Scene#2 湘南鎌倉女子学園校門
「募金をお願いしまーす」
「九州大震災の救援募金をお願いしまーす」
校門付近で呼びかける星華たちに、下校して行く女生徒たちは、ある者は気前よく紙幣を両手で支えられた箱のなかに投入し、別の者はお付き合い程度の小銭を落とし入れていった。
それでも、二時間で募金箱はそれなりの重さになった。湘南鎌倉女子学園は、基本的に低所得者層の子女は通っていない。
星華の同級生たちは、親が国会・県会議員とか、経営者とか、医師とか、中央省庁のキャリアとか、法曹とか、簡単に表現すれば上流家庭の娘が大多数である。星華の家も同じだった。
「もう四時半、そろそろ終わりにしましょうか、先輩」
隣に立つ高等科で一学年下のカーチス春陽が声をかけた。
彼女の父親は、来日二十年のアメリカ人渉外弁護士である。
妹で中等科二年生の沙菜は中等科薙刀部のエースで、去年の県大会新人戦で優勝し、「湘鎌の紅い彗星」と呼ばれて、注目を集めていた。頭髪が父親譲りの赤毛故である。
十分豊かな家柄だが、そういうところを表に出さないあたりが、本当の育ちのよさを表している。
生徒のなかにはいわゆる成金の子女もいるが、そういうのに限って、高校生には身分不相応な所持品を携行していた。
「そうね。もう十分貯まったし。生徒会に預けて、帰ろう」
星華も、特徴である大きめの両眼をくりくりさせて同意した。
石造りの校門をあとにして、花壇の続く石畳の道を校舎に向かって進んだ。
この花壇の手入れは中等科生徒の役割で、当然星華たちもやったのだが、結構面倒な仕事なのである。
三日前に発生した九州中部一帯を襲った九州大震災の被災地に、義援金を送ろう――臨時生徒会の議決によって各クラスに募金係が割り振られ、毎日授業が終わると校門に立つことになった。
そして、今日が星華と春陽の番だったという次第である。
数十分後、帰り支度をして肩から学校指定のバッグ(これが、実は近隣校に対するステイタスシンボルなのである)を下げた星華と春陽は、校門を出て若宮大路を右に折れ、一の鳥居の脇を過ぎて、由比ガ浜海岸を目指した。
左に曲がってJR鎌倉駅を目指してもいいが、少し海を見て行きたかった。
星華は海を見がてら一緒に歩き、そして江ノ電経由で帰宅するつもりだった。
観光シーズンが到来していない海辺は、閑散としている。
歩道を行く人はいるにはいるが、道路は混んでいない。
ゴールデンウイークや真夏の渋滞が嘘のようだった。
潮風が、気持ちよく頬を撫でた。思わず春陽が、
「――いいお天気ですね」
というと、星華が応じた。
「ええ。本当」
去年から、自宅にいると正直、気分が滅入ることが多かったから、春の蒼空が暗くなった彼女の心を染めて、明るくしてくれるような気がした。
海岸に目をやると、波の上をウインドサーファーが滑っている。空には鳶が舞っていた。
しばらく食べていないので、本当なら鎌倉駅西口の紀ノ国屋で、好きなカーラントローフとかを買って帰りたかったが、今は、贅沢はできない。ポケットのなかにそれだけの小銭はあっても、精神的に。
――わたし、これからどうなるんだろう。
去年の夏の事故が、彼女の人生を大きく狂わせた。オーストラリアでのホームステイを終えて、成田空港から帰る途中だった。
リムジンバスが、逆走して来た車との接触事故を起こした。
死者は出なかったが、不幸にも星華は左腕の肘から先に10センチばかりの裂傷を負ってしまった。
「残念ですが――」
医師が告げた事実は、小学生の頃からの夢を一瞬にして打ち砕くものだった。
「わたし、お母さんのような客室乗務員になりたい」
と星華が最初に口にしたのは、小学校四年生の時だった。
母は、民間エアライン大手のオールジャパンエアで国際線に乗務する客室乗務員CAだった。
物質的にはまず不自由することなく、精神的にも一人娘として両親の愛情を注がれて育った。
家は豊かだったが、かといって不必要に甘やかされることもなく、躾はきちんと行われた。その甲斐あってか、大学在学中に公認会計士試験に合格するという秀才ぶりを示した父親の知性と、会社一と称された母親の優美さを兼備したといわれ、成績もよく、友達にも恵まれ、幸福そのものの生活だった。
小学校こそ地元の市立校だったが、中学からは母が卒業した湘南鎌倉女子学園に通い、将来は母と同じ女子大を経て、同じく一流エアラインの客室乗務員になるのが夢だった。
それまで仕事と家庭を両立していた母は、娘が小学三年生の時、客室乗務員の職業病ともいえる腰痛を発症し、完治の見込みは薄いと知った。
彼女は完璧なサービスができないことを悟り、退職を決意した。
それほど後輩たちに厳しかった母は、自分にも厳しかった。
当時、悪名高き「尼将軍」の引退を知り、一堂に会して祝杯を上げた若手CAは、十人を下らなかったという。
