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Scene#3 湘南鎌倉女子学園校内

 文系クラブが部室を並べている校内の一角に、航空ビジネス研究会の部室もある。

 湘南鎌倉女子学園の航空ビジネス研究会とは、高等部にいくつかある同好会の一つで、分かりやすくいえば将来エアライン業界への就職を希望する生徒のたまり場である。

 OGには、実際に客室乗務員や地上勤務職員がおり、そうしたOGを呼んで体験談を聞いたり、模擬面接や英会話を練習するといった活動をしていた。

 そして、星華の母も、OGの一人だった。

 壁には、エラライン各社のカレンダーやポスターが、所狭しと張り付けられており、航空関係のグッズも無数に並べられている。

「パイロットですか?」

 目を丸くして、春陽が聞き返した。彼女は研究会一のトリビア女王で、航空関係について、質問されて答えられないことはこれまでなかった。

「そう。パイロットになる方法」

 質問を理解した春陽は、書棚から一冊の雑誌を取り出した。

「これによると、えーと」

 紙面を見ながら春陽が並べた道は、独立行政法人である航空大学校への進学、民航エアラインの自社養成に応募、そして自衛隊入隊が主なところだった。

「航大は宮崎県にあって、大学を二年まで修了してから転入ですね。民航は、ものすごく競争率が高いです。噂だと百倍くらい。大卒が前提。自衛隊だと――」

 そのあと出てきた単語は、昨晩検索で出会った「航空学生」だった。

 航空学生は、海上自衛隊と航空自衛隊にあり、高卒で応募でき、六年間かけてパイロットになる道だという。

「先輩、パイロットになりたいんですか?」

 春陽が聞くと、星華はあいまいな答えで、その場をつくろった。

 パイロットへの一番の近道は、自衛隊、それも航空学生らしいと分かった。

 そして、あの女性パイロットのようになれるかも知れない――星華は、そう思った。

 民航でパイロットになっても、近くにCAの姿を見れば、いやでも失った夢を刺激されそうだった。

 その日の部活が終わると、星華は一人残って、研究会のパソコンで自衛隊の募集サイトにアクセスし、資料請求を申し込んだ。

 すると、翌日の放課後、彼女のスマートフォンにかかって来たのは、いかにも中年男を連想させる声だった。

「もしもし、天辺星華さんのお電話でしょうか。わたくし、自衛隊神奈川地方協力本部募集課の四ツ谷と申します。この度は、募集案内のご請求を頂きまして、真にありがとうございました。早速ではございますが、ご都合のよろしい時に、資料を持参がてら応募のご案内をさせて頂きたいのですが……」

 そして、その翌日には、学校の進路指導室に電話の声の主が現れた。差し出された名刺には、

「自衛隊神奈川地方協力本部募集課募集班 広報官 一等空曹 四ツ谷 繁」

 と書かれていた。のちに知ったことだが、彼は自衛隊の募集分野では知らぬ者のいない「狙った目標は必ず落とすペトリオットの四ツ谷」という異名を持つ有名人だった。

 テーブルの反対側で、やけに目立つ白目を光らせながら、四ツ谷は各種の募集資料を並べて、そのページをめくりつつ、星華が資料を請求した航空学生に先んじて、航空自衛隊の概要から細部に至るまで立て板に水を流すような滑らかさで説き、そこがいかに安定的で将来性に満ちており、豊かな人生をもたらしてくれる可能性がある職場だということを、星華に語った。

「入隊し、基礎教育を受けたあと、それぞれの希望や適性、なかんずく当人の希望と努力に基づき、最適と思われる職種・任地に配置され、日本各地、さらには世界を舞台とした活躍の場を得ることができます……」

「キャリア形成におきましても、女性特有の事情に十分配慮されておりまして、出産・育児等と勤務が両立できるよう、各種のサポートが準備されております……」

 確かに嘘じゃなかった。

「日本各地」に絶海の孤島のレーダーサイトや通信所、あるいは基地業務群で食堂を運営する給養小隊まで含めるのならば。

 基地によっては託児所もあって、民間の保育所に比べれば、夜遅くまで子どもを預かってくれるし、まとまった産前・産後休業も与えられると聞いている。


 ――だけど、現実の星華はそういったベネフィットを得る遥か手前で、次々と現れる高いハードルに挑戦させられ、足を取られては地面に叩きつけられるような毎日だった。

 鬼の今村、悪魔の本間、地獄の使者の山下二曹、あるいは「航学の黒い三連星」とも称される、防府北基地・航空学生教育群学生隊名物のトリオ助教は、例え相手が女子学生だからといって手加減はしない。

 そして、助教たちの上に立つ区隊長の加藤大介二尉が、さらに難物だった。

 外見は、少々太めで背も低く、愛嬌のある顔つきに見えなくもない。

 だが、課業が始まると本性が現れる。表情に凄味が走り、体型からは想像もできないほどの俊敏さを見せる。

 学生の限界を見切って、その寸前まで追い上げて鍛えるのだ。

 以前は救難団のメディックで、東日本大震災で津波に襲われた東北沿岸地域を初め、数多くの災害や遭難の現場に降下していた猛者だという。

 なお、噂によるとプライベートでは異常なまでの愛猫家で、官舎では飼えない猫を求めて大きな街まで出かけ、猫カフェに入り浸っているらしい。

「手ぇ下がっとるぞ、近藤学生! 銃を落とすな!」

「走れ! 遅れるな、鈴木学生!」

 ――

 少々長い前置きを述べてから、四ツ谷一曹は航空学生について説明を始めた。この時点で、星華は、心理的防壁をかなり崩していた。四ツ谷の心理戦に、抜かりはなかった。

「航空学生とは、簡単に申し上げますと、航空自衛隊、それから海上自衛隊にもありますが、航空機のパイロットの候補生です。航空要員の場合、まず山口県にあります防府北基地の第12飛行教育団の隷下、航空学生教育群で基礎教育となる二年間の航空学生課程を履修しまして、次に同基地で飛行準備課程に進みます。……」

 合計二年半の準備教育ののち、初めて空を飛べるという説明だった。そのあとはプロペラ機、次にジェット機の操縦を学び、事業用操縦士の国家資格を取得し、戦闘機、輸送機、ヘリコプター等に分かれて本物のパイロットになるという。

「難しくありませんか。その、飛行機の操縦とか、色々危ないこともありそうだし……」

 素人なら当然抱きそうな星華の疑問に、四ツ谷一曹はパーフェクトな答えを用意していた。

「もちろん、高度な専門技能を習得するわけですから、教育は簡単ではありません。しかし、皆同じ条件で入り、そして段階を踏まえた教育を受けて、徐々に一人前になるのです。今、立派に飛んでいるパイロットたちも、全員、天辺さんと同じ条件でスタートしたのですよ」

 四ツ谷は嘘をいわなかった。ただ、いわないこともあっただけだ。航空学生たちは、皆同じ条件で入り、同じように顎を出している。

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