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Scene#2 営庭

「××期学生総員七十五名、事故なし、現在員七十五名。集合終わり」

 当直学生が、敬礼ののち、訓練指揮官である学生隊長に報告した。

 各区隊がデジタルパターンの迷彩服姿で整列し、背中には背嚢、肩からは小銃を吊れ銃していた。

「休め! ただ今から、三〇キロ野外徒歩訓練を実施する」

 空は雲がかなり低い高度で垂れこめている。九月中旬にしては、やや気温が高く、湿度も感じられた。気象予報では一時雨が降るとの予想だった。学生隊長は行進の目的や安全管理について訓示したあと、

「本日は悪天候が予想される。また行進経路はアップダウンがあって疲労も重なるだろう。だが、最後まで元気・やる気・負けん気を発揮して、全員が完歩することを要望する」と結んだ。

「気を付け! かかります」

 学生隊長は答礼して、学生たちの前を離れた。

 四十五名の学生は、一列を作って正門を目指す。

 三十キロ野外徒歩訓練は基地外の一般道を経路として、自分の足で歩く訓練である。

 陸自でも行われるが、体力や気力の練成手段として空自でも実施されている。

 航空学生だけでなく、自衛官候補生、一般曹候補生、さらに幹部候補生の課程でも行われるが、もちろんピクニックではないから、武器携行の上、服装も戦闘訓練と同じである。

 男女に違いはない。

 星華たち女子学生は、区隊の最後尾に着いた。

「っつたく、あたしら空自よ。陸じゃなかて」

 と、ケイは歩きながら不満を漏らしたが、何人かの男子学生もあるいは同じことを考えていたかも知れない。

 支給されて約三か月が経過した編上靴には足が十分慣れておらず、数キロ歩き続けると、足に触れている部分が痛みを感じさせるようになる。

「休憩五分前」

 前方の学生から、逐次に逓伝されてくる。

 やがて時間が来ると、道路の片側に一列になって腰を下ろし、一〇分間の休憩となる。

「水分の補給を忘れるな。但し、飲み過ぎると水筒が空になるぞ。大休止まで補給はないからな」

 休憩する学生たちの間を回って、助教が指導して回る。

 時間の経過に伴って、気温は上昇しているようだった。

「いつっ……」

 星華も腰を下ろして、編上靴のひもをほどいた。

 既に両足の裏に違和感を生じていた。

 足の甲も痛みを訴えている。

 行進は、まだ三分一も終わっていない。

 銃を下げる右の肩も痛んだ。

「あー、れるぅ」

 そういって、ケイは水筒の中身を咽喉に流し込んだあとで、キャンディを口に放り込んだ。

「天辺、あんたもどう?」

 と、掌に載せたキャンディを勧めてきた。

「ありがとう。頂きます」

 休憩時間は残り少ない。そろそろひもを結び直して、出発できるようにしなければならなかった。

「どう、藤堂、要る?」

 ケイは反対側の玲子にも差し出したが、玲子は、

「いえ、結構よ……」

 言葉少なに断った。

 星華には、変な気がした。

 昨日の夜から玲子の様子がおかしかった。

 夜の寝つきが悪かったようだし、朝の食事もあまり摂っていない。

 口数も少なく、顔色も冴えない。

 いつもなら他の二人を励ますような態度を取るところ、今日は明らかに表情からして沈んでいる。

「出発三分前!」

 加藤区隊長の声が響いた。

 学生たちは、身支度を整えて立ち上がる。

 背嚢を背負って、星華たちもそれに習った。

 ここから先は登り坂である。

 その時、とうとう曇っていた空から雨粒が落ち始めた。

「あーあ、雨だよ、くそ」

「最悪」

 口々に学生たちは運命を嘆き始めた。

「出発を五分延期。全員雨衣着用」

 指示が出された。