そして、母がいよいよ現役を引退して退社する最後のフライトである成田・ハワイ便に、星華と父を招待してくれたのである。
ファーストクラスで乗客の接遇に当たる母の優美で(乗客には)親切な姿は、娘の心に強い印象を残したのだった。
それ以前から、星華は空や飛行機に興味を持っていた。
母からは仕事の体験だけでなく、飛行機を初め色々な空の雑学を聞かされて育った。
そうした環境で、星華にはぼんやりとした「お空の仕事」への興味が植え付けられていた。
しかし、その時から、少女の夢ははっきりしたものとなった。
わたしも客室乗務員になる。きっとなる。
国際線に乗務して、色々な国へ行く――そう思った。
そうなると、信じて疑わなかった。
高校二年の春のあの日、左腕に治療不可能な傷跡を負うまでは。
「そんなのうそ! うそ!」
客室乗務員は、ただでさえ競争率の高い人気の職業であるが、身体的外傷は採用試験で決定的に不利になる、と母が告げた。
例え事故による外傷であっても、他の身体機能に異常はなくても、採用されない――そう知らされて、病院のベッドで、星華は泣きじゃくった。
だが、母が気を取り直すように諭しても、時間が経っても、現実は変わらなかった。
退院後、いくつもの整形外科の専門医に受診したが、傷跡を完全に治すことはできないという結果は、動かなかった。
僅かな望みを抱いて受けた三回目の診断も結果は変わらず、自宅に帰ってから、星華は自分の部屋に戻るなり、ベッドに倒れ込んだ。
そして、大きな声を挙げて泣き出した。小学生の時からの夢が、本当に音を立てて崩れて行くのを感じていた。
机の上に、何冊もエアラインの世界へ就職する方法を解説した本や雑誌が並んでいる。
大学生になってからでも遅くはなかったが、一日も早く読みたかった。
英語は必須だから、小学生の頃から英会話を習って、海外のホームステイにも何度か行った。
立ち居振る舞いも大事だと母に聞いて、それを身に付けようと、毎週市内のバレエ教室にも通った。
旅客機内でミールカートを押しつつ、乗客の求めに応じて快くドリンクやミールをサービスする自分、ファーストクラスで、英語の他にもフランス語とかも使いこなして乗客をもてなす自分、空港の通路を、キャリーケースを手に引いて闊歩する自分……そういう心に描いていたシチュエーションの数々が、すべて幻になってしまうかと思うと、流れ出る涙が止まらなかった。
――わたしの夢が、もう、おしまい……
綺麗なばかりの世界じゃない。
イメージされるより薄給だし、現実のCAは肉体労働者で、「空飛ぶウェートレス」だということも聞いた。
女の世界特有のドロドロした話は数限りなく、離職率も結構高くて、意志が強くないと続かない職場だとも聞いている。
それでも、どうしてもなりたかった子どもの頃からの夢だった。
泣くばかりで眠れない夜が明け、そしてまったく気の進まぬまま学校に行き、帰って来てまた自室に閉じこもった。
表面だけでも正常に戻ったのは、数日後だった。
そして、状況に光が差さないまま、一年近くが経過し、三年生の高校生活がスタートした。
――目の前を湘南街道・国道一三四号線が東西に伸びていた。
星華と春陽は、歩行者信号が変わるのを待っている。
ふと目を右方向に向けると、見慣れない深緑色の車両が三浦半島方向から近付いてくる。
彼女たちには分からないことだが、73式小型トラックを先頭に、中型トラック、そして水タンクやトレーラーを牽引した大型トラックで編成された十数両の車両縦隊だった。
縦隊は、星華たちの目の前を通過し、江ノ島方向に走り去って行った。
「横須賀の自衛隊だ、きっと」
春陽が呟くようにいった。「九州の被災地に行くんですよ、先輩」
これは二人の知らないことだが、横須賀市の武山駐屯地に所在する第三十一普通科連隊から差し出された部隊であった。
東部方面隊から派遣される第二陣の一部に指定されてあわただしく出発し、部隊の集合地点である富士駐屯地に向かう途中だった。
トラックの車体の側面には、「災害派遣 第31普通科連隊」と黒字で染め抜かれた、畳を二畳半くらいは横にしたと思える大きな白い幕を括り付けていた。
この時の星華にとって、自衛隊はほとんどまったく関心の外にある存在である。
近くの横須賀市にはいくつかの基地がある、という程度の認識しかない。
この年頃の女子にとっては、別に不思議な話ではないことではあるが。
「そう、九州へ行くんだ」
と、これも想像を言葉にして返した。
「聞いたんですけど、うちのクラスの尾崎さん、叔父さんが埼玉の自衛隊のとてぉっても偉い方で、やはり派遣されるんですって」
星華にとっては、余り馴染みがあるとはいえない生徒の名前を、春陽は口にした。
「大変そう。ご無事で戻っていらっしゃればいいけど」
