第11話「根津日神」
主要人物
六神子
・天候の神子 澪依 12歳 風と天気を読む 海守の血筋
・火降の神子 咲耶 13歳 剣の達人 「火鷲」の末裔で荒ぶる血を持つ
・結道の神子 羽津 13歳 人と人、道と道を結ぶ 皆の母親的存在
・森祝の神子 若名 12歳 動物や植物の声を聴く
・音鎮の神子 小依 11歳 最年少 笛で魂を鎮める
・土開の神子 紫乃 13歳 土を操る 小依の姉のような存在
根津日神は、巨大だった。
人の形をしているが、その身は黒い靄に包まれている。
顔は見えない。ただ、赤い目だけが光っている。
『六神子よ。何故来た』
低い声が響く。
『我を討つためか。我を滅ぼすためか』
「あんたを討ちに来た」
咲耶が剣を構えた。
「この国を、守るために」
『国を守る、か』
根津日神が笑った。
笑い声が、禁域全体に響き渡る。
『笑わせる。国を守るために我を封じた者たちが、国を滅ぼしたのだ』
「何を——」
『我は土地を休ませる神だった。命を巡らせる神だった。それを、人の都合で封じた』
根津日神の声が、怒りを帯びた。
『土地を休ませなければ、命は枯れる。我を封じたから、国が疲弊したのだ。わかるか、六神子よ』
「……」
『我を封じた初代おおきみも、それを知っておった。だから、己の寿命の半ばを代償にした。それでも封じた。人の欲のために』
「けど、あんたは今、暴れとるやろ」
澪依が言った。
「瘴気を撒き散らして、土地を枯らして、人を苦しめとる」
『我が望んでそうしておると思うか』
根津日神の声が、悲しげになった。
『長い封印の間に、我の心は壊れた。憎しみと怒りだけが残った。今の我は、かつての我ではない』
「ほな、なおさら討たなあかん」
咲耶が言った。
「あんたがあんたやなくなったんなら、楽にしたる」
『——楽に、か』
根津日神が沈黙した。
そして——
『できるものなら、やってみよ』
黒い靄が、爆発した。
◇
「散れ!」
澪依が叫んだ。
六人が四方に飛ぶ。
黒い靄が、さっきまで立っていた場所を覆い尽くした。
「触れたらあかん! 瘴気や!」
「わかっとる!」
咲耶が根津日神に斬りかかった。
しかし、剣が届かない。黒い靄が、盾のように咲耶を弾く。
「くそ——!」
『無駄だ。我に人の剣は届かぬ』
「ほな、これはどうや!」
紫乃が地面に手をついた。
土開の神子の御業。
海底の岩が盛り上がり、根津日神に向かって突き上がる。
しかし——
『土も同じこと』
根津日神が手を振ると、岩が粉々に砕けた。
「なんて力や……」
「若名、弱点は!」
澪依が叫んだ。
「探しとる! けど、わからへん! あの靄が邪魔で——」
『森祝の神子か。我の声を聴こうとしても無駄だ。我はもはや、声を持たぬ』
根津日神が腕を振った。
黒い靄が、波のように六人に襲いかかる。
「避けて!」
六人は必死に逃げた。
しかし、靄は速い。
「小依!」
羽津が小依を庇った。
靄が羽津の腕をかすめる。
「——っ!」
「羽津姉!」
「大丈夫や……かすっただけや……」
羽津の腕が、黒く染まっていた。
瘴気が、傷口から入り込んでいる。
「羽津、下がれ!」
紫乃が羽津を引っ張った。
「小依、笛吹けるか!」
「やってみる〜!」
小依が笛を構えた。
鎮魂の調べを吹く。
しかし——
『無駄だと言った』
根津日神が笑った。
『我は生きた神ではない。死にかけの神だ。鎮魂の笛など、効かぬ』
「嘘や〜……」
小依の顔が青ざめた。
「うちの笛、効かへんの〜……?」
『お前の笛は、生ある者を鎮める笛だ。我のように、半ば死んだ者には届かぬ』
「そんな……」
◇
「——勾玉や」
澪依が叫んだ。
「皆、うちに力を集めて!」
澪依が勾玉を取り出した。
おおきみから託された、六つの御業を束ねる宝。
「羽津、道を結んで!」
「わかった……!」
羽津が傷ついた腕で、御業を発動した。
六人の心が、繋がる。
勾玉が光った。
「——今や!」
六人の力が、一つになった。
澪依の天候、咲耶の火降、羽津の結道、若名の森祝、小依の音鎮、紫乃の土開。
六つの光が、勾玉に集まり、一つの輝きになる。
「受けてみぃ——!」
澪依が勾玉を掲げた。
白い光が、根津日神に向かって放たれた。
『——ぐ……!』
根津日神が、初めて苦悶の声を上げた。
黒い靄が、光に焼かれて薄れていく。
「効いとる!」
「押せ!」
六人は力を込めた。
光が強くなる。
根津日神の姿が、少しずつ見えてきた。
黒い靄の下に、本来の姿が——
◇
その時。
禁域の奥から、何かが湧き上がってきた。
黒い。深い。底知れない闇。
『——黄泉の闇か』
根津日神が呟いた。
