Scene#4 防府北基地再び
「速足、進め。……小隊止まれ。左向け左。立て銃。右へならへ」
ハイポートが、隊舎の前でやっと終わった。
「手入れしたあと、銃を格納。午後四時に体育服装で舎前に集合。質問!」
「なし」
区隊長の問いに、学生たちは唱和した。あっても「なし」なのだ。
列を崩して航空学生たちは隊舎に足を進めた。悠長にしている暇はない。
限られた時間で武器の手入れを行い、格納し、着替えて体育に備えなければならないのである。
「武器格納!」
慌ただしく小銃や銃剣、弾倉を武器庫に収めると、内務班のあるWAF航空学生舎までダッシュ。
階段を駆け上り、内務班のドアを開けた。
直ぐに迷彩服からジャージに着替え、体力練成である……だが、
「なに、これ!」
部屋に足を踏み入れた先頭のケイが、悲鳴、というより絶叫を発した。
――まさか。
不幸なことに、星華の予感は的中していた。ケイ、星華、そして玲子の内務班、つまり居室のなかは台風一過のようにロッカー内の被服といい、ベッドの上の毛布とシーツといい、靴箱といい、徹底的にぶちまけられ、ひっくり返され、放り投げられていた。これで通算三回目となる。
「やられた……」
ケイの呻きに、星華もへたり込みそうになった。
腰から完全に力が抜け、目の前は真っ暗である。
「あーらぁ、今日は風が強いようねえ」
三人が振り返ると、そこには台風の発生源がいた。
内務班長・水野亜美二曹。
腕組みし、薄ら笑いすら浮かべている。
髪をシニヨンに結い上げ、やや化粧が濃い。
目つきも、単純なお人よしのそれとは正反対だった。
少女マンガで主人公をいびる悪役令嬢。
まさにそんな感じの存在で、ある意味、猫マニア区隊長ラオウや極悪助教トリオより厄介な相手である。
とにかく、編上靴の靴底にこびり付いた土とか、制服のプレスのラインが二重になっているところとか、学生のミスを目ざとく見つけて、ネチネチと言葉責めにする技に長けている。
同性なだけに、その辺りのやり方は実にいやらしく感じられた。
そして、メモ帳に記載された数が一定のラインを越えると、「台風」が来襲するのである。
「なんでこんなことをするんですか、班長!」
たまりかねてケイが抗議する。
やめて、お願い――という気持ちのこもった星華の視線なんか、まったく意に介していないようだった。
「知れたことよ。まず山之内、今週だけで、短靴の磨き忘れ、編上靴を磨く時面倒くさがってひもを解かずに磨いたところと踵の芝の落とし忘れ、ベッド上の毛布の端の不一致……!」
ケイの次には星華、そして数こそ少ないが玲子のミスの全記録を、片手にしたメモ帳の上から読み上げて行った。
これには、三人とも反論の余地がなかった。
「だからって、なにもかも飛ばすことないと思います。一つ一つ指導すれば済むじゃないですか。こんなの、程度が低過ぎます!」
ケイの第二弾攻撃も、「ふん」と、水野は鼻でせせら笑い、爬虫類のような表情を浮かべて次のセリフを投げ返した。
「今のあんたたちなんて、所詮、そんな程度よっ!」
室内の空気が凍り付く。水野は完全に上から目線で申し渡した。
「早く片づけなさい。時間ないから」
敵意ある視線を浴びてもものともせず、宣告のあと、水野二曹は靴音高く去って行った。
「あ・の・行かず後家ぇ……!」
実は他にも、「魔女」、「毒女」、「暴風女」、「防府局」とか、水野二曹には様々なニックネームがあるのだが、好意的なものは皆無である(ほとんどはケイによるネーミングだった。なお、教育団の基幹隊員のなかには、陰で「ミンチン先生」とか「ロッテンマイヤー」と呼ぶ者もいる)。
ケイ――山之内・ケイト・恵子は、なおも腹の虫が収まらないのか、ぶつぶつ並べている。
栗色の頭髪と色白の肌、ブルーの瞳は、彼女が純粋な日本人でないことを示している――というか、初対面では恐らく過半数の者の目には、日本人に見えない。
複雑なことはいわないが、元は日米二重国籍だったという。
よい記憶がないといって、アメリカのことは余り語らない。
フルネームで呼ぶことも面倒だから、他の学生からは「ケイ」とだけ呼ばれている。
顔色一つ変えず、整理に取り掛かったのは、玲子である。
「急ぎましょう、時間がない」
玲子――藤堂玲子は、簡単に自分たちの立場を確認すると、まずベッド周辺、次にロッカーの中身の整理へと手を進めた。
なにをやっても様になる、それこそ基本教練は勿論、地面に伏せての第五匍匐までもが華麗に見える「女王様」である。
三人のなかで一番長身、スタイルといい、立ち居振る舞いといい、持って生まれた天性があるとしか思えない。
高校時代は、一時モデル活動もしていたという。
成績もトップクラスである。
男子学生からも、人気は一番高かった。
必死に台風の被害を修復し、体育服装に着替えて舎前に走ったが、結局、三人は集合に五分遅れた。
ペナルティは、腕立て伏せ三〇回だった。
こうした日々が、もう三カ月続いていた。




