Scene#9 浜松基地
「本日の聴取はこれで終わります。居室に戻って結構です」
四方という名札を付けた浜松地方警務隊の二尉が告げた。
事故とは分かっていても、一応は警務隊が、事件性の観点から捜査しなければならない。
そのための事情聴取だった。
「帰ります……」
うなだれたまま、声に力もなく、星華は立ち上がって一礼し、捜査に使用された部屋を出た。
空幕長から防衛大臣に事故速報が飛び、空自事故調査委員会のメンバーも浜松基地に到着して、事故当事者となった星華や、31SQ関係者、浜松・静浜基地の関係する人員に、次から次へと無数の質問を浴びせかけた。
海面に着水した星華は、幸い怪我一つなく、浜松救難隊のUH―60Jに救助された。
だが、浜松基地に戻ってから前席の下川が脱出できず、そして殉職したことを改めて知らされて、まず衝撃を受け、続いて大きな罪悪感が沸き上がって来た。
――わたしを脱出させるために、教官が……
立ちすくむ彼女にとって、事故の記憶を甦えさせる事情聴取や調査は、酷の一言に尽きた。
その日の三食はほとんど絶食状態になり、タカビー三人衆ですら、その落ち込みように、からかう気を起こさなかった。
警務隊の捜査も、事故調査委員会の調査も終わらない内に、下川「二佐」の部隊葬の日がやって来た。
会場となった31SQが使用する第一格納庫には、祭壇が設けられ、生前の武骨なままの下川の正面からの写真が拡大されて飾られていた。
司会による開式の辞に始まり、航空教育集団司令官の弔辞や弔電の披露、献花といった式典の流れは滞りなく進んだ。
中部航空音楽隊の演奏する葬送曲が流れるなか、遺族、集団司令官、航空団司令といった順番で、参列者が祭壇に献花をしていった。
学生の番となり、第一種制服の星華は最初に立ち上がった。
遺族の前で一礼し、祭壇に向かう。
涙は、なんとかこらえていた。
だが、遺族の前で愕然となった。
未亡人らしい喪服姿の女性の膝に、まだ幼い男児がまとわりついていたからである。
きっと、父親の死がまだ理解できないに違いない。
星華の礼に、未亡人は口元を抑えつつ、頭を下げて礼を返した。
一凛の花を手に、星華は祭壇の正面で改めて星華は恩師の遺影を見上げた。
下川に受けた、余りにも厳しい教育の日々が頭のなかに蘇る。
「もう、いや」と思わされたことも再三あった。
でも、同期の何人かが挫けて去っていくなかで、自分は飛行幹部候補生として生き残り、這い上がることができもした。
成層圏の空が、パイロットの夢が、日に日に近くなっていた。
単なる叱責や罵声でない、確かな導きだったのだ。
――その教官を、わたしは死なせてしまった……わたしを生き延びさせるために。
花を置きながら、自分の両肩にかかる重みに、気持ちがことさら沈み込んだ。
「構え!――撃て!」
教官操縦士仲間の小田桐一尉が指揮する儀仗隊が、祭壇の前で弔銃を三発発射する。
空包から発される銃声が、格納庫内に響き渡った。
これが、部隊葬の再終幕だった。
厳かに閉会が宣言された。
このあと、霊柩車を全員で見送る次第になっている。
席を立って移動を始めた星華に、
「天辺さん――ですね」
近くから女性の声がかけられた。
振り向くと、さっきの未亡人と思われる人物だった。
「下川の妻です。初めまして」
星華は改めて一礼した。そのあとで、
「申し訳ございません。その節は――本当に申し訳ございません。下川教官には、熱心に指導して頂いたのに」
その詫びに、下川の妻は、
「いいえ、主人はあなたのことを『これまでの候補生より、教えがいのあるやつだ。きっと立派に育ててやる』といっておりました。それは、楽しそうに」
――わたしを気遣ってくれているのだろうか……
そう思うと、それ以上返す言葉もなくなった。
「あの、天辺さん」
正面から、下川の未亡人は夫の教え子を見つめていった。
「いうのは酷かも知れませんが……夫の死を無駄にしないで下さいね」
「はい」
それだけ答えるのがやっとだった。
彼女が、幼子を連れて次の場に去ってくれたことは、星華の救いになった。
