4.Trick or Treat
ふたりの、とある年のハロウィンのお話。
「ハロウィンパーティ?」
「そうなんです……」
今日は木曜日。亜子さんがやって来る時間が近づくと、さりげなく奥のソファー席に置いた【siège réservé(予約席)】のプレートを下げた。
数分後に、亜子さんが姿を見せた。
「いらっしゃいませ。どうぞ。いつもの席が空いてますよ」
そう言って席までエスコートしようとすると、いつもの亜子さんなら少しはにかんで歩き出すのだが、この日の亜子さんは僕に目を向けずに俯き加減でトボトボと歩き出した。
そして、ソファに座った途端にため息をついた。
「どうかしましたか?」
思わず向かいのソファに座って顔を覗き込んだ僕に、亜子さんはこの日始めて僕の顔を見て驚いたように瞳を瞬かせた。
(あ、可愛い)
その無防備な様子に、胸に愛しさが込み上げて思わず頬が緩む。
そんな僕の視線を受けて、少し困ったように微笑んだ亜子さんが発した言葉が最初の科白だ。
「去年、図書館で子供達のハロウィンパーティをやったんです。子供達もとても喜んでくれたので、今年も同じように行う予定だったんですけど……」
そこで亜子さんはもう一度ため息を零した。
最初、図書館で子供達のイベントをしていると聞いた時には驚いたのだが、亜子さんの勤める図書館は児童室があり、大きなガラスの付いた防音室になっているので通常の図書館業務以外にもそのようなイベントが出来るらしい。
本来飲食禁止なのだが、このようなイベントだけは例外で、ハロウィンパーティでも簡単なお菓子を用意しているのだという。
「それはとても楽しそうだね。でも日本でハロウィンだなんて、そんなに根付いてるとは知らなかったよ」
亜子さんが毎週木曜日に来てくれるようになってから、段々話す機会も増えて僕は敬語が抜けた。それだけ親しく思っているという僕なりのアピールなんだけど、亜子さんはそうとは気付かないらしい。亜子さんは相変わらず敬語で話す。
「ここ数年でだいぶ浸透したんですよ。それで一部の子供がテレビでアメリカのハロウィンを見たらしくて……」
亜子さんはとうとう頭を抱えてしまった。
「うん、何か問題でも?」
「ハロウィンは街を練り歩いてお菓子をもらわなきゃって言い出して……図書館の中だけじゃ嫌だと言うんです」
「そうなんだ。確かに最近よくCMなどでも見るよね」
最近大手チョコレートメーカーB社のCMで流れ出したのが、アメリカのハロウィンの様子を映像で使っていた。親達は訪ねてきた子供達にお菓子を渡すのだが、子供達はこのB社のお菓子が良い!と取り合いになり、親達の手からはB社のチョコレートだけが無くなるという内容だった。どうやらそのCMにかなり感化された子供がいるらしい。
「せめてもう少し時間があったら、周辺の保護者の方々にご協力をお願いしたり考えられたんですけれど、もうそんな時間も無いですし、困ってしまって……」
「どうして?ウチに来たらいいじゃない」
「え?」
亜子さんは驚いたように顔を上げた。
頭を抱えていたからか、初めて見るオデコが少し顔を覗かせている。
「ええ?それは…あの??」
「読み聞かせをした後に、ウチまで仮装行列して来たらどうかな?ハロウィン当日は定休日の火曜日だし、子供達に渡すお菓子を用意しておくよ?いっそパーティもここでしたら?」
「え?でも……あの、ご迷惑じゃ……」
突然の申し出に、亜子さんは慌て出した。
「全然。地域貢献も、ひとつの広告活動だよ。そんなにハロウィンが日本で普及しているなら、来年からウチも企画を考えたいし、良い勉強になりそうだから、是非協力させて?それとも、勤務時間中に外に出るのはいけない事?」
「い、いいえ。でもあの……予算が少なくてとてもではありませんが、貸し切り料金やお菓子代には間に合わないと思うんです。それに定休日なのにわざわざ……」
「お金はいらないよ。あ、でもそうだな、もう予算を組んでいるのなら、亜子さんの方もそうはいかないよね?なら、材料費だけ頂くよ。それでどう?定休日だから、出勤はオーナー兼パティシエの僕だけしか出れないけど、オーナーが場所を無償提供するって言っているだし、パティシエなんだからお菓子は用意できるし、どうだろう」
「ほんとうですか?」
「勿論。それに、図書館から通り挟んで向かい側を真っ直ぐ来るだけだから、今参加予定の保護者が付いていれば危険な道のりでもないんじゃない?もっと遠くに仮装行列するよりはいいんじゃないかな」
「そ、そうですね」
「じゃあ、決まりだね。ウチは子供のお客様が居ないから楽しみだなぁ。子供達が手ずから食べられるお菓子がいいよね。うん、ウチのメニューも増える良い機会だし、楽しみだなぁ」
にっこり笑ってそう言うと、亜子さんはまだ戸惑っていたけれどやっと笑って上司に聞いてみると言ってくれた。
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当日は張り切って早起きしてしまった。
ハロウィンパーティが始まるのは、子供達の学校が終わって一旦図書館で読み聞かせ会が行われた後だ。
保護者も、今年のハロウィンは外に繰り出してウチのサロン・ド・テでやると決まってから参加希望が増えたのだと言う。
仮装行列が行われるのは夕方少し薄暗くなってからになりそうだったから、保護者が増えるのは良い事だ。
足取りも軽く、店に向かう。
そうだ。子供達が好きにお菓子を見れるようにテーブルを中央に集めて椅子は壁際に並べておこう。
お菓子は数種類の色鮮やかなマカロンに、一口サイズのマドレーヌ、フィナンシェにトリュフチョコ、それにミニサイズのケーキも数種類用意するつもりだった。
亜子さん、びっくりするかな?
