変数操作a
「撃ってみるか? 俺を」
男はそう言って、黒光りする拳銃を私の足元へと無雑作に転がす。ぷちゃっ、と不気味な音が立った。
「俺を殺す権利くらいはあるんだぜ」
異様な光景だった。
お母さんは、いつもならこの時間にはキッチンの調理台の前に立って、包丁の音をトントンと立てていた。笑うとできるえくぼが可愛くて、いつも私を癒してくれる人だった。
「お前さんは被害者さ」
お父さんは大学教授で、いつもならこの時間には新聞に目を通しながら時計を気にしていた。寡黙な人だったが、お酒に酔った時には恥ずかしくなるほど私を元気付けてくれた。
「それでも俺はお前さんを殺さなきゃならん。お前さんのパパとママにそうしたように」
その男は、部屋全体に広がった、粘り気のある液体を見ながらそう言った。ヒトの血や脂肪や内臓や骨が満遍なく混ざり合った赤黒い体液だ。私、男、床、壁、天井……部屋の全てを赤黒い体液が染め上げている。その体液は鼻が裏返りそうなほどの悪臭を放っていたが、その中からは、私を15年間育て続けてくれた両親の香りが確かに感じられた。
「それらは紛れもなくさっきまでお前さんのパパとママだったものだ。
にわかには信じられないだろうが、どうせ今から死ぬんだから信じる必要もないか」
私は床に落ちた拳銃を手に取った。拳銃に付いていた体液で手が汚れるのを感じる。不器用で、緊張するとすぐに震えるはずの私の手は、何故かこの時だけ冷静であった。そうやって私が突き出した拳銃の銃口はピッタリとまっすぐ男に向いていた。
「それでいいんだ。その弾丸をお前さんの正義だと、俺を悪だと思えばいい。じゃなきゃ__」
私は男の言葉を最後まで聞かずに引き金を引いた。火花が散って弾丸が勢いよく飛び出た。乾いた音が鳴り響いて、火薬の匂いが死臭に消された。
「じゃなきゃ、人は殺せない」
男は無傷。風穴一つ空いていない。
私が男の眉間に照準を合わせて発射したはずだった鉛弾は、何故か空気中で溶けてしまったのだ。液体と化した鉛は男の服に付着して、服を伝って床にこぼれ、血の上に銀色の円を作った。
「『融点操作』は便利な能力だよ。アイスキャンディーがすぐに作れるし、ミックスジュースもすぐに作れる。……さてと、そろそろ無駄話にも疲れてきただろ?
一瞬だから、目を瞑ってろ」
男はそう言って私に手をかざした。
私が普通だったなら、この時殺されていたんだろう。それこそ、私のお母さんとお父さんのように、プリンみたいにされて、2人と混ざり合っていたんだろう。
喜ぶべきか、悲しむべきか。私はどうやら、産まれた時から普通じゃなかったようだった。
その瞬間、視界には無限に続く1と0の数列が浮かびあがったのだ___