やがて、出棺の時が来て、故人の遺影を両手で体の前に持った未亡人が、霊柩車のなかに入った。
三階建ての航空教育集団司令部の玄関から浜松基地の北門まで、基地で勤務する職員・学生のなかの最大限の者が、道脇に整列し、霊柩車の出発に備えている。
クラクションが鳴らされ、集団司令官の号令が発された。
「敬礼!」
その列のなかで、星華も挙手の礼で故人の霊を送りながら、未亡人の言葉を思い返していた。
「これまでの候補生より、教えがいのあるやつだ。きっと立派に育ててやる」
下川は、妻に向かってこう語ったという。
きつい態度とは裏腹に、教官は星華に大きな期待をかけてくれていた。
――教官……ありがとうございました。
もう、涙をこらえることはできなかった。
恩師の死は、人生で初めての経験になる。
それは、これまでのいかなる試練より、客室乗務員の夢を諦めざるを得ないと知った日のそれより、遥かに重かった。
霊柩車が北門を出て、姿を消した。解散の時が来た。
だが、遂にこの時、星華はその場に膝をついて、両手で顔を覆って泣き出してしまった。
その声が、付近にも聞こえていた。
近くにいた31SQの女性基幹隊員が見かねて、
「大丈夫ですか?」
と声をかけ、漸く彼女は泣き声を落とし、立ち上がった。
だが、数メートル離れた位置で、同期の玲子は、飽くまで冷めた視線を星華の方に向けていた。
――
原因究明の完了しない内に、教育は再開された。
ブリーフィングののち、以前より重い足取りでエプロンに向かった星華は、代わって教官となった小田桐一尉に、別のT―4の前で敬礼した。
「天辺候補生、同乗します。よろしくお願いいたします」
「――しっかりな」
その返答は、小田桐なりの思いやりのつもりだった。
同僚を失った心の痛みは、小田桐にもある。
だが、表に出そうとはしなかった。
今は、飽くまで一教官操縦士として、候補生を導くのみ、と心を決めている。
GRDがタキシーを許可した。
滑走路の端に到達する。
風向は270度。
風力8ノット。
コンディションは良好。
離陸。
だが……
『チェッカースリーワンワン、どうした? チェッカースリーワンワン!』
管制塔が早口でまくし立てた。
星華のT―4は、滑走を開始したものの、V1、つまり離陸を中止できる速度で制動をかけ、滑走路の端で停止したのである。
通常、このような場合にはエンジントラブルが疑われるので、発火に備えて消防車がサイレンを鳴らせながら、滑走路に向かって走り出した。
「おい、天辺! どうした、トラブルか?」
後部座席の小田桐がマイクを通じて確認してきた。
だが、星華からは答えがなかった。
「だめなんです。――アクセルラダーを踏もうとしたら、急に、なんだか怖くなって」
T―4から降ろされて、飛行群の隊舎に戻された星華は、小田桐の前でうな垂れながら答えた。
小田桐は、一度彼女を落ち着かせてから、離陸を中止した経緯を問いただしたのである。
――やはりか。
そう考えざるを得なかった。
教官の死、そして自らも墜落に近い状況を経験した心理的衝撃は、星華を深く捕えていた。
椅子に座って、顔を下に向けている星華に向かって、小田桐もどういういい方をすればいいか、直ぐには分からなかった。
――どうしてくれるか。
その日の消灯前だった。
「……藤堂さん」
ただ一人の女子の同期は、星華の顔を正面から見つめた。
「分かっているとは思うけど、立ち直るのも、だめになるのも、あなた次第よ。あなた一人の力次第」
その声には、思いやりより、冷やかさが感じられた。玲子は続けた。
「聞いて。私の父のことだけど、かつて飛行群司令の時、初めて部下を失ったの。墜落事故で」
まだ玲子の子供の頃だった。
記憶のなかの父・護は、帰宅後も家族に背中を向けていた。
自分が直接原因を作ったわけではなかったが、航空部隊指揮官としての責任は、逃れられないものだった。
自責の念に堪えながら、部隊葬や遺族への援護の処置、故人の死後の手続き、事故に関する行政上の対応等、昼間は多忙を極めた。
