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国起こしの六神子(むくにおこしのろくみこ)  作者: 文月(あやつき)


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第5話「濁流の記憶」

主要人物

六神子ろくみこ

天候あまさふの神子 澪依みおり 12歳 風と天気を読む 海守の血筋

火降ひふりの神子 咲耶さくや 13歳 剣の達人 「火鷲ひわし」の末裔で荒ぶる血を持つ

結道ゆいみちの神子 羽津はづ 13歳 人と人、道と道を結ぶ 皆の母親的存在

森祝もりはふりの神子 若名わかな 12歳 動物や植物の声を聴く

音鎮おとしずめの神子 小依こより 11歳 最年少 笛で魂を鎮める

土開つちひらきの神子 紫乃しの 13歳 土を操る 小依の姉のような存在 

 樹ノ国を発って三日。


 六神子は文月(ふづき)へと近づいていた。


「羽津、故郷やな」


 澪依が言った。


「緊張しとる?」


「そないなことあらへんえ」


 羽津は穏やかに微笑んだ。


「久しぶりやけど、懐かしいだけや」


「羽津は覚えとるんやったな、故郷のこと」


 咲耶が言った。


「うん。よう覚えてる。父の書庫の匂いとか、墨の香りとか」


 羽津の目が、少し遠くなった。


「父はもうおらへんけど……書庫は親戚が守ってくれてはる」


「お父さん、どんな人やったん?」


 小依が聞いた。


「厳しい人やったえ。でも、優しかった」


 羽津は懐かしそうに言った。


「文字を教えてくれはったん、父や。『言葉は残る。人は死んでも、言葉は残る』て」


「ええお父さんやったんやな」


「うん……」


 羽津は小さく頷いた。


「会いたいなあ、て思うことはあるえ。今でも」


 六人は黙って歩いた。


 それぞれの故郷、それぞれの家族。覚えている者も、覚えていない者もいる。


 けれど、想いは同じだった。


  ◇


 文月は古い都だった。


 かつては栄えた町。今は静かだが、歴史の重みが漂っている。


「ここが羽津の故郷かあ」


 紫乃が見回した。


「なんや、落ち着いた町やな」


「文月は文書を守る家系が多いんや」


 羽津が説明した。


「古い記録、神話の写本、そういうもんを代々守り伝えてきた」


「羽津の家も?」


「うん。結道(ゆいみち)の家は、特に古い文献を預かってた」


 町を歩くと、人々が羽津に気づいた。


「あれは……羽津ちゃんやないか」


「結道の娘が帰ってきはった」


 口々に声が上がる。羽津は丁寧に頭を下げながら歩いた。


「皆さん、お元気そうで何よりどす」


「大きゅうなって……お父さんに似てきはったなあ」


 老婆が目を細めた。羽津の目が、一瞬潤んだ。


「おおきに……」


  ◇


 結道の屋敷は、町の奥まった場所にあった。


 古い木造の建物。手入れは行き届いているが、どこか寂しげだ。


 戸を叩くと、中から女性が出てきた。四十がらみ、羽津に似た穏やかな顔立ち。


「——羽津ちゃん」


「叔母さん、お久しぶりどす」


 羽津が深く頭を下げた。


「まあまあ、大きゅうなって……」


 叔母は羽津を抱きしめた。


「よう来てくれはった。さ、上がって。皆さんも、どうぞ」


 六人は屋敷に招かれた。


  ◇


 座敷で茶を出された。


 叔母は六神子を見回して、感慨深げに言った。


「神子さま方が揃って来てくださるとは……何かあったんどすか」


「おおきみさまのみことのりで、国の異変を調べとります」


 澪依が答えた。


「各地で、土地が病んでます。その原因を探っとるところで」


「原因……」


 叔母の顔が曇った。


「この町でも、おかしなことが起きてますえ」


「おかしなこと?」


「川が濁るんどす。時々、何の前触れもなく」


 羽津が眉をひそめた。


「濁る?」


「ええ。澄んでた水が急に濁って、魚が浮く。半日ほどで戻るんやけど……気味が悪うて」


「いつ頃からどすか」