 学生たちは一度背負った背嚢を下ろし、なかからグリーンのセパレーツ式雨衣を取り出して、それらを着用し始める。

 雨衣は確かに雨から身体を守るが、一方で体温を上昇させ、発汗量も増大し、着用間の負担が馬鹿にならない。

「前進」

 第一区隊から逐次行進を再開する。

 9月下旬にしてはかなり気温が高くなっていた。

 無言のまま、学生たちは坂を登って行った。

「あー、暑ち。たまらんわ」

 他の者はいわないようにしている、いうとそれだけ辛くなることを平気で口にした。

 星華も、「暑い……早く終わって」

 とこぼしたいのが正直なところだった。

 頭の上では鉄帽が重くのしかかる。

 汗は次々と額から流れ落ちて、不快なことこの上なかった。

 その汗をぬぐおうと右手を挙げた次の瞬間、前を歩いていた玲子の背が突然縮んだ――ように見えた。

 人体が倒れ、そして右肩の銃が地面に落ちる金属音が響いた。

「藤堂さん!」

 数秒して星華はなにが起きたかを悟った。

 玲子が道路上に体を倒して動かなくなっていた。

「ちっと、藤堂!」

 ケイも駆け寄って玲子の状況を確かめようとした。

 玲子は両眼を閉じて肩で息をしている。

 顔は紅潮していた。

「班長! 藤堂学生が倒れました」

 星華が叫ぶ間もなく、水野二曹が走り寄った。

「天辺、山之内、手を貸しなさい」

 水野は玲子の体から銃と背嚢を離し、二人に手伝わせて服や靴を緩めた。

「衛生員、前へ」

 事態に気が付いた加藤の指示で、赤十字のマークが取り付けられた医療嚢を携行した衛生員が手当てを始めた。

 意識、呼吸、脈拍を確認したのち、体温を測定して、

「熱中症の可能性が高いと思われます。直ちに後送して、治療を受けさせるべきです」

 衛生員は、そう加藤に報告した。

 熱中症というと真夏の病気というイメージがあるが、実は五、六月や九月でも、気温や湿度、さらに体調によっては発症する例がある。

 玲子は、この時そういう条件の揃った状態にあった。

 随行していた青い車体の救急車が後部ドアを開いて、担架を携行した他の衛生員が玲子の身体を収容し、そのなかに運び込んだ。

 基地に戻し、医官の治療を受けさせるためである。

 救急車がサイレンを鳴り渡らせながら走り去ると、加藤が星華とケイの方に向き直った。

「藤堂の銃と背嚢、休憩地点まで、この二つは天辺と山之内で分担せよ」

 思わず二人は声を挙げてしまった。

「わたしたちで、ですか?」

「そげな酷いです!」

 だが加藤の指示は厳しかった。

「お前たちは同期だ。なにかあったら助け合うのが同期というものだ。急げ」

 男子の同期たちは、既に先行している。

 もう見えないところにまで行っていた。

「銃は山之内、背嚢は天辺で分担しなさい。休憩時間ごとに交代して、体力の消耗を防ぐように」

 水野の指導に渋々従って、ケイは両肩に銃を吊り、星華は自分の背嚢の上に玲子の背嚢を括り付けて背負った。

 肩の重みが痛みに変わりつつあった。

「前進。」

 二人の前後に、加藤と水野が付いた。

 黙々とだが、ケイは心のなかで悪態を吐きつつ、星華は苦悶の塊を飲み込みつつ坂を登り始めた。

「登りは、あと五百メートルだ。頑張れ。」

 靴を地面に接する度に、星華は両足の各四本の指の腹に痛みを感じるようになった。

 ――痛い。痛い。

 顔には、明白に苦しさが浮き出ている。

 坂の頂点で、指揮官車が停車している。迷彩服姿の幹部が立っていた。

「頑張れ! まだまだこれからだぞ!」

 激励する一佐がいた。――団司令の神崎だった。先頭を行く加藤が敬礼すると、神崎は答礼した。星華とケイは、前方斜め下を見て歩くのがやっとだった。

「ピシッとしなさい。これからは下りなんだから」

 ――でくっのかちゅうの!

