追放された地味な錬金術師ですが、路地裏で甘いお茶を淹れてのんびり暮らします
「お前のように、地味でちまちました薬作りしかできない奴はもういらん! 出て行け!」
それが、私が王立の錬金工房を追い出された時の言葉だった。
今の流行りは、高価な宝石を釜に入れて砕き、無理やり強い魔力を込める作り方だ。そうしてできた薬は、宝石の色そのままにドロリと色づき、鼻を突くようなキツい匂いがする。けれど、工房の人たちはそれを「優れた薬の証」だと自慢していた。
私はそれがどうしても好きになれなくて、森で拾った草花をコトコト煮出す、昔ながらのやり方を続けていた。結果として工房を追い出されてしまったけれど、後悔は少しもなかった。
(宝石を砕くような騒がしい工房より、下町でのんびり暮らす方が私には合ってるもの)
私は王都の路地裏に小さな空き家を見つけ、そこでひっそりと薬屋兼、お茶屋を始めることにした。
売るのは、森で拾ってきた『日溜まりの木の実』や、道端に生えている『甘露草』をお鍋で煮込んだ特製のお茶だ。タダ同然で手に入る素材だけれど、丁寧にアクを取り、ゆっくりと時間をかけて煮詰めると、琥珀色の、とびきり甘くて美味しいお茶になる。
流行りの薬みたいに強い匂いもしないし、とろみもないけれど、「飲むとぽかぽかして、よく眠れる」と近所のおばあちゃんや子供たちにひそかに人気だった。
そんな静かな生活が始まって、一ヶ月ほど経ったある夜のこと。
店じまいをして、外の看板を片付けようと扉を開けた私は、思わず目を丸くした。
店先の古い木製ベンチで、誰かが丸くなって眠っていたのだ。
色素の薄いサラサラの髪が、月の光に照らされて銀色に透けている。長いまつ毛に、ガラス細工のように整った横顔。上等な仕立ての白い服を着たその青年は、まるで絵本から抜け出してきた王子様のように美しかった。
けれど、その眉間にはうっすらと皺が寄り、とても疲れているように見えた。
「あの……こんなところで寝たら、風邪を引きますよ」
声をかけて肩を揺すると、青年はゆっくりと目を開けた。
透き通るような薄い色の瞳が、気怠げに私を見上げる。
「……ん。なに……?」
「ここ、私のお店の前なんです。迷子ですか? それとも、どこか具合でも悪くて……」
「……具合、悪くない。ただ……王宮の夜会が、うるさくて。面倒くさくなって逃げてきた」
彼は少しだけ身を起こし、ふぁあ、と小さく欠伸をした。
王宮の夜会にいるような人が、どうしてこんな路地裏に。そう思いながらも、夜の冷たい風に吹かれている彼を放っておけず、私はお店の中から温かいマグカップを持ってきた。
「もしよかったら、これ飲んでください。今日売れ残ったお茶ですけど、甘くて体が温まりますよ」
コトリ、と彼の手のひらにマグカップを乗せる。
青年は「ん……」と短く呟き、警戒する様子もなく、両手でカップを包み込んで一口飲んだ。
ごくり。
その瞬間、彼の薄い色の瞳が、パチリと大きく見開かれた。
いつも彼は、人の多さや騒がしい声に晒されて、頭の芯がずっと痺れているような感覚を抱えていたのだろう。けれど、そのお茶が喉を通った途端、張り詰めていたものが嘘のようにふわりと解けていったのが、見ている私にもわかった。
「……なにこれ」
彼はマグカップを見つめ、それから私を真っ直ぐに見上げた。
「すっごく、甘い。それに……ここ、すごく静かだね」
「森の木の実とお花を、お鍋でゆっくり煮込んだだけですから。お口に合いましたか?」
「うん。……美味しい。これ、すごく好き」