「ひと月より前から。最初は何かの間違いやと思うてたんやけど、何度も続くもんやから……」


 六神子は顔を見合わせた。拓土(ひらきつち)樹ノ国(きのくに)も、異変が始まったのはひと月ほど前と聞いた。


「叔母さん」


 羽津が言った。


「父の書庫、見せてもらえますか」


「もちろんどす。羽津ちゃんの家やもの」


 叔母は立ち上がった。


「こっちや。昔のまま、残してあるえ」


  ◇


 書庫は屋敷の奥にあった。


 戸を開けると、墨と紙の匂いが漂ってきた。


「——」


 羽津が足を止めた。


「どうした?」


 咲耶が声をかけた。


「……ううん」


 羽津は首を振った。けれど、その目は潤んでいた。


「懐かしいなあ、思うて」


 書庫に入る。棚には古い巻物や写本がぎっしりと並んでいる。


「すごい量やな……」


 紫乃が圧倒されたように言った。


「これ全部、羽津の家が守ってきたん?」


「何代もかけてな」


 羽津は棚を見上げた。


「父はここで毎日、文献を読んでた。うちも小ちゃい頃から、ここで字を教えてもろた」


 羽津は棚の間を歩いた。指先で背表紙に触れる。


「ここや」


 一つの棚の前で足を止めた。


「古い神話の写本。国の始まりの話が書いてあるはず」


 巻物を取り出す。丁寧に開いた。


「……あった」


 羽津の目が光った。


「『根津日神』」


  ◇


 六人は書庫の床に座り、羽津が巻物を読み上げた。


「『初代おおきみ、国を結びたまひし時、根津日神(ねつひのかみ)と相対す。根津日神は死と眠りを司る神なり。土地を休ませ、命を巡らす役を担ふ』」


「土地を休ませる……」


 若名が呟いた。


「悪い神さんやないんやな」


「続きがあるえ」


 羽津は巻物を繰った。


「『されど、人増え、土地を求む。初代おおきみ、民のために土地を拓く。根津日神、これを咎む。土地を休ませねば、やがて枯れると』」


「揉めたんやな」


 紫乃が言った。


「『初代おおきみ、根津日神と戦ふ。されど討つ能はず。討てば、土地を休ませる理も失はる。故に封ず。海の底の、境の地に。己が寿命の半ばを代償として』」


「海の底……」


 澪依が息を呑んだ。


「『封は、おおきみの血と霊力にて保たる。血薄れ、霊力衰ふれば、封は緩む。後の世の者よ、備へよ』」


 沈黙が落ちた。


「おおきみさまの霊力が弱っとう……」


 小依が震える声で言った。


「税を取らへんから……民からの捧げもんがないから……」


「せやから封印が緩んどるんか」


 咲耶が拳を握った。


「ほな、おおきみさまのせいやいうんか」


「違う」


 羽津が静かに言った。


「おおきみさまは民のために誓いを立てはった。それは正しいことや。けど、結果として封印が緩んだ。誰が悪いいう話やないえ」


「ほな、どないしたらええんや」


「封印を、強め直すか——」


 羽津は巻物の続きを探した。


「あるいは、根津日神を……」


 手が止まった。


「……討つか」


 重い言葉だった。


  ◇


 日が暮れた。


 六人は屋敷に泊めてもらうことになった。


 夕餉の席で、叔母が羽津に話しかけた。


「羽津ちゃん、疲れたやろ。今日はゆっくり休み」


「おおきに、叔母さん」


「お父さんの部屋、そのままにしてあるえ。使うてええよ」


 羽津の箸が止まった。


「……ええの?」


「当たり前やないの。羽津ちゃんの家なんやから」


 羽津の目から、涙がこぼれた。


「叔母さん……」


「ほら、泣かんと。皆さんの前やで」


「ごめんなさい……ごめん……」


 羽津は顔を覆った。


 五人は黙って見守った。


 普段は皆のお母さんのような羽津。しっかり者で、穏やかで、誰よりも落ち着いている羽津。


 その羽津が、故郷では一人の娘に戻っていた。


「羽津」


 咲耶が静かに言った。


「今夜は甘えたらええ。うちらがおるから」


「……おおきに」


 羽津は涙を拭いた。


「ほんま、情けないなあ。皆の前で泣いてしもて」


「情けないことあらへん」


