Scene#2 入間基地
防衛大臣一行を乗せたスーパーピューマは、予定の時刻に到着した。
駐機場で、U―4多用途支援機は離陸準備を完了していた。
北海道で発生した水害に対する災害派遣の現場を視察に赴く大臣を、これから輸送するのである。
「本日のフライトは、機長高坂俊一三佐、副機長小松恵子二尉が担当致します」
機体の前で整列したクルーを、航空総隊幕僚が紹介した。
女性の大臣は、副機長の方を向き、尋ねた。
「あなた、外国の方?」
それは、法的にはあり得ない疑問だったが、それほど副機長の外見は日本人のそれには見えなかったのである。
ケイは、大臣に向かって報告した。
「大臣、わたくしはアメリカ人を母に、アメリカで生まれ育ちました。しかし、現在はまったくの日本人です。わたくしの夫も子どもも日本人です」
小松恵子――旧姓は山之内であり、夫は二等陸曹小松正春である。
だが、ここに至るまでには、少々紆余曲折があった。
最初に、正春が借りているアパートに足を踏み入れた時、ケイは、
「ふうん、これがあたしとの結婚を渋っていた理由だったんだ……」
と呟いた。小松は、蛇に睨まれた蛙に等しかった。二人が現在いる1DKのアパートのなかは、美少女アニメのフィギュアやCD、DVD、写真集、同人誌といったもので、埋め尽くされていたのである。
中野とコミケに頻繁に通うのが、筋肉男のもう一つの正体だった。
「いや、そういうわけじゃなくて……だから、その」
「全部片づけて。この子が生まれるまでに全部よ」
「ええええ? 全部かよ! そんな殺生な」
泣き出しそうな小松の抗弁を、ケイは一言で却下した。
「当然でしょ。あたしは、自分の子どもを、オタクにはしたくないの!」
星華と治の結婚式で改めて出会った二人は、短時間で仲が進展した。
空挺団でも指折りの筋肉質である上に、男ぶりも悪くない小松に、ケイが夢中になるには、長い時間を必要としなかった。
だが、交際は進展しても、今一つ一線を越えて自分の望む方へ動こうとしない小松に、ケイは業を煮やした。
そして一計を案じ、小松をフェイクにかけ、絶対に逃げられない状況に追い込んだのである。
逃げようのない事実を産婦人科医の診断書という形で突きつけられて、小松は顔面蒼白になった。
「だって、お前、あの時は安全だって……」
気が動転し、舌はもつれて、小松はまともにしゃべれなかった。
そこをケイは一喝し、
「往生際が悪い! あたしをシングルマザーにする気? なんだったら、あたしが自ら空挺団長のところへご相談にあがりましょうか? あなたの部下が、WAFの幹部をもてあそんだって!」
最後通牒を突きつけられて、約十秒後に小松は白旗を掲げた。
ケイは、心のなかでⅤサインを作った。
そして、今日、小松が習志野市内に借りているアパートに初めて足を踏み入れたのである。
――
正春とケイの結婚式は、ケイが安定期に入ってから行われることになった。
結婚式の数日前、ケイの両親が来日した。
成田空港の到着ロビーに現れた母親に、ケイは小走りに近寄った。
「ママ!」
「ハイ! ケーイ!」
ケイの母は、典型的なアメリカ人女性で、外見上、ケイとの遺伝子的結合が濃厚だった。
「走ってはダメよ。転んだら子どもがどうなるの?」
「大丈夫、ママ。双子よ。両方とも男の子。元気に育っているわ」
母子の会話が一通り終わると、ケイが正春の腕を取った。
「ママ、あたしの夫になる正春よ。エアボーンブリゲードのサージャントなの」
正春が使い慣れない英語であいさつしようとすると、それまで娘と英語で話していたケイの母は、口から日本語を送り出し始めた。
「日本語で大丈夫よ、正春さん。私も十年以上日本にいたことがあって、まだ少しはしゃべれます。ケイの母よ。娘をよろしくね」
「初めまして……小松正春といいます」
赤くなって正春は挨拶を返した。
「パラトルーパーだそうね。私の弟も、陸軍の空挺師団にいて、アフガンで戦ったのよ。今は退役していますけどね」
話が思わぬ方向へ動き始めようとした時、背後で咳払いが聞こえた。
正春が向き直ると、そこにケイの父親がいた。