彼はふにゃりと、まるで警戒心を解いた猫のように柔らかく微笑んだ。
そして、マグカップのお茶をゆっくりと飲み干すと、ふらりと立ち上がり――なぜか、私のお店の奥にある、一番座り心地の良いソファへと迷いなく歩いていった。
「えっ? あの……?」
「ここ、すごくいい匂いがする。静かだし」
彼はソファにコロンと横たわると、私の用意してあったブランケットを勝手にすっぽりと被った。
「俺、ここで寝る。……おやすみ」
「ええっ!? ちょ、ちょっと待ってください、ここは私のお店で……!」
慌てて駆け寄ったものの、彼はすでにスースーと規則正しい寝息を立て始めていた。
どんなに揺すっても、全く起きる気配がない。その寝顔があまりにも無防備で気持ちよさそうだったので、私はため息をついて、彼を外に追い出すのを諦めた。
「……まあ、いっか。明日になったら帰ってもらおう」
私はもう一枚、彼の上に毛布をかけてあげた。
❇❇❇
翌朝。私が目を覚まして1階の店舗に降りていくと、彼はまだソファで丸くなっていた。
窓から差し込む朝日に照らされた銀糸のような髪が、きらきらと光っている。本当に、絵画のように綺麗な人だ。
「あの、お客さん。朝ですよ」
肩を揺すると、彼は「んん……」と小さく唸り、ゆっくりと薄い色の瞳を開けた。
「……おはよう。すごく、よく眠れた」
「それはよかったですけど……お家に帰らなくて大丈夫ですか? お仕事とか」
「仕事、ある。……でも、行きたくない。あそこは人が多くて、騒がしいから」
彼はソファから身を起こすと、寝癖のついた髪を無造作に掻き上げた。
それから、お店の奥のキッチンから漂ってくる甘い匂いに気づいたのか、くんくんと鼻を鳴らす。
「……いい匂い」
「朝ご飯の用意をしていたんです。昨日森で拾ってきた『星屑ベリー』を、お鍋でコトコト煮込んでジャムを作ってて」
「食べる。俺も、それ食べる」
迷いなくそう宣言されて、私は思わず苦笑してしまった。
王宮の夜会に出るような人が、こんな下町の、しかも私が森で拾ってきた木の実のジャムなんて食べていいのだろうか。
でも、彼の瞳が「早く」と急かすように私を見つめているので、私は焼きたての素朴な丸パンに、出来立ての温かいジャムをたっぷりと塗って差し出した。
「はい、どうぞ。熱いので気をつけてくださいね」
彼はパンを受け取ると、大きく一口かじった。
とろりとした赤いジャムが、彼の口の中に広がる。途端に、気怠げだった彼の瞳が、パァッと見開かれた。
「……甘い。すごく、甘くて美味しい」
彼は夢中のようにパンを食べ進め、あっという間に平らげてしまった。
顔は相変わらずすまし顔だけれど、その周りに「もっと食べたい」という見えない花がパタパタと飛んでいるように見える。まるで、美味しいご飯をもらってご機嫌な野良猫みたいだ。
「ふふっ、おかわりもありますよ」
「うん。……俺、シエル」
「え?」
「俺の名前。お前は?」
「私はリディアですけど……」
「リディア。お前の作るもの、すごく好き」
シエル、と名乗った彼は、二個目のパンを満足そうに頬張りながら、とても無防備に微笑んだ。
それからというもの。
シエルは本当に、毎日私の店にやってくるようになった。
昼下がり、私がお店で薬草の葉っぱを天日干ししたり、お鍋をかき混ぜたりしていると、ふらりと扉が開く。
「……来たよ」
彼はそれだけ言うと、迷うことなく店の奥のソファ――すっかり彼の『指定席』になってしまった場所――に寝転がり、私が淹れた温かくて甘いお茶を飲みながら、スースーと昼寝を始めるのだ。