 小依が羽津の手を握った。


「羽津姉かて、泣きたいときあるやろ〜。いつもうちらのこと支えてくれとうんやから〜」


「小依……」


「今日はうちらが支える番や」


 紫乃が言った。


「遠慮すんな」


 羽津は皆の顔を見回した。


 そして、また泣いた。


 今度は、嬉しくて。


  ◇


 夜。


 羽津は父の部屋で横になっていた。


 眠れなかった。


 天井を見つめる。


 この部屋で、父は文献を読んでいた。この部屋で、字を教えてくれた。この部屋で、最期を迎えた。


「お父さん……」


 羽津は呟いた。


「うち、ちゃんとできてるかなあ」


 返事はない。当たり前だ。


「皆のこと、支えられてるかなあ。道、間違えてへんかなあ」


 涙が頬を伝った。


「会いたいなあ……お父さんに会いたい……」


 声を殺して泣いた。


 障子の向こうで、誰かが座る気配がした。


 羽津は気づいていた。けれど、何も言わなかった。


 障子の向こうの誰かも、何も言わなかった。


 ただ、そこにいてくれた。


 それだけで、羽津の心は少し軽くなった。


  ◇


 翌朝。


 羽津はいつものように早起きして、朝餉の支度を手伝っていた。


「羽津姉、顔洗ってきたら〜?」


 小依が言った。


「目、腫れとうよ〜」


「あら、ほんま?」


 羽津は目をこすった。


「ごめんなさいな、みっともないとこ見せて」


「みっともないことあらへん」


 紫乃が言った。


「昨日も言うたやろ」


「……おおきに」


 羽津は微笑んだ。


 昨夜、障子の向こうにいたのは紫乃だった。何も言わず、ただ傍にいてくれた。


「さ、今日も調べもんの続きやな」


 澪依が言った。


「封印の場所、もっと詳しく知りたい」


「そうやね。まだ読んでへん文献もあるし」


 羽津は頷いた。


 目は腫れていたが、声はいつもの穏やかさを取り戻していた。


「急がんでも、道は逃げまへん。けど——」


 皆を見回した。


「待っとられる人らがおる。早う答えを見つけなあかんね」


  ◇


 書庫で、羽津は別の巻物を見つけた。


「これや……封印の場所が書いてある」


「どこや」


「『海の底の、さらに下。境の地。初代おおきみ、そこに神殿を築き、根津日神を封ず』」


「境の地……この世とあの世の境いうことか」


 咲耶が言った。


「どこの海や」


「書いてへん……けど、手がかりはあるえ」


 羽津は巻物を示した。


「『潮満つ浦、神降りし地より、海底への道開く』」


「潮満つ浦……」


 澪依の顔色が変わった。


「それ、潮津(しおつ)のことやないか」


「澪依の故郷か」


「潮津には古い言い伝えがある。海の底に神さまがおる、て。漁師は皆知っとる」


 六人は顔を見合わせた。


「次は潮津やな」


 紫乃が言った。


「澪依、覚悟はええか」


「……ああ」


 澪依は頷いた。


「正直、怖いわ。けど——」


 空を見上げた。


「空は、嘘つかへん。行かなあかんのなら、行く」


  ◇


 文月を発つ日。


 叔母が羽津を見送りに出た。


「気ぃつけてな、羽津ちゃん」


「おおきに、叔母さん。書庫、また来るえ」


「いつでもおいで。ここは羽津ちゃんの家なんやから」


 羽津は叔母を抱きしめた。


「お父さんの分も、守っててな」


「当たり前やないの」


 叔母も羽津を抱きしめ返した。


「お父さん、見とってくれてはるえ。羽津ちゃんのこと、誇りに思うてはるわ」


「……おおきに」


 羽津は涙を堪えて微笑んだ。


 六人は歩き出した。


 次の目的地は、潮津。


 澪依の故郷。


 海の底に眠る、封印の秘密を求めて。


訪れた土地

拓土ひらきつち 農耕の里 紫乃の故郷 山神を祀る

・樹ノきのくに 深い森に囲まれた里。若名の故郷。森の精霊が住む

文月ふづき 学問の里。羽津の故郷。古い文献が残る

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