 ――足が痛い。肩も痛い。……もうたくさん。

 水野の指導に対して、口に出せない言葉を飲み込みながら、二人は黙々と歩いた。

 いつしか雨は止んだ。

 大休止兼昼食は約一時間半ののちだった。

 道路脇の空き地になっている場所で、既に男子学生たちは背嚢を下ろし、銃を整頓して置いて、昼食に入っていた。

 同じ三区隊の地域に入って、重量物を下ろすと、星華もケイもへたり込んだ。暫くは、口を聞く気にもなれなかった。

「おい、飯だぞ」

 そういって、二人に昼食の缶飯を差し出したのは、同じ区隊の男子の仲村だった。

 男子のなかでは一番痩せていて、体力的にも星華に次ぐ立場で辛うじて体力測定に合格していた。

「……ありがとう」

 星華は、なんとかそう答えて主食と副食の缶二つを受け取った。

 缶切りを取り出して開封し、割箸を突き立てる。

 横を見ると、ケイは既に何口か平らげていた。

 それを見て、星華も箸を早める。

 ――負けていられない。

 少しだけ温かみの残った五目飯は余り美味ではなかったが、食べることも勝負だと思えた。

 おかしなところで闘争心が湧いたようだった。

「大丈夫か? 銃を二丁担いだと聞いたけど」

 ケイの横で聞いたのは、入隊式で代表学生を務めた飛田だった。

 学力だけでなく、体力もトップである。

 陸自から航空学生に合格して来たので、他の学生とは違って既に空士長の階級章を着けている。

 最近、ケイと話している場面がよく見られるようになった。

「編上靴は、緩めてなかの湿気を逃がしておけよ。足を守る秘訣だ。」

 ケイは頷いて、アドバイスに従った。

「藤堂さん、大丈夫かしら」

 後送された同期を気遣った星華に、ケイは、

「あいつがたおるいとは思わんかったわ。いつもは、しごかれてもどこっ風じゃってね」

 それは星華も同感だった。

 玲子は教場での座学はもちろん、野外での訓練も基本教練だろうと、戦闘訓練だろうと、男子学生と同等以上にこなしていた。

 かといって高ぶるところは見せず、特に理数系の知識に弱い面がある星華が分からないところを質問すると、丁寧に、時間をかけて教えてくれる。

 男子学生のなかには、わざわざ玲子に質問を持ち込んでいると思える者までいた。

 玲子には、弱点なんかないように思えていた。

「やっぱい、藤堂も人間じゃったわけね。ま、誰じゃっち完璧じゃねちゅこっか」

 ケイの感想に、星華は黙って頷いた。

「三区隊、注目!」

 大休止終了の十五分前になって、加藤二尉が声を挙げた。

「女子学生の藤堂が、熱中症と思われる症状で後送された。藤堂の銃と荷は、天辺と山之内で分担して来たが、後段は区隊全員で、交代で分担することとする。」

 これで星華とケイは、取り敢えず一・五人分の荷重から解放されることとなった。男子学生たちは、我先に手を伸ばすようにして装具やらなにやらを取り出して自分の背嚢のなかに入れた。

 ……辛い行進訓練は、一六時に終了した。消耗した、それでも少しはエネルギーを残していた学生たちが基地の正門に入ると、群本部や教育隊・学生隊の基幹隊員が列を作って待っていた。手を叩きながら、口々に学生たちの労をねぎらうセリフを投げかけた。

「お疲れー」

「頑張ったな」

「よーやった、よーやった」

 列の一番奥に、団司令が立って、やはり両手を叩いていた。

 群本部庁舎の前で三個区隊は整列し、学生隊長に行進の終了を報告した。

「――現在員七十四名。事故の一名は藤堂学生。現在入室中」

「ご苦労。ただ今を以って行進訓練を終了とする。ここからは、各区隊長の計画で行動せよ」

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