「シエルさん、また王宮のお仕事をサボりですか?」
「んー……だって、うるさいんだもん。リディアのここが一番静かだし、いい匂いがする」
クッションを抱きしめながら、彼はうとうとと答える。
どうやら彼は、王宮でもかなり偉い魔術師様らしい。けれど、彼は難しい話は一切しない。「このお花、甘くなる?」「この木の実、ジャムにして」と、どこからか摘んできた(実はものすごく高価な珍しい植物だったりするのだけれど、私は気づいていない)草花を私に手渡してくるだけだ。
私がそれをゆっくりお鍋で煮詰めて、甘いお菓子や飲み物にしてあげると、彼は心底幸せそうな顔をしてそれを口にする。
「リディアはすごいね。ただの草っぱらが、こんなに甘くなる」
「時間をかけて煮出しているだけですよ。流行りの作り方じゃないから、誰にも褒められませんけど」
「俺が褒める。……世界で一番、リディアの淹れるお茶が美味しい」
そう言って、彼は私の肩にこつんと自分の頭を乗せてくる。
体温が高くて、甘えるようなその仕草に、私は少しだけ胸の奥がくすぐったくなる。
「もう……しょうがないですね。次は何を作ってほしいですか?」
「ん……甘くて、冷たいの」
「ふふっ、わかりました」
静かな路地裏の店の中。
お鍋がコトコトと鳴る心地よい音と、甘い香りに包まれながら、綺麗でマイペースな野良猫との平和な日常は、今日も静かに続いていくのだった。
❇❇❇
シエルが私のお店に居着くようになってから、ふた月ほどが経った。
彼は相変わらず、王宮の仕事を頻繁にサボっては私の店にやってくる。
お店の奥のふかふかなソファはすっかり彼の特等席になり、私がキッチンでコトコトとお鍋を煮込む音や、甘いハーブの香りに包まれながら、彼はいつも気持ちよさそうにスースーと眠っている。
「シエル、今日は木の実のお茶と、焼きリンゴの蜂蜜がけですよ」
「ん……食べる。リディアのご飯、すごく好き」
私が声をかけると、シエルは毛布からゆっくりと這い出し、とろんとした目で焼きリンゴを頬張る。相変わらず猫のようにマイペースだけれど、私の作ったものを「美味しい」と食べてくれる彼の姿を見るのは、私にとっても一番の幸せな時間になっていた。
そんな、いつもの穏やかな午後のことだった。
バンッ! と、乱暴な音を立ててお店の扉が開かれた。
「おい、こんな薄汚い路地裏の店に、本当にいらっしゃるのか!」
土足で踏み込んできたのは、立派な鎧を着た王宮の騎士たちと、偉そうな服を着た貴族の男だった。彼らは狭い店内をジロジロと見回し、鼻を覆って顔をしかめた。
「なんだこの店は。甘ったるい匂いばかりで、まともな薬一つ置いていないではないか! おい平民、ここに銀髪の……」
男が怒鳴り声を上げた、その時だった。
「……うるさい」
底冷えするような、ひどく冷たい声が響いた。
お店の奥のソファから、シエルがゆっくりと身を起こす。いつもは気怠げでぽやんとしている彼のガラス玉のような瞳が、今は凍りつくような吹雪の色をして、侵入者たちを見下ろしていた。
「シ、シエル様! やはりこんな所にいらしたのですね! さあ、王宮へお戻りください。こんな薬の匂いもしないような下賎な店に、あなた様のような方が長居するなど……」
「……俺の言葉が聞こえなかったの?」
シエルが低く呟いた瞬間、店内の空気がビリッと震えた。
理屈などない、ただ圧倒的で純粋な「魔力の重圧」だった。目に見えない巨大な氷の塊で上から押し潰されたように、騎士たちも貴族の男も、一瞬にして顔を真っ青にさせてその場にへたり込んでしまった。