疲れて帰宅すると、妻や子供たちに背を向けて、自室へこもった。
「だけど、父は自分の力で立ち直った。それしかない。地上のスタッフや僚機はあっても、空の上では、最終的には自分の力が頼り。私たちが選んだのは、そういう世界」
娘も知らないことだったが、それ以後だった。
「常にベストを求めよ」
を、藤堂護が座右の銘とし、部下にも要求するようになったのは。
かつて部下だった神崎司令は、それを継承したのだった。
星華は、言葉もなかった。
あるいは、慰めを期待していたのが、裏切られたのかも知れない。
「自分で立ち直りなさい。でなければ、諦めるしかない。パイロットの道を」
それだけいうと、玲子は居室の外に姿を消した。
ドアの閉じる音を、星華は孤独のなかで聞いた。
スマホを取り出そうとして、思い止まった。
土肥原には、助けを求められなかった。
彼は現在、税理士試験を控えて、追い込みの真っ最中であるはずだった。
邪魔はできない。
そして、助けを求めたら最後、退職と結婚を強く望まれて、自分の未来も道が狭まることになる。
――まだ、そこまでは……
思い切ることもできなかった。
「お母さん? わたし」
スマホで実家に電話をかけると、母が出た。
両親は、既に墜落事故のことを承知していた。
娘は、事故のあとの自分の心境を率直に母に訴えた。
そして、
「わたし、もう、どうしたらいいか分からなくて……」
と、救いを求める言葉を口にした。
「辞めたいの、あなたは?」
母は、直截的な聞き方をして来た。
妻の傍らでは、夫がやきもきして耳をそばだてている。
なおも、母はきつさを感じさせる言葉を口にした。
娘には、どう答えたらいいか分からなかった。
「逃げて来るなら、家には入れません。いい? 逃げて来るなら、ですよ」
スマホを右の耳に当てたまま、娘は声を失っていた。
そこで、我慢し切れず妻の手から夫が電話機を奪い取った。
「星華、もういい。帰って来なさい。お前は十分やった。これ以上、苦しまないでいいから」
だが、そこで再び強引に妻が電話に戻った。
「逃げてはいけません。今逃げたら、あなたは一生負け犬になります。辛さから逃げないで」
そして、母は一方的に通話をオフにした。その直後、
「お前、なんだってあんなことをいったんだ! 星華は、苦しんでいるというのに」
怒りの形相で詰め寄る父に対して、母・真由里は、少しもひるまずに応じた。
「試練のない人生はありません。私だってそうでした。あの子のためを思えばこそ、です」
彼女は記憶していた。
ジュニア時代に何年も続いた、シップ内の些細なミスも徹底的に追及される熾烈にも思えた先輩たちからのしごきの日々を。
そして、そこを乗り越えなかったら、社内で「メデューサ」とか「テッポウユリ」とか「尼将軍」と綽名される、のちの自分はあり得なかったことを。
「今、あの子は成長するか、ダメになるかの瀬戸際です。私は、自分の娘を信じています」
最初に「お母さんのような客室乗務員になりたい」と、娘が小学生の頃に口にした時以来、夢を実現するためには妥協はあってはならないという自分の信念のままに、英才教育を施した。
そして、星華はそれに挫けず着いてきた。
娘の、夢に向かって進む力の強さを、母は信じていた。
「信じてあげましょう。私たちの娘です」
妻の言葉に、不満は残ったが、「そこまでいうなら」と、夫は承知するしかなかった。
――電話を切られた娘の方は、呆然となっていた。期待した慰めはなかった。
ただ、「今逃げたら、一生負け犬になります」という、母の台詞の一部分が、耳のなかでリフレインしていた。
――どうしたらいいのよ、もう、どうしたら……
翌日の土曜日、重い眠りから星華は目覚めた。
目が覚めて、点呼に出ても、思いは変わらない。
出口が見えそうになかった。
配られたパンの朝食を前にしても、食欲が湧かなかった。
――本当に、もう辞めてしまおうか、そうすれば、少し楽にはなれるかも。月曜日に、小田桐教官に……もう、わたし、操縦桿を握れない。
辞めてもどうするか、具体的な考えは思い浮かばない。
