Scene#5 習志野駐屯地再び
訓練は、着地の要領から、次の段階に入った。
体の上下に装着帯というベルトを巻き付け、訓練施設の屋内で天吊訓練という実際の降下に模した状態で着地する訓練、続いて輸送機内での降下までの一連の動作などを受ける。
これらの訓練によって落下傘降下に必要なスキルを身に付けたのち、実際に飛び降りる動作を経験するのである。
駐屯地の一角にある跳出塔は、高さ十一メートルである。
心理的に、人間が最も恐怖心を覚える高さで建てられている。
ここから安全ロープに装着帯を接続して、飛び降りる動作を行う。
事前の説明で、飛行幹部候補生たちのなかには、緊張する者も少なくなかった。
星華も、そしてケイもその部類のなかにいた。
一方、玲子も内心は緊張していたかも知れなかったが、表には表れていないように、周囲には見えた。
「怖いか? 明日の跳出塔は」
夕食を取るために食堂に向かって歩きながら、星華は治に聞かれた。
それは、座学で、明日からの飛出塔での訓練についてレクチャーされたあとだった。
星華は、素直に肯定した。
「ええ。わたし、正直にいうと、少し怖い」
少し元気の度を失ったかのように、星華が答えた。
「おれも、最初の時は怖かった」
虚勢を張って、化けの皮がはがれるのを恐れたというより、自分も怖かったという方が、彼女から親近感が持たれるという計算に基づく治の作戦だった。
跳出塔は、もちろん危険にできているわけではない。
塔の跳び出し口からはワイヤーが張ってあり、そこに落下傘に見立てたリードが滑車でつながれている。
跳び出した直後は五メートル以上体が落ちるが、地面に落下することはない。
実は、まったくの民間人も、体験で飛び降りるころがあるのだ。
「だけどさ、自分はできるって信じることが大事なんだ」
偉そうにアドバイスしてはいるが、これは治が基本降下課程で受けた教育の一部だった。
そして、「教えられたとおりに、そのままやれよ」と、付け加えた。
そして治は、話題を変えた。
「覚えているか? 家庭科の授業の時のこと」
唐突な質問に、星華は首をかしげて、問い返した。
「なんのこと?」
「裁縫で、ボタン付けのやり方を教えてくれたこと」
元来、治はそれほど手先が器用な方ではない。
小学校当時、家庭科の授業で四苦八苦していたのは、裁縫、特にボタン付けだった。
ボタンを縫い付けたあとで、どうしても玉止めが長く伸びてしまい、結果としてボタンが緩んだ。
「はい。こうすれば、結んだあとが伸びないの」
隣の席に座る星華が、上手なやり方を教えてくれた。
治は、もちろん大感激で、胸がときめいた。
「あれと同じ。基本のとおりにやるだけさ。最後に、五接地転回着地を忘れないようにな」
「ええ。分かった」
なにか、安心したように星華は答えて、微笑んだ。
――
夕食から宿舎へ、女子三人で戻る道すがら、ケイは星華に尋ねた。
「なにかたっちょったのよ? あの昔のクラスメイトと」
いかにも興味津々な様子のケイだった。
ケイは、早くも星華に接近してきた男の本音を見抜いていたのである。
「別に。明日の訓練のこと。跳出塔から跳び出す時のコツとか」
星華の答えは、素直なものだった。
ケイは、「ふーん」と思わせぶりに頷いて、話題を変えた。
「そいにしても、陸自の空挺って、いい男が揃ているところねえ」
脇で聞いていた玲子は、口にこそ出さなかったが、
――訓練で来ていて、暢気ね、あなたは。
と、呆れていた。
学生長のとしての重責が、そのようなことを玲子に気にさせていた。
玲子は、まだケイの男の価値を判断する基準を知らない。
ケイにとってのいい男の基準は、「筋肉質であること」なのである。
かつて飛田省吾と燃え上がったのも、彼が首席だったからではなく、同期一の筋肉男だったからである。
そして、習志野は、陸自でも有数の体格の立派な男の巣であった。
そんなことは、星華も知らなかったから、ケイの心中は分からず、
「そうかしら」
と首を傾げたのである。
――
「環を掛け!」
教官の号令に従って装着帯をから伸びた自動索環を、強固なバーでできた仮装索環に接続させた学生たちは、号令を待っていた。
その多くの者たちは、緊張の極致にあった。
「位置に付け!」
彼らは、輸送機内を模した跳出塔の最上部の室内にいた。
次の号令は、これから外に飛び出す動作を準備することを意味している。
外の風が、なかに吹き込んでくる。
学生たちは、努めて外を見ないようにしていた。
跳出塔は、人間が最も恐怖心を覚える高さを意図して建てられているのである。
そして、運命の瞬間は、それから一〇秒以内にやってくる。
「降下!」
編上靴が床を蹴る。
飛行幹部候補生たちは、次々と体を宙に浮かせ、そしてワイヤーにぶら下がって、斜め前方へと滑るように降りていった。
女子三人を含んだ次のグループは、塔の下で、その光景を見上げていた。