「ひっ……!」
「俺は、うるさいのが一番嫌いなの。せっかく静かで、いい匂いがして、気持ちよく寝てたのに……」
シエルはゆっくりと歩み寄ると、震える彼らを冷たく見下ろした。
「ここはお前たちが泥靴で踏み入っていい場所じゃない。俺の、大事な場所。……二度と、俺の静寂を邪魔しないで」
その言葉には、有無を言わせない絶対的な力があった。
貴族の男たちはガチガチと歯を鳴らし、「も、申し訳ございません!」と悲鳴を上げながら、逃げるように店から転がり出ていった。
バタン、と扉が閉まり、店内には再びコトコトとお鍋の煮える音だけが戻ってきた。
「……あーあ。せっかくの昼寝が台無し」
シエルはふうっとため息をつくと、先ほどの恐ろしい空気を嘘のように消し去り、いつものぽやんとした足取りで私の元へ歩いてきた。
そして、まだ驚いて固まっていた私の肩に、こつんと自分の頭を乗せてくる。
「……シエル、あの……」
「ん。ごめん、怖かった? でも、俺の場所を荒らす奴は嫌いだから」
彼はすりすりと、甘えるように私の首元に頬を寄せてくる。
少し冷たい彼の体温と、サラサラの銀糸の髪がくすぐったい。
「リディア、俺、ここから絶対にいなくならないよ。だから、ずっとここで甘いお茶だけ淹れてて。俺のためだけに」
「もう……本当に、我がままなんだから」
「うん。リディアにしか我がまま言わない。……ねぇ、さっきの焼きリンゴ、もう一個ちょうだい」
甘い声でおねだりをしてくる綺麗な迷い猫に、私は小さく息を吐いて微笑んだ。
私がキッチンへ向かうのを見送った後――シエルは一人、ソファに深く腰を沈めた。
彼はそっと、自分の左手の手袋を外す。
そこには、王宮が推奨する『宝石の薬』を飲み続けた代償――魔力回路が石化し、ひび割れた痛々しい痕があった。
かつては手首まで広がっていた死の呪い。しかし今は、その石化が指先の一部にまで退行している。
リディアの淹れる「不純物ゼロの甘いお茶」が、王宮の誰も治せなかった彼の致命傷を、毎日少しずつ、確実に溶かして癒やしていたのだ。
(……馬鹿な奴らだ)
シエルは、先ほど逃げていった貴族たちが去った扉を、氷のように冷たい瞳で見つめた。
国の上層部はまだ気づいていない。自分たちが「優れた薬」だと信じている宝石の薬が、国中の魔術師と騎士をゆっくりと殺している猛毒であることに。
そして、路地裏で「失敗作」として笑われているこの甘いお茶こそが、世界を救う唯一の神薬であることにも。
(もしこの事実が知れ渡れば、リディアは国に幽閉されて、一生、鎖に繋がれた薬作りの道具にされる)
そんなことは、絶対にさせない。
シエルは手袋をはめ直すと、静かに目を閉じた。
彼女には、何も教えなくていい。
彼女はただ、この静かな店で「今日も美味しくできた」と無邪気に笑ってくれていればいいのだ。
彼女を嗅ぎ回るネズミは、すべて自分が裏で潰す。国全体を敵に回し、王宮を丸ごと沈めることになっても、この温かくて甘い居場所だけは、俺が完璧に守り抜く。
「……お待たせしました、シエル。今度はシナモンを少し多めに振りましたよ」
キッチンの奥から、のほほんとした彼女の声が聞こえてくる。
シエルは纏っていた冷酷な気配を瞬時に霧散させると、いつものとろんとした目をこすりながら、のそのそと立ち上がった。
「ん……食べる。リディア、俺やっぱりここが一番好き」
世界で一番我がままで、誰よりも残酷な迷い猫は、今日も路地裏の特等席で甘いお茶を飲みながら、愛しい彼女の前だけで、無防備な寝息を立てるのだった。




