知っている。人間原理。物理学や宇宙論において、宇宙が人間の存在を許すのはそうでなければ人間が宇宙を観測し得ないから、すなわち人間に観測できない事象は存在し得ないとする考え方。
「人間原理。観測できないものは存在しない。もちろんそれはもともと宇宙のスケールの話ですけど、人間の世界にも当てはまると思いませんか」
彼女の言わんとすることが、なんとなくわかってきた。けれどそれはあまりにも残酷で、同時に傲慢で。
「そうです。世界には何十億って人がいると言われているけれど、そのすべてを見た人なんていません。それとは逆に、世界から切り離された存在を世界は認識する術を持っていないとも思うんです」
「君は」
「わたしは壁に囲まれた部屋でずっとひとりで、それで考え続けました。もしもわたしがここで死んだら、きっと誰も気づいてくれない。誰かがわたしの死体を確認して、それで初めて世界はわたしの死を認識する」
感情の希薄な言葉の羅列がぼくの脳に染みこんでいく。リンネが話すのは彼女の哲学。彼女が『世界から切り離された』暮らしの中で獲得した彼女の思想。いつになく饒舌に話す彼女の醸し出す厭世的で退廃的な空気は、まるで潜在意識にいた『リンネ』のようだった。そこでぼくは初めて気がついた。やはりあの『リンネ』は別の人格ではない。リンネはただ明るく振る舞おうと、気丈に振る舞おうと努力をしていたのだ。自己の内面でパラダイムシフトが起こってなお、かつて自分がそうだったはずの明るさを持ち続けようと必死だったに違いないのだ。ぼくはようやく自分の浅はかさを恥じた。リンネの保護者面をしていた自分を恥じた。いや本来ならそれは担当医としては妥当な立場だったのかもしれない。けれどリンネはもはやひとつの境地とも呼ぶべきものを見出してすらいたのだ。あまりにも寂しい悟りの境地を。
「世界から切り離されてしまえば、もう生きていても死んでいても変わらないと思ったんです」
人間は独りでは生きていけない。それは一般論的教訓として以上に、より存在の本質を捉えた言葉でもある。『その人』が『その人』であるためには、『その人』以外の他者から認識される必要がある。SF風に言えば、観測者が居て初めて事象が確定する。もちろん生物学的に言えば、人間はたった独りでも世界をサバイバルしていくことができる。けれど人間が社会的動物であるという観点からは、他者との関わりを欠いては存在を保つことすら出来ない脆弱性が露わになる。人間は他者との関わりの中で初めて自己を認識し、自己の存在を確立する。ゆえに『人間は独りでは生きていけない』のだ。
リンネはそのことに気づいている。皮膚感覚として、それを知っている。世界から切り離された18歳の少女は、大人ですら気づくものが多くないその真実を知ってしまったのだ。
「だから死ぬのは『もう諦めました』」
夕蝉の声が飽和する。残紅の街は相変わらず橙の光を受け、懐かしさという名の刃でぼくらの心を切り裂こうとする。初めての問診のとき、リンネは死にたいと思ったことがあるかというぼくの問に、諦めたと応えた。その瞬間彼女の目に浮かんだ色の正体を、ぼくはようやく知ったのだ。ぼくはリンネのことを、本が好きな明るい女の子だと思っていた。その認識がどれだけ浅かったかは今しがた痛感した。彼女のはずっと願っていたのだ。世界に絶望しながらも、世界の一員になることを。リンネのコア記憶にダイブしたときに垣間見えた心象風景。夕焼けをバックに天地が逆転した世界。街を見上げながら空に落ちていく世界。リンネにとって世界とは、空や星と同じものだったのだ。あそこにいってみたいな、どうせ無理だろうけど。アイウィッシュ、アイキャンフライ。もしも空がとべたなら。
「わたし、先生に逢えてすごく嬉しいんです。初めてわたしの心に入ってきてくれたひとだったから」
それはきっと本心なのだろう。世界から爪弾きにされた自分に、本当の意味で初めて触れてきた人間。それがぼくだった。リンネがそう思ってくれたことにほっとしている自分が居た。リンネがぼくを必要としてくれていることに喜んでいる自分が居た。この感覚はそうだ、カスカと遭った時のそれに似ている。
「これまでよく頑張ってきたな」
だからぼくは精一杯の賛辞を贈ろう。あり方は違えど、同じ孤独を生き延びてきたリンネに。これからも頑張れとは言いたくない。君はもうじゅうぶん頑張ってきたのだから。そんな想いを言葉に乗せた。
「先生、わたしが死んだら、悲しいですか」
離さないでと泣き叫ぶ子どものように、しかしどこか達観したように、リンネはそう訊く。リンネはぼくの答えを待っている。その答えにリンネの命が乗っている重さを、確かに感じた。
「悲しいな。きっとぼくも後を追うくらいに悲しいな」
医師としての立場をすっかり忘れたぼくの偽らざる言葉を聞いて、リンネは柔らかく微笑んだ。その笑顔はあの時見た幼いリンネのそれを強く想起させるような純粋さを持っていた。
「そっか。悲しんでくれるひと、ちゃんといたんだ」
悲しませたくないから死なない。悲しませたくないから辛くても生きる。消極的なように見えて、その実なによりも強い生の動機。他者との関わりを体感できて来なかったリンネが、初めて経験する人との繋がり。それがぼくであったことが、どこか誇らしく思えた。きっとリンネは此岸の淵まで来ていたのだ。あと一歩進めばこの世界から退場できるような場所に立っていた。彼女が『その選択』をなんとか今日まで留保し続けてくれたことが、ぼくにとっての救いだった。
「君を必ず外の世界に連れて行く。約束したからな」
夏の午後、あの中庭で交わした約束。それだけでぼくはどんな絶望的な心象にも立ち向かえる気がした。それを聞いたリンネは、また嬉しそうな笑顔を浮かべ、こう言った。
「先生となら頑張れる気がします。生きていても、いいんですよね」
地平線に日が沈む。今日という日の区切りを付けるため、身代わりとして日が沈む。落日の残滓が街に最後の光を投げ掛ける。それと交代するかのように、街には人の創りだした明かりが溢れだす。ぼくらはそれを見ると、屋上を後にした。今日も世界は事もなし。その一員たることがどれだけ幸福なことか、知らずに人々は営み続けるのだ。
死にたいの反対には生きたいという願望が隠れている。希望の裏には絶望の影が潜んでいる。そして世界にも、目には見えない裏側がある。その時にぼくは、まだそのことを知らずに居た。それが果たして幸福なことだったのか、答えはまだ出ていない。