Scene#1 市ヶ谷・防衛省航空幕僚監部
航空幕僚監部広報室長・一等空佐東條恭一は、勤務時間中だというのに私事で不愉快だった。
その日の夜は、一人娘の愛乃、そして愛乃が結婚したいといい出した男と新宿で初対面の場を持たなければならないからである。
今年二十五歳の愛乃は都心ではそこそこの規模の病院で医療事務の仕事をしていたが、そこに勤める三〇代初めの放射線検査技師に見初められていた。
聞くところでは、少々堅物で面白味の欠ける人物という印象を抱いた。
それだけに、悪い男という感じではない。
結構な良縁で、客観的には喜ばしいはずだが、娘が中学生の時に先だった妻の分も、男手一つで手塩にかけたつもりの一粒種が赤の他人の男に持って行かれることを不愉快に思うのは、世の父親にとって普遍的な感情である。
娘の手作り弁当を持って出勤できる月日も、残り少なくなる。
だが、時間は無慈悲に経過し、定例ミーティングの時間がやって来た。
自分の執務室から、広報室専用の会議室に移動しなければならなくなった。
室長が敬礼に答えたのちに着席すると、四角くテーブルが配置された会議室内では、広報班と報道班のそれぞれのスタッフが状況を報告し、併せて業務の焦点や目下の課題について概要を説明し、情報を共有する。
その日、東條が興味を惹かれたのは、広報班長からの二つ目の報告事項だった。
「……続いて、先々週に投稿動画サイト『ようつべ』の〈JSDFちゃんねる〉へアップロードした動画についてです。本日までに記録した本動画の再生回数は、十日間で――」
報告の続きが正しければ、自衛隊関係では近年例のない多数の再生を記録したことになる。
「これは、海自東京音楽隊の安宅三曹、陸自中央音楽隊の烏山士長のそれぞれの合計再生記録を上回るレコードとなっております」
歌手の安宅由利子三曹と烏山舞美士長は、それぞれの音楽隊、いや海自と陸自が広報の目玉として、組織を挙げて売り出し中の看板娘というべき存在であるが、短期間でそれを凌ぐ再生回数を記録したのである。
件の動画とは二人の空自女性自衛官を出演させた作品で、二人の訓練風景や、訓練以外の基地内の日常生活、そして外出中のオフタイムを、十分程度に編集したものだった。
両名は、浜松基地の第一航空団で、基本操縦課程を履修中であり、女子では航空学生初となるジェットファイターのパイロットを目指している途上にある。
美しき未来の女性ファイターパイロット――確かに、世間の目を引く効果は絶大である。
報告の続きによれば、軍事系や一般のメディアばかりか、週刊誌や写真雑誌、果ては若い女性向け情報マガジンまで、この二人を記事にしている模様である。
おまけに、片方の実父は航空幕僚長である上、二人いる兄たちもパイロットなのであるから、商品価値としては完璧であろう。
「ふむ……」
これはただモノではない、と東條も認めなくてはならなかった。
この記録を打ち出した動画の効果だけではない。
動画の作成を企画・立案し、周到に関係部署を巻き込んで準備を整え、短期間の内に作り上げてアップに漕ぎつけた、一人の広報員にも、だった。
その男は、広報班の末席に座っていた。
業務支援でここに配置されてからまだ半年である。
奇妙な雰囲気を持っており、外見は凡人といえば凡人だが、底知れぬ一面を隠しているような人物にも思える。
三曹に成りたての頃から一曹まで、長く募集畑にいて、「募集成果の総数、ざっと陸の一個普通科連隊分相当」といわれるほどの(これは、少々誇大ではあっても虚構ではない)、全国でも屈指の実績を残している。
三十五歳になるかならないかで曹長に昇任すると同時に中部航空方面隊司令部に異動となり、広報畑に移った。
そこで才幹が認められ、航空総隊をぶち抜きで空幕での勤務に抜擢されたのである。
広報班に続いて報道班の報告を受けたあと、指導事項を述べてから解散を命じてから、東條は広報班長を呼び止めて、付け加えるように命じた。
「このあと、四ツ谷曹長と一緒に、ちょっと私の部屋へ来てくれ」
「分かりました」
班長の返答を聞いて、広報室長は廊下に出て歩きながら思い出していた。
先日、四ツ谷曹長が持ち出して、指導を求めていた企画についてである。
ゴーサインは、その時は保留していた。
二人の飛行幹部候補生――藤堂玲子と天辺星華に加えて、何人ものWAFを被写体として空自のあらゆる部隊、装備、基地を紹介する写真集。
これを週刊文秋の名物カメラマンと共同で作り上げようというものだった。
企画書の表紙には、次のようなタイトルが記されていた。
『Wing Ladies ――蒼空を守る乙女たち――』
やらせてみるか、とこの時の東條は考えていた。
市ヶ谷・航空幕僚監部の現状は、かつて神崎一佐が忌避していた方向そのものになりつつあった。
今、空幕で「口八丁手八丁の四ツ谷」と呼ばれている男は、現在の任務のため、かつての募集成果を存分に活用しようとしていたのである。