「恵子の父です」
と、慇懃な口調で告げたが、その顔には見えない文字で、
「わいか? おいが娘ば、嫁入り前に傷物にしたんは」
と書かれている。
正春としては、「オレは罠にかかったんだ!」とはいえず、はなはだばつが悪かった。
だが、状況は思わぬところで好転した。
その日の両家の夕食会においてである。
小松の側の参加者は弟・夏樹と「両親」であった。といっても、実の父母ではない。
以前の里親である。
実の両親に育児放棄された正春と夏樹は、幼少時に栃木県内の児童養護施設に保護されていていたが、子供のいない陸曹の家庭の里子となったのである。
「父親」の薫陶を受けて、高校卒業後の正春は武山の第百十七教育大隊に教育入隊した。
一方夏樹は、高校では栃木県随一の進学校に進み、里親夫妻は十八歳で養育義務が終わるにも関わらず、大学の学費を出して都内の国立大学に進ませた。
経済学を修めて卒業した夏樹は、都市銀行に採用され、現在都心の本行勤務である。
若手でもホープの一人に数えられ、四十代で支店長の椅子を確実視されていた。
夏樹の職務は融資の審査であって、毎日のように融資を希望する企業の財務諸表と向き合っている。
経営コンサルタント会社に勤務しているケイの両親と仕事の中身が共通しており、大いに話が合った。
「この男の兄なら、大丈夫だろう」
こうして、ケイの父親も初めて正春を信用する気になったのだった。
結婚式の締めくくりでは、中島みゆきの「麦の唄」が流された。
――
不本意な形で始まった結婚生活だったが、かといって正春が不幸なわけではなかった。
生まれた双子の息子たちには、ケイは愛情を惜しまない母親だったし、家事にも一切手を抜かなかった。
炊事、洗濯、掃除、そして夫の世話まで毎日かいがいしく動き回り、毎朝、服といい靴といい、パーフェクトな状態で夫を送り出した。
小松は元々情報科職種だったので、結婚に前後して空挺団から立川駐屯地の地理情報隊に転属し、駐屯地の近くの宿舎に入っていた。
環境はよく、生活にも便利だった。産後休暇が明けたら、ケイは通勤圏内にある入間基地で勤務することになっている。
双子をベビーカーに乗せ、近くのスーパーで、一見外国人の妻を連れて買い物をする正春は、普通に見れば幸福な状況にあった。
ただ、不満があるとすれば、
――ああ、漏れのもえのたん、姫々たん、凛音たん……
それは、オタク趣味を禁じられてしまったことである。
ご執心だったキャンパスアイドルの名前と顔が、頭から離れない。
辛うじてレンタルルームを借りて、そこにグッズを預けることはケイから認められたが、普段はなにも手に取ることができない。
なお、ケイはあらかじめ極太の五寸釘を夫に打ち込むことを忘れなかった。
「子どもたちに趣味、感染させたら許さないからね」
こうして、成長後の息子たちを自分の趣味に引き入れて、家庭内の勢力圏を塗り替えようという企みは、事前に粉砕された。
「三年くらいしたら、三人目ね。女の子がいいな。家は、横田か入間の近くに建てよう。子ども一人に一部屋だから、最低でも4LDKね。そうしたら、子どもたちの遊び相手に、大きな犬を飼おうよ」
ケイから楽し気な将来構想を聞かされると、趣味を楽しむ機会がますます減りそうだという予感がして、正春の気分は滅入ってしまうのである。
ケイは、双子を出産して帰宅すると、早速息子たちの写メを星華に送った。
「一枚目が長男の東一。二枚目が次男の武夫。両方ともハンサムでしょ」、「東一はパイロットか空挺レンジャーにする。武夫はお世話になった鹿児島の伯父さんちに養子に出すつもり。そう伝えたら、伯父さん、とても喜んでいた。もちろん、大きくなるまではあたしが育てるけどね」、「うちの子のどっちかと、星来ちゃんを将来結婚させようか? あたしのママ、実はパパより三つ年上なんだ」
実は、飛田省悟から、一度だけメールが届いていた。
離別から五年後、航空大学校を卒業してエアラインに就職したという内容だった。
「おめでとう。これからも頑張って」
とだけ、ケイは返事していた。それっきりとなった。