でも、楽になりたい。
そういう思いが先に立った。
休日に基地に残っている者は、ほとんどいない。
皆外出している。
玲子も、同じだった。
一人、WAF隊舎を出て、星華は教場へ向かおうとした。隊舎にいたくなかった。
「夫の死を無駄にしないで下さいね」
下川一尉の未亡人の言葉が、思い出される。
とてつもない重荷だった。
席を立とうとした時、放送が聞こえて来た。
「天辺飛行幹部候補生、面会者あり。北門面会所へ」
WAF隊舎当直の声だった。
――誰かしら、今頃。こんなところまで。
つい昨晩、両親とは電話で話したばかりだった。いくら父が心配していたとはいえ、翌朝直ぐ、迎えに来るとは思えない。
考えても、心当たりがなかった。
ただ、隊舎を出て、広い基地内を歩きながら、
――もしかしたら……
と心当たりが一つ浮かんだ。数日前、誰でもいいから苦しさを打ち明けたいと思って、知っている人間に送ったメールが一つあった。
まさか、彼が……
北門警衛所の裏側にある面会所――通常、部外者等が来隊して、隊員と面会する時に使用される――のドアを開けて星華がなかに入ると、果たして、その人物はそこにいた。
「角田くん!」
私服姿で、ややくたびれた表情の角田治が、そこに待っていた。
「どうしてここに……」
星華は、いい終わることができなかった。
治が、それを制して先にいいたいことをいってしまったからだった。
「墜落事件のことは、つい昨日知った。――昨日の朝まで房総半島で想定中だったんだ。天辺、お前のことが、ちょっと心配になって、来てみた」
想定、つまり実戦を模した訓練の間に、スマホを見るなんてことはもちろんできない。
習志野駐屯地に戻ってから、治は星華の苦境を初めて知ったのだった。
そして、休養日の今日、新幹線に飛び乗って浜松までやって来たのである。
治は続けた。
「多分、気持ちがぐらついているんじゃないかと思ったんだ」
星華が、なにをいおうか、考えている時、治は前回の横浜の時と同じように、星華の両腕に自分の両腕を添えた。
「辞めるなとか、どうしろとか、おれには単純にいえない」
少しして、上半身を離し、治は星華の目を見つめて続けた。
「だけど、お前が今辞めたら、多くの人の夢が失われるんだ」
「多くの人の夢……?」
「うん。これまで、多くの人の世話になっただろう。その人たちの夢だ」
一瞬、星華は、その言葉に背中を突かれた気がした。
忘れていたことだった。自分が今日、ここにたどり着くまで、多くの人の手助けがあった。
水野班長、加藤区隊長、神崎司令――そして下川一尉……そうした人たちが、わたしのために力を尽くしてくれた。
水野二曹は、修了式ののち、最後の場で星華たち三人に、いったのだった。
「私にも、パイロットの夢がありました。でも、健康上の理由で挫折したのです。――教え子には、絶対そういう夢を捨てる目に遭わせたくなかった。だから、嫌われるのを承知で厳しい指導を行ったのです」
加藤二尉もいった。
「忘れるな。お前たちの背後には、航空学生の夢が砕けた何十人かがいる。お前たち一人一人が、自分の夢と同時に、そいつらの夢をも担っているんだ」
神崎一佐は、精神教育で述べた。
「夢だけでは飛べない。だが、夢のない者も飛べない。そして、多くの地上勤務者の夢に支えられて、初めて飛行機は飛ぶのだ。諸君は夢を代表し、また夢を無駄にしない責務がある」
思わず両目から涙がこぼれ、星華は顔を両手で下から覆った。
自分は、大事なことを思い出さなければならない場面だった。
自分だけの弱さで、脱落してはならなかったのだ。
「おれたちは、夢の代表選手なんだ」
そういって、治は星華の上半身を抱きしめた。
星華は、それを突き放したりしなかった。
――
月曜日の午前六時、起床を告げるラッパでベッドから起き上がった星華は、点呼が終わると、いつもと違って食堂に向かわず、その足で飛行隊の格納庫に向かった。
その日の訓練で使用されるT―4が、牽引車に引かれてエプロンに運び出されている最中だった。
