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Scene#1 新田原基地・飛行教育航空隊

 一等空尉小福田義文は、ふと赤ボールペンを止めて、それまで修正していた論文を読み上げた。

「……ここで大きく戦局を左右した存在がある。今次大戦、アメリカ軍は、奪取した島嶼に海軍建設大隊等を投入し、短期間の内に良好な飛行場を開設して航空部隊を進出させ、制空権を確実なものにした。特に、日本を苦しめた四発重爆撃機のB―17やB―29を運用するには、長大で良質な滑走路が不可欠である。建設には、ブルドーザーを中心とする土木器材がなくてはならない。航空機の数や性能以外の面でも、日本にはブルドーザーに代表される飛行場設定能力という大きな航空戦の敗因があったのである――」

 小福田は、我ながら満足できる冒頭部になったと悦に浸り、卓上のマグカップに手を伸ばした。

 ミルクを垂らしたイングリッシュ・ブレックファーストの香りを鼻腔内に吸い込んだあと、彼は飲み干した。

 間もなく発表する予定の戦史論文の仕上げは、順調だった。

「おっと、全体ブリーフィング一〇分前だな」

 いちいち、自分の行動を口に出して確認するのが、小福田の行動様式だった。

 書きかけの論文を机の引き出しにしまうと、腕時計で残りの時間が八分だと再確認して、彼は席を立った。

 教官操縦士としての小福田は、もうすぐ二年が経過しようとしていた。

 前は、小松基地のイーグルドライバーだった。

 若い者を育てる仕事が嫌ではなかったが、そろそろ第一線勤務に戻りたくもなっている。

 そして、今日からは、次の期の学生の戦闘機操縦課程を受け持たなければならない。

 複座のF―15DJで、新人の御守りをするのである。

 全体ブリーフィングが行われるベースオペレーションは、既に学生と教官操縦士で満たされていた。

 ここの教官としては既に古株に入る小福田は、教官グループのうしろの方の空いた席に座った。

「敬礼。直れ。着席」

 飛行隊長への敬礼ののち、ブリーフィングは開始された。

 小福田の左前方、数人を間に挟んで座っているのが、これからの教え子である。

 身長は百六十センチ近くでこの年代の女性にしては割と高い方かと思える。

 短いヘアスタイルは、背後からだと少年かのような印象を与えるが、最初に面接した時は、内心で口笛を吹きたくなるような上玉だった。

 おっとりした育ちのよさを感じさせる邪気のない面持ちに、

 ――飛行幹部候補生じゃなかったら、どこかの航空団か航空方面隊司令部で秘書勤務だな。

 という感想を抱かされた。

 女子はもう一人いたが、女子力とやらはそっちの方が上に見えたものの、実は統合幕僚長の末娘だと聞かされて、

「オレには荷が重いな。こちらでよかった」

 と、あとで独り言を漏らす小福田だった。

 ――

「天辺候補生、同乗します」

「よし。イーグルの初フライトだ。気を引き締めて行け」

 小福田と敬礼を交換したあと、星華はラッタルを登ってF―15DJのコクピットにスリムな体を滑り込ませた。

 エンジンスタートの動作に入る。

 星華はライトチェックののち、右手でVサインを作り、外の整備員に見えるようにクルクル回した。

 右エンジンスタートの合図である。

 左手でスロットルを前方に押して、アイドリングに進める。

 10パーセント、20パーセント、30パーセント。

 60パーセントまで進めて、右エンジンをアイドリング状態に置く。

 次は左エンジンだった。

 同様に、レフトチェック後に左手の人差し指と中指で円を描く。

 APUアウト。左右ブレーキチェック。スピードブレーキチェック……

 ――基礎はできているようだな。可愛いだけのお嬢ちゃんではないようだ。

 座学とシミュレーターで教育されたとおりの手順で、スムーズに離陸準備を進めていく星華に、小福田は教官としての安堵感を覚えていた。

 この小娘は、単に暗記しているだけではなく、それぞれの段階でなにを行っているのか、理解している。

 従来受け持ってきた男子より劣るところは、感じられない。

 ――やっとここまで来た。

 右手でスティック、左手でスロットルを操作し、機体を滑走路に進めながら、星華はしばしの感慨に浸っていた。

 初めてイーグルの離陸を目の当たりにしたあの瞬間、航空学生として踏み出してからのつらい記憶しかない二年間、T―7、そしてT―4に乗っての二年半。

 下川一尉が殉職した時には、本当に辞めてしまいたかった。

 でも、辞めなかった。

 治が、

「夢の代表選手だ」

 と教えてくれたから。

 昔は、ただ隣に座っている同級生だった。

 でも、今は自分の夢を支えてくれるかけがえのない存在となっていた。

『アレスシックスエイトジロ、クリアードフォー・テイクオフ』

 新田原コントロールが離陸を許可する通信が入った。

「ニュウタバルコントロール、アレスシックスエイトジロ、クリアードフォー・テイクオフ」

 星華は、応答すると、手順通りに左手のスロットルを前に押し出した。

 次の瞬間、Gが体を後方に押し付ける。

 ――すごい! パワーが違う。

 T―4がポニーなら、F―15DJはサラブレッドという感じだった。

 V2を越えて機体が浮く。

 ギアを機体内に収納した。

 急速に高度を上げるF―15DJの後部座席で、小福田は星華の操縦を見守っていた。

 そして、浜松で彼女の教育に当たったのが、防大同期の親友、下川だったことを思い出していた。

 アレスシックスエイトジロは、高度20,000フィートで水平飛行に移り、新田原基地から見て東にある太平洋上、日向灘から四国沖に連なるリマ空域に向かっていた。

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