星華たちの傍らにいた治のトランシーバーが、塔の上部から次の番が来たことを電波で伝えた。
「2グループ、上へ」
トランシーバーでの指示を受け取った治が、グループに対して伝えた。
迷彩服に装着帯、頭は訓練用ヘルメットという姿で、階段を登り始める。
階段を踏みながら、星華は前の候補生の背中を見つつ、治の言葉を思い出していた。
――自分はできるって信じることが大事なんだ。
「わたしは、できる」
緊張するなかで、星華は自分で自分にいい聞かせた。
それでも、緊張と怖さが湧き上がることを抑えるのは難しかったのだが。
グループは最上部の室に入った。
天井に装着された仮装索環というバーが、室の外に続くワイヤーにつながっている。
これに装着帯を環で接続するのである。
「環を掛け!」
統制役の小松の口から、最初の号令が響いた。
顔を幾分強ばらせたまま、グループ先頭の玲子、そしてうしろに並ぶ候補生たちが、続いて自動索環をバーにセットする。
正直にいえば、逃げ出したくなる気持ちも、星華にはあった。
「位置に付け!」
次の号令が発された。
――わたしは、やる。
列の前に並ぶケイの背中を見て、星華は今一度自分に向かっていった。
「降下!」
小松の号令が下った。まず先頭にいた玲子の姿が、一瞬で消えた。
そしてケイがそれに続いた。
星華も、反射的に走り出し、そして宙に身を躍らせた。
跳出塔の外に出た瞬間、全身から体重が抜けた。
体が5、6メートルも下に落ちたのだ。
次にワイヤーの弾性で、逆に上方へと引き上げられる。
その時に下を見て、初めて星華に恐怖心が湧いた。
――いやあああー!
思わず叫び声が口から出てしまいそうになった。
ワイヤーをなかに通した環は、そのまま滑って、やがて星華の体も、前のケイに続いて、地面に近くなっていった。
「ありがとう、角田くん」
着地後、初めて治に顔を合わせた時、星華は顔をほころばせて治に礼をいった。
自分が、また一つ成長できた、そう思ったからだった。
治は、内心喜びを爆発させつつ、表面は格好をつけて、こう答えた。
「小学校の家庭科の時、玉結びを教えてくれた、あの礼さ」と。
――
落下傘降下訓練は、佳境に入った。降下塔訓練である。
降下塔は、高さ80メートルの鉄塔であり、その最上部から、実際に落下傘で吊り下げられ、地表まで降下する。
降下中は、落下傘とつながる吊索で落下傘を操作しながら地上まで降りて来るのだが、この操作を誤ると訓練地域内に着地できないばかりか、過去には付近の建物の屋根に着地した例があったといわれている。
「準備よいか?」
「OK!」
マイクを通じて返事が返ってくると、降下塔の上部から落下傘が切り離される。
「右引け!」
「左引け!」
と、風向きによって落下傘を微妙に操作しつつ、順番に降りてくる。
この日はやや横風が強く、鉄塔にぶつかって落下傘がしぼみ、降下中止となる者も出た。
玲子は、なにごともないように着地し、五接地転回着地のとおりに右側に着地した。
次のケイは、訓練場の脇にある溝に背中からはまってしまって、
「ちっと、なによ! これ!」
とそのままの姿勢で騒いで、見ている者の笑いを誘った。
だが、次が自分である星華には、ちょっと笑いごとではなかった。
自分の番が来て、落下傘を装着して吊り上げられる前、星華は治に呼び止められ、
「今度も忘れるなよ、基本通り、そして、自分はできる、だ」
「ええ」
やや硬い表情のまま、星華は答えて装着帯を落下傘に接続した。
安全が確認されると、吊り上げが始まる。
ゆっくりした速度で、星華の体は地表から離れていった。
考えてみれば、飛行機のなか以外では、こんな高さに上るのは初めてだった。
まず普通の人生ではあり得ない体験だった。
周辺の景色を見ると、意外なほど地上の建物が小さかった。
そして、地平線が下の方に見えた。
「準備よいか?」
「OK!」
そして、降下が始まった。
下で見ているとゆっくりした感じだが、自分でやってみるとそれよりはスピードを感じる。
「右引け!」
風に流されまいと、声に出して落下傘の操作を行う。
短い時間の内に、地表が迫ってきた。
その瞬間、星華は風向きから左に倒れるべきと思った。
「降下、左!」
まず両足の裏で地面に接し、左に倒れ、スネ、太もも、臀部、そして着地した足とは反対の右肩の順でうしろに倒れた。
――やった!
と自分でも感じた。
星華は訓練地域のなかに、無事着地することができたのだった。
「空挺ナンバーワン!」
「航空ナンバーテン!」
最初の頃、体力練成で営内を走っていると、伴走する空挺教育隊の者たちは、こういうコールをかけた。
ナンバーテン、つまり最低といっていたのである。
星華たちは、反発を覚えて、
「航空ナンバーワン!」
と叫び返した。
最近は空挺側も、
「航空ナンバーワン!」
と発声するようになった。
飛行幹部候補生たちは、見事に心理戦にかけられたようだった。
落下傘降下訓練も、終わりに近かった。