朝日を浴びたT―4は、光の列を作っていた。
国旗掲揚後、直ちに訓練を始めるためには、整備員は起床の何時間も前から集合して、その日の機体を準備しているのだ。
パイロットは、その日ごとに違う機体に乗るが、整備員は各機ごとの専属となっている。
「愛機」とは、現代の航空部隊において、パイロットのものではなく、実は整備員のものなのである。
星華は、知っている整備員を見つけて、声をかけた。
「おはようございます、喜屋武三曹」
声をかけられた三十代初めの整備員は、墜落したT―4の機付長だった男である。
愛機を失ったが、今は別の機体を受け持っている。
喜屋武三曹は、間違えられることが多いが沖縄県出身ではなく、星華と同じ神奈川県出身だった。
戦前、喜屋武家の五代前は、職を求めて沖縄から本土に渡り、そのまま川崎市内の工業地帯の住民となったのである。
喜屋武の実家は、現在川崎市の郊外にあり、彼の気質も神奈川県人そのものである。
同郷なので、整備員のなかでも、星華にとっては話しやすい相手だった。
「ごめんなさい、その、喜屋武三曹のT―4を落としてしまって」
「仕方ないですよ。パイロットの命には代えられません。どうにもならないこともあります」
新しい愛機に顔を向けて、喜屋武は答えた。
内心は分からない。
何年も連れ添った愛機を失うことが、心の傷にならないとは思えなかったが、星華はそれを自分に対する気遣いだと受け止めた。
パイロットとして、最初の教育で教えられていた。
「整備員に気を使え」と。逆に気を使われたことが、星華にはこの上なく恥ずかしかった。
工具を手にして、喜屋武は星華に語りかけた。
「二度と墜ちないで下さいよ。おれたちゃ皆、コンマゼロで送り出しますから」
喜屋武の得意の台詞に、星華は頷いた。
「ええ。離陸したら、必ず戻って来ます」
喜屋武も笑って頷き返したので、星華は格納庫をあとにした。
格納庫を振り返って、星華は、治の言葉を思い出した。
「夢の代表選手」というセリフを。
国旗掲揚後、定刻に、32SQの全体ブリーフィングは始まった。
31SQのベースオペレーションで、飛行群の全体ブリーフィングを終えると、次は気象ブリーフィングである。
「現在、東海地方一帯は広く高気圧に覆われ、安定しております。しかし、西から次の低気圧が接近しており、その温暖前線は、今朝0500の時点で……」
前回の墜落は気象の急変が原因だっただけに、星華は耳をいつにも増してそばだてた。
幸い、その日はダウンバーストも、雷雲も、発生しないようだった。
この後は、各機ごとの教官と学生の個別の打ち合わせである。
「以上で、気象ブリーフィングを終わります」
担当者の報告を聞いた飛行群司令は、
「よし、では各教官・学生ごと、個別ブリーフィングに移れ」
と、締めくくりとして命じた。
起立に続く敬礼の後、先にベースオペレーションから出て行く星華の後姿を見て、玲子は、無言の内に感じていた。
――立ち直ったようね。そう来なくっちゃ。
と思いつつ。
「ハママツGRD、チェッカースリーワンワン、リクエストタキシ―」
『チェッカースリーワンワン、ハママツGRD、タキシートゥ・ホールディングポイント、ランウェイ・ジロナイン、ウインド・トゥーエイトファイブ・アット・トゥー、キューエヌエイチ・トゥーナイナナイナフォー』
星華は、管制塔の指示に従ってT―4を滑走路の東端に進めた。
「教官、行きます」
「ラジャー」
下川ではなく、小田桐がマイクを通じて応えた。
――もう怖がらない。わたしは、夢の代表選手だから。
『チェッカースリーワンワン、クリアードフォー・テイクオフ』
コントロールが発進を指示した。
「リリースブレーキ、ナウ」
星華は手順通り、ブレーキを解除したのち、スティックを保持したまま、スロットルを左手で操作する。
前と同じ、強いGがシートに体を押し付ける。視界のなかで、滑走路が長い二等辺三角形と化した。
その頃、次の想定に入るため、完全装備の治とその同期たちがトラックで習志野駐屯地を出発しようとしていた。