関東・甲信越を管轄する東部方面隊管内からは、既に第一師団、第十二旅団、そして第一施設団を中心に数千人が派遣される途上にあった。海上自衛隊、航空自衛隊も部隊派遣が進められていた。いずれも、彼女たちが預り知らぬ情報ではある。
「ゴキ、先輩」
「ゴキ」
春陽の自宅は、鵠沼の高級住宅地にある。
江ノ島駅で別れのあいさつを交わして、星華は、春陽と別れた。
学校では別れのあいさつとして「ごきげんよう」を使うよう指導されていたが、生徒たちの間では、このように簡略化されていた。
道路を渡って湘南モノレールに乗り換える。
モノレールを片瀬山で降りて、自宅までは徒歩五分くらいだった。
家が近づくと、少し足取りが重くなる。立派な構えの門をくぐった。
「ただ今帰りました」
玄関のカメラに向かって告げると、玄関の鍵が開く音がした。
キッチンでは、母の真由里が夕食の準備を整えている最中だった。
「お帰りなさい。直ぐに晩御飯ですからね」
母が答えた。最近、父は仕事の関係で遅くなくなりがちだったから、夕食は母と娘で済ませることが多かった。
寝室に戻って制服から普段着に着替えた星華は、手を洗ったあと、台所に直行して母の手伝いを始めた。
「小さなことをおろそかにしていては、客室乗務員になれません」
それが実体験に基づく、母の持論だった。
星華が夢を口に出した翌日から、「客室乗務員の仕事は、保安要員、接客業にして肉体労働者」を職業哲学とする母の英才教育が始まった。
「バゲッジの上げ下ろしから、ドリンク・ミールのサービス、そしてトイレ清掃ラバチェックまで、面倒なこと、お客様PAXの負担になることを、すべて快く引き受けるのが客室乗務員です」
最初にそういってから、母が娘に課したのは食事の準備・あと片付けに始まって、掃除、洗濯、アイロンかけ、裁縫、靴磨き、果ては庭の草木の手入れまで、むしろ花嫁修業といった方がよさそうな作業の数々だった。
ホームパーティが好きな母は、娘が怪我をする以前、数か月に一回くらいのペースでAJA時代の友人(現役もいれば、OGもいた)を週末の自宅に招待していたが、その頃の接遇を手伝う星華の動きを見て、
「現役の頃のお母さんに、負けていない」
「もう、新人研修が要らないくらい」
「どこのエアラインでも通用する」
と、口々に褒めちぎった。
かなり社交辞令やお世辞が混じっているとは分かっていても、星華は心のなかで有頂天だった。
――わたし、絶対、客室乗務員になれる。
と確信していた。
英才教育の成果は、確かにあったらしい。
客室乗務員として経験を積んだあとは、頼りがいのある――経済的にも、精神的にも――男性と巡り合って結婚し、仕事と家事・育児を両立して……と、いかにも育ちのよい少女らしい夢の続編も抱いた。
夕食のあと片付けが済んだのち、親子はリビングに移って、父の帰宅を待っていた。
TVでは、連日のように九州の惨状を報道している。電源スイッチを入れた画面に映ったのは、まず崩れ落ちた熊本城の姿だった。
次に、被災者が身を寄せ合う避難所に中継が変わった。
着の身着のままで逃げて来て、毛布一枚を体の上にまとった人々の姿は、痛々しいものだった。そんななか、レポーターが、
「こちらの避難所では、熊本県知事の要請を受けた陸上自衛隊による炊き出しと給水が行われています」
とマイクを片手に述べて、次に炊いたばかりの白飯を大きなしゃもじでかき回す迷彩服姿の隊員を映し出した。
次のシーンで、避難所の前には、星華が昼間に見たのと同じ車両が何台も駐車して、投光器の光を浴びていた。
「大変ね、こういうところの方々は。こちらも地震がないといいけど」
独り言のような母の感想を聞いて、星華は頷いた。
そして、自分の目前を横切った昼間の車両を思い出した。
なにかしら、星華は胸に響くものを感じていた。
今まで異次元の存在だった迷彩服姿の集団に、昨日まではTVや新聞で見ても、なにも感じなかった存在に、である。
「わたし、学校の宿題をします」
といって、自室に星華が戻ったのは午後八時前後だった。
進学塾のない日の習慣である。とはいえ、部屋に戻った彼女がまず行ったのは、愛用のタブレットに電源を入れることだった。
既に投稿動画サイトには、多くの地震に関する動画がアップされていた。
壊れた家屋や街並み、土砂崩れを起こした山肌、地割れが走る道路、落ちた橋梁、避難所に身を寄せる打ちひしがれた被災者の姿などが、次々と映される。
被害は、昨日より一層大きな規模となっていることが動画から察せられた。
その他に、政府や各省、自治体の記者会見といった具体だった。
そのなかで、ふと目が止まったのは、
「災害派遣 海上自衛隊女性パイロット」
映像は、広い甲板の船――護衛艦という名詞を、この時星華は知らない――に一機のヘリコプターが降りるところから始まっていた。
「九州大震災の被災地で活動する自衛隊ですが、そのなかに一人の女性パイロットの姿がありました。……番組は、この女性パイロットを取材