第1話「高き屋の誓い」
主要人物
六神子
・天候の神子 澪依 12歳 風と天気を読む 海守の血筋
・火降の神子 咲耶 13歳 剣の達人 「火鷲」の末裔で荒ぶる血を持つ
・結道の神子 羽津 13歳 人と人、道と道を結ぶ 皆の母親的存在
・森祝の神子 若名 12歳 動物や植物の声を聴く
・音鎮の神子 小依 11歳 最年少。笛で魂を鎮める
・土開の神子 紫乃 13歳 土を操る。小依の姉のような存在
朝靄の中、宮は静かに佇んでいた。
かつては朱塗りの柱も鮮やかだったという。今は色褪せ、所々に木目が浮き出ている。屋根の檜皮も傷みが目立つ。それでも、この宮には確かな気品があった。
貧しくとも、気高い。
この国を治めるおおきみの住まいである。
「澪依、また寝坊か」
渡り廊下を歩いていた紫乃が、欠伸をしながら現れた少女に声をかけた。
「寝坊ちゃうわ。空見てたんや」
天候の神子、澪依。まだ眠そうな目をこすりながら、それでも空への意識は怠らない。
「で、今日はどないな具合や」
「晴れる。三日は持つ」
「そら重畳やな」
紫乃は満足げに頷いた。土開の神子として、天候は常に気になるところだ。
二人が炊事場へ向かうと、すでに羽津が朝餉の支度をしていた。
「おはよう。お粥、もうちょっとで炊けるえ」
「おおきに、羽津姉」
澪依が礼を言う。
結道の神子、羽津。十三歳の最年長で、六神子のまとめ役——というより、お母さんのような存在だ。
「咲耶は?」
「もう鍛錬してはるよ。小依も一緒に」
紫乃が外を見ると、中庭で剣を振る咲耶の姿があった。傍らでは小依が座り、時折笛を唇に当てている。
火降の神子、咲耶。六神子の剣であり、盾。
音鎮の神子、小依。癒しと鎮魂を担う、最年少の神子。
「若名は?」
「庭の隅で木ぃと話してる」
「……いつものことやな」
森祝の神子、若名。彼女が何を見て、何を聴いているのか、他の五人にはわからない。わからないが、信じてはいる。
六人の神子。
年は十一から十三。幼いと言えば幼い。されど、天津御座より印を授かり、それぞれの御業を修めた者たち。
おおきみに仕え、国のために働く。それが彼女たちの務めだった。
「さ、朝餉にしよか。皆呼んできて」
羽津の声で、紫乃と澪依が動く。
いつもと変わらない朝——のはずだった。
◇
朝餉の席に、おおきみの姿はない。
いつものことだ。おおきみは夜明け前から祈祷を行い、朝餉は一人で摂る。六神子と食卓を囲むのは、夕餉の時だけと決まっていた。
「なあ、また遣いが来てたやろ」
粥を啜りながら、咲耶が言った。
「ああ、見た。東の里からやったな」
紫乃が頷く。
「また凶報やろか〜」
小依が不安げに箸を止める。羽津がそっと背中に手を当てた。
「近頃、多いな」
澪依が呟く。空を見る目が、少し曇った。
「凶作、水枯れ、妖の出没——」
羽津が静かに並べる。
「どれも年々酷うなってる。おおきみさまも、ご心痛やろな」
「おおきみさまは、税取ろうとしやん」
若名が、ぽつりと言った。
「民の暮らし良うなるまでは——て」
「せやから、宮がこないに貧しいんや」
紫乃が周囲を見渡す。質素な器、簡素な膳。かつての栄華など、どこにもない。
「うちらに何かできることないんか」
咲耶が箸を置いた。
「おおきみさまを、この国を——」
その目に、強い光が宿っていた。
◇
昼過ぎ、六神子は師たちの部屋を訪ねた。
六人の老人が静かに座している。それぞれが六神子に御業を授けた師であり、代々おおきみに長く仕えてきた側近でもあった。
「話は聞いた」
澪依の師、雲見の翁が口を開いた。
「おおきみさまに直接お願いするつもりか」
「はい」
咲耶が一歩前に出る。
「各地を巡り、災いの元を調べたいのです。うちらにしかできへんことがあるはずや」
「……」
師たちは顔を見合わせた。
「お前たちは、もう儂らを超えておる」
咲耶の師、焔守の翁が言った。
「教えることは、とうにない。後は——」
「託すだけ、やな」
紫乃の師、土祀の媼が続けた。
「おおきみさまがお許しになるなら、儂らに否やはない」
六神子は深く頭を下げた。
◇
夕刻、六神子はおおきみの御前にいた。
広間には薄暗い灯火が揺れている。贅を尽くした調度などない。あるのは質素な畳と、一段高い座だけ。
そこに、おおきみは座していた。
二十代半ばの若さ。しかし、その目には深い憂いが宿っている。粗末な衣を纏い、痩せた体躯。それでも、確かな威厳があった。
「顔を上げよ」
