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3.一年分の笑顔

ふたりの、とある年の七夕のお話。

「あら、涼。この傘どうしたの?」



共同経営者である姉の礼奈が、サロン・ド・テの事務所の片隅にあったブルーの折りたたみ傘を

手に振り返った。



「あ。それ…借りたんだ」


「ふぅん…繊細で落ち着いた大人の女性。って感じかな」


どきり。とした。

シンプルなブルーの折りたたみ傘は所謂ユニセックスデザインのモノで。あこさんの名前が入ったシンプルなシルバーの小さなネームプレートはついていたが、それだけでどんな人なのかは分かるハズもない。

なのに、礼奈は俺があこさんに持ってた印象をズバリと言い当てた。


「……なんで?」


「ん?これ、無地じゃないわよ。知ってた?」


ぱん。気持ちいい音をさせて、礼奈は傘を開いて見せた。


「すごく分かりにくいけど、同系のブルーで一面に紫陽花の花が描かれてるの。

つまり、この傘が一輪の紫陽花になってるのよ。すごく素敵ね。目立たないけど、

分かる人には分かる繊細なデザインよ。だからなんとなく、イメージ…かな」


近づくと、遠目には分からない繊細なブルーの線が紫陽花の花びらを描いているのが分かった。


「ほんとだ…」


あの時、確か折りたたみ傘が苦手だからって言ってたのに……礼奈が持つそれは、緊急時の間に合わせで買ったような代物には見えなかった。

きっと、そう言ったほうが気軽に借りると思っての事だろう。


「あこさん。って、どんな字書くんだろ…」


出会ったあの一瞬で、覚えているのは傘のかげからちらりと見えた水滴に濡れた眼鏡と、落ち着いた声だけで。

でもあれからずっと心のどこかに引っかかっていたのだろう。

礼奈が広げた傘の鮮やかな紫陽花の花に、今、そう気付いた。


「涼って…実は草食男子?」


「は?ナニそれ」


「…ま、今気付いたんだったらそれで良しとするか。今日は雨になるよ」


「あ?予報は晴れだろ?確か降水確率は……」


礼奈に騙された雨のエイプリルフールから、自分で天気予報をチェックするようになったんだ。

今日は晴れのはず。雨は……


「20%よ。でも、降るわ」


にっこり笑って、礼奈がすばやく折りたたんだ傘を渡してきた。


「私、先に帰るね」


「あ、あぁ……」


今日は雨。本当に?こんなに…空は青いのに?






彼女と会ったあの日のように、サロン・ド・テの閉店作業のあとに軽く掃除をして外に出ると、7月という季節の19時という時間の割にはだいぶ暗くなっていて、パラパラと雨が降り始めていた。


礼奈の言った通りになった……。不思議な感じがして、紫陽花の傘を手に取る。

彼女が誰で、どこで働いているのか、全く情報は無かったが、なぜだか今日は彼女に会えるような気がしていた。




紫陽花の傘を差しながら、あの日、彼女が歩いてきた方向に向かう。

雨脚は段々強くなってきていた。

思わず顔を覆うように傘を差しなおすと、カラコロン。と聞きなれない音がした。

ふと、その音がした方に視線を向けると、図書館のエントランスポーチに着物姿の細身の女性の姿があった。


彼女だ……!


印象は薄かったはずなのに、遠目でもすぐに彼女だと分かった。


小さな面長の顔に不釣合いな位大き目のフレームは、きっとまた雨に濡れているんだろう。


彼女は雨脚が強くなるばかりの薄暗い空を見上げ、迷っているようだった。


「こんばんは」


声をかけると、最初不思議そうにしていた彼女が傘を見て「あ…」と声をあげた。


「傘、無いのでしょう?」


「あの時の…?」


「あの時は助かりました。ありがとう。紫陽花の傘…お返ししたいのは山々なんだけど、俺も、傘無いんです」


「はぁ…」


「もし良ければ、俺の店で雨宿りしませんか?」


「お店、ですか?」


目の前の彼女は明らかに戸惑っていた。


「ええ。あの時のお店、今サロン・ド・テやってるんです」


「さろん…」


「えーっと、軽食もある喫茶店。て感じですかね…。帰るところだったんだけど、

余ったケーキもあるし、良ければ」


そう言って左手に持っていた小さなケーキボックスを彼女の目線に持ち上げると、

少し、その表情が綻んだ。


「すみません。じゃあ、お言葉に甘えて…」



カラ、コロン。


隣を歩く彼女の足元から聞こえる軽やかな音がなんだか新鮮で心地よかった。

そんな事を考えていると、あっという間に店に着いた。


ポーチに入り、紫陽花の傘を軽く振って水滴を払うと、彼女の着物の裾が濡れているのに気付いた。


「着物。濡れちゃいましたね。中にタオルありますから、どうぞ」


「これ、浴衣です」


「ゆかた?」


「はい。えーと夏に着るもので…略装の着物のようなもの…でしょうか」


店内に明かりをつけ、ソファ席に案内し紅茶を入れる間も、会話が途絶える事は

無かった。

温かな紅茶を淹れて向かいの席に座ると、とても穏やかな空間に包まれた気がした。


「あぁ、そうなんだ。母は日本人なんだけど、こちらに来たのは最近で…。

でもどうしてゆかたを?」


「今日は七夕だから。残念ながら雨になっちゃいましたけど」


タナバタ?また初めて聞く言葉が出てきた。


「タナバタ?それと雨と、その…ゆかたって何か関係するの?」


「え~っと。ちょっと待ってくださいね」


彼女は少し濡れたシンプルなトートバッグから、カラフルな表紙の本を取り出した。


「これです」


「“織姫と彦星”?」


「織姫と彦星は、空の星なんです。働き者の2人は恋に落ちて夫婦になったんですけど、

夫婦生活が楽しくて仕事が疎かになってしまったんです。

それで怒った天帝が2人を引き離してしまって、1年に1度、7月7日だけ会えるんですよ。

晴れていたら2人が離れ離れになってしまった天の川と、織姫と彦星が見れるんですけど…

今年は無理ですね。あ、でもこの日降る雨はふたりの涙とも言われているんです」


「星が、人で?夫婦?あまのがわって…」


「七夕の伝説です。その絵本、よろしければどうぞ」


「え、いいの?」


「はい。ケーキのお礼です。今日は図書館で七夕会があって、これは参加した子供達にプレゼントした絵本なんです。1冊余ってしまったので…」


「あ、ありがとう。今日の事をタナバタって言うんですか。1年に1度しか会えないのか…。

この雨が涙だったとしても、会えた嬉し涙だったら良いですね」


すると、彼女の表情が一気に明るくなった。


「そうか、そうですね!そう考えた方がハッピーですね。きっと嬉し涙ですよ」


空の彦星は、愛する女性に1年に1度しか会えないのだと言う。

嬉し涙だったらハッピーだと笑う彼女の笑顔は、1年に1度と言わず毎日でも見ていたい。俺がそう思うのに、時間はかからなかった。



文中に出てくる浴衣や七夕伝説の説明に関しては、いや、違う。ってご意見もあるかと思います。

が、突然外国の人に説明する状況になったら…という事で、かなりアバウトな説明になっとります!ご理解いただければ嬉しいです。

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