『来たか。我を助けに来たか』
「何や、これ……!」
若名が震えた。
「声が……聞こえる……死者の声が、何万も……!」
黄泉の闇が、根津日神の背後から這い上がってきた。
根津日神を包み込む。
力を与える。
『——ありがたい』
根津日神の力が、膨れ上がった。
『黄泉の力を得た我に、お前たちは勝てぬ』
「くそ——!」
六人の光が、押し返され始めた。
「耐えて! 耐えるんや!」
澪依が叫んだ。
しかし、力の差は歴然だった。
少しずつ、少しずつ、押されていく。
◇
「——光の玉や!」
若名が叫んだ。
「山神さまからもろた、光の玉! あれを使うて!」
「何でや!」
「あれには、山の記憶が入っとる! 根津日神がまだ正気やった頃の記憶も!」
「それで何が——」
「見せるんや! あいつに、昔の自分を! そしたら、一瞬でも隙ができる!」
若名は懐から光の玉を取り出した。
山神から託された、山の記憶。
「頼む——!」
若名が光の玉を根津日神に向けて投げた。
玉が光り、過ぎし日の光景が浮かび上がった。
◇
それは、遠い昔の記憶だった。
緑豊かな山。清らかな水。穏やかな風。
そして——一柱の神が、土地を見守っていた。
優しい目をした神。
土地を休ませ、命を巡らせる神。
根津日神の、本来の姿。
『——これは……』
根津日神が、動きを止めた。
『我……我は、こんな姿を……』
黒い靄が、一瞬薄れた。
赤い目に、わずかな迷いが浮かんだ。
「——今や!」
咲耶が跳んだ。
全力で、根津日神に斬りかかる。
剣が、黒い靄を切り裂いた。
『——ぐああああ!』
根津日神が悲鳴を上げた。
確かな手応え。
咲耶の剣が、根津日神の体に届いた。
◇
しかし——
『——小賢しい』
根津日神が、咲耶を睨んだ。
黄泉の闇が、咲耶に向かって殺到した。
「咲耶!」
「避けて——!」
咲耶は避けようとした。
しかし、間に合わない。
その時——
「咲耶!」
小依が飛び出した。
咲耶を押しのけ、身代わりになった。
「小依——!」
黄泉の闘が、小依を直撃した。
◇
小依は、吹き飛ばされた。
岩壁に叩きつけられる。
「小依——!」
紫乃が駆け寄った。
「小依! しっかりせえ!」
「紫乃……姉……」
小依の体は傷だらけだった。
腕が、おかしな方向に曲がっている。
「腕が……笛、吹かれへん……」
「喋るな! 動くな!」
「ごめんな〜……うち、役立たずで〜……」
「何言うとんや! お前は——」
「咲耶は……無事〜……?」
紫乃は振り返った。
咲耶が立っていた。無事だった。
「無事や。お前のおかげで無事や」
「よかった〜……」
小依は笑った。
そして、意識を失った。
「小依——!」
◇
咲耶は、小依を見ていた。
自分を庇って、倒れた小依を。
「——小依」
咲耶の中で、何かが変わった。
血が、騒ぎ始めた。
斬れ。斬れ。斬れ。
あいつを斬れ。小依を傷つけたあいつを。
「咲耶……?」
澪依が、咲耶の異変に気づいた。
「咲耶、目が——」
咲耶の目が、赤く染まっていた。
高鷲の古戦場で見た、亡霊たちと同じ目。
「——守る」
咲耶が呟いた。
「うちが、守る。誰も、傷つけさせへん」
「咲耶、待て——!」
「小依の笛がない。ほな、うち一人で——」
咲耶が剣を構えた。
刃が、黒い光を帯びた。
「——荒ぶるしかないやろ」
咲耶が、根津日神に向かって跳んだ。
荒ぶる血を、完全に解き放って。
用語解説
・むくに
本作における「国」の読み。生まれつつある国、人の営みから立ち上がる国、完成していない国を意味する造語。国家・政治・支配といった概念が存在しない、形成途上にある共同体を表す。
・天津御座
神々の座す場所。国土は天津御座からお預かりしている。
・御業
六神子が持つ特殊な力。それぞれの属性に応じた能力を発揮する。
・瘴気
根津日神から漏れ出る穢れた気。土地を枯らし、生き物を狂わせる。
・鎮魂
魂を鎮め、安らかにする行為。小依の御業「音鎮」の本質。
・火鷲
高鷲に伝わる戦士の一族。かつて根津日神と戦った者たちの末裔。咲耶はこの血を引く。
・荒ぶる血
火鷲一族が持つ戦闘時に目覚める血。強大な力を得るが、自我を失う危険がある。
・黄泉の闇
死者の国・黄泉から這い上がる闇。根津日神に力を与えた。
訪れた土地
・拓土 農耕の里 紫乃の故郷 山神を祀る
・樹ノ国 深い森に囲まれた里。若名の故郷。森の精霊が住む
・文月 学問の里 羽津の故郷 古い文献が残る
・潮津 海辺の里 澪依の故郷 海守の一族が暮らす
・高鷲 山間の里 咲耶の故郷 火鷲一族の古戦場がある
・和邑 山あいの里 小依の故郷 鎮魂を司る一族が暮らす