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「「「「「「Trick or Treat!!!」」」」」」
夕方、オレンジ色の夕焼けと共に現れた子供達は、一気に店内になだれ込んで来た。
テーブルには、既に沢山のスウィーツが並んでいる。部屋の隅のテーブルには飲み物も置いてあるが、子供達は我先にと中央のお菓子の皿に突進した。
「わぁー!沢山!!」
「あっ、それ僕のだぞ!」
「美味しい!!」
悪魔も天使も、メイドもお姫様も、羊の着ぐるみも、なぜか忍者も。
一緒になって一心不乱に甘いお菓子を頬張っている。
「あ、あの、こんなに用意してくださったんですか?」
亜子さんはテーブルいっぱいのお菓子に驚いたというより、恐縮しているようだった。
「言ったでしょ?これは広告活動でもあるって。評判が良ければ持ち帰りの出来る焼き菓子があってもいいなと思ってたんで、丁度良かったんだ。日本では大人も参加していいイベントなんだよね?亜子さんもどうぞ」
「あ、ありがとうございます。いただきます!あの、片付けもお掃除もお手伝いしますね!」
「うん、じゃあ……お願いしようかな」
一時間程度で終わると思われていたパーティはなかなか終わらなかった。
ここは子供達にとってはお菓子天国だ。みんななかなか帰りたがらなかったし、図書館の閉館時間もあって、ここで親の帰りを待つ子供もいる。
遊びつかれて眠ってしまった最後のひとりを、亜子さんはソファに座って膝枕していた。
「すみません。今日は本当にありがとうございました。あの……すっかり遅くなってしまって…何と言ったらいいか……」
「本当にいいんだ。僕も楽しかったから。沢山作ったけど、みんな殆ど食べてくれたし、作った身としてはこれほど嬉しい事はないよ。こちらこそありがとう」
「あの…何してるんですか?」
「うん?余ったお菓子を箱に詰めてるんだよ。もうすぐその子のお母さん迎えに来るんでしょ?」
「まあ…きっと喜ぶと思います。ここのお店大好きなんですって」
「それは良かった。あ、いらしたようだよ」
すっかり夜も遅くなり、朝早くから動いていて正直体は疲れていたけれど、今隣で一緒に洗い物をしている亜子さんの存在が驚くほど心を軽くしてくれる。
「お菓子、どうだった?亜子さん食べた?」
「とても美味しかったです!私、マカロン初めて食べました。硬いと思ってたんですけど、違うんですね。フィナンシェも一口サイズなのにしっとりした甘さがぎゅっと詰まっててすごく美味しかったです」
「そう?それは良かった。……じゃあ、僕も言っていいかな。Trick or Treat」
「えっ?」
「お菓子をくれなきゃ、…イタズラするよ?」
「えええ?あの、私何もお菓子持ってなくて…あの」
「あぁー残念。じゃあ、イタズラかなぁ?どうしようか?」
さも残念そうに言うけれど、亜子さんがお菓子を持ってないのは知っていた。
でもね、単なる客と店員の関係を変えるには、今日が良いチャンスだと思ったんだ。
「ね、亜子さん。そしたらイタズラする事になっちゃうね」
濡れた手を拭いて改めて亜子さんに向き直ると、亜子さんは慌てたようにポケットの中を探り出した。
「え?え?え?あの……」
でも出てくるのはヘアゴムとハンカチ、腕時計に目薬……お菓子なんてキャンディーのひとつも入っていなかった。
「あ!セーフです!」
そう言って戸惑いの表情に変わって亜子さんの顔には笑みが広がった。
「セーフ?」
「はい!ホラ、12時過ぎてます。お菓子が無くてもイタズラ無しで!」
そう言った亜子さんの手には、洗い物を始める時に外したシンプルな腕時計が、12時3分を指していた……。