静かな声が響く。
六神子が顔を上げると、おおきみは一人ひとりの顔を見渡した。
「話は聞いた。各地を巡り、災いの元を調べたいと」
「はい、おおきみさま」
咲耶が答える。
「この国に何が起きているのか、うちらの目で確かめとうございます」
「なぜ、そう思う」
「——おおきみさまが、削られておいでだからです」
咲耶の声が、少し震えた。
「税を取らぬという誓い。民を想うお心。それがおおきみさまのお体を蝕んでいることを、うちらは知っています」
おおきみは目を閉じた。
「知っておったか」
「はい。うちらは神子です。お傍に仕える者として、わからぬはずがありません」
沈黙が落ちた。
灯火が揺れる。
「——税は取らぬ」
おおきみが口を開いた。
「民の暮らしが良くなるまで、税は取らぬ。吾が即位の日に立てた誓いだ」
「存じております」
「この誓いは、天津御座に対するもの。吾自身にも、破ることはできぬ」
おおきみの目が開いた。そこには、揺るがぬ意志があった。
「されど——民の暮らしは、良くならぬ」
声に、微かな苦しみが滲む。
「凶作は続き、水は枯れ、妖が出る。何かが、この国を蝕んでおる」
「その何かを、突き止めとうございます」
澪依が言った。
「空を見ても、災いの兆しがわからへんのです。今までにないことが起きてる」
「地脈も乱れてます」
紫乃が続く。
「森も怯えとるよ」
若名も頷く。
「古い文献に、何か手がかりがあるかもしれまへん」
羽津が言う。
「うちの笛で、何か聞こえるかも〜」
小依も声を上げた。
「——六神子」
おおきみが、改めて六人を見た。
「お前たちは、幼い」
「はい」
「されど、お前たちほど御業に優れた者を、吾は知らぬ」
「……ありがとうございます」
「危険な旅になろう」
「覚悟の上です」
咲耶が即答した。
「命を懸けます。この国のために——おおきみさまのために」
長い沈黙があった。
灯火が、ゆらりと揺れる。
「——よかろう」
おおきみが頷いた。
「そなたらに、託す」
その言葉に、六神子は深く頭を下げた。
◇
翌朝。
宮の門前に、六人の少女が立っていた。
旅装束に身を包み、それぞれの道具を携えている。澪依は空を読む器具を、咲耶は剣を、羽津は古文書の写しを、若名は木の実や種を、小依は笛を、紫乃は土を読む道具を。
師たちが見送りに出ていた。
「無茶はするなよ」
「お体に気をつけて」
「困ったら、己の御業を信じよ」
口々に言葉をかける。六神子は一人ひとり、師に頭を下げた。
「行ってきます」
「必ず、戻ります」
そして——
「六神子よ」
おおきみの声がした。
振り返ると、おおきみ自身が門まで出てきていた。師たちが驚いて道を開ける。
「おおきみさま、なんでこないなところまで——」
澪依が声を上げた。
「最後に、伝えておきたいことがある」
おおきみは六人の前に立った。
朝日を背に、逆光の中でその表情は見えない。
「吾の誓いは、民のためだった。されど——」
一瞬、言葉が途切れる。
「——無理はするな。お前たちもまた、吾の守りたいものだ」
六神子は息を呑んだ。
おおきみが、こんな言葉を口にするとは。
「おおきみさま——」
「行け」
短く、しかし温かく。
「待っておる」
六神子は、深く深く頭を下げた。
◇
宮を出て、しばらく歩いた。
街道に出ると、澪依が空を見上げた。
「——晴れてるな」
「ええ天気やね」
羽津が微笑む。
「で、どこから行く?」
紫乃が問う。六人が立ち止まった。
「まず東やろ」
澪依が言った。
「遣いが来てた里。凶作と水枯れ——」
「拓土やな」
紫乃の声が、少し強張った。
「紫乃の故郷やんか」
小依が見上げる。
「……ああ」
紫乃は頷いた。
「正直、気は重い。けど——」
前を向く。
「やからこそ、行かなあかん」
「うん」
咲耶が紫乃の肩を叩いた。
「皆一緒や。大丈夫」
六人は歩き出した。
東へ。
最初の目的地、拓土へ向けて。
空は晴れていた。
されど澪依は気づいていた。
遠くの空に、小さな雲が一つ。
嫌な予感を孕んだ、黒い雲が——。
用語解説
・むくに
本作における「国」の読み。生まれつつある国、人の営みから立ち上がる国、完成していない国を意味する造語。国家・政治・支配といった概念が存在しない、形成途上にある共同体を表す。
・天津御座
神々の座す場所。国土は天津御座からお預かりしている。
・御業
六神子が持つ特殊な力。それぞれの属性に応じた能力を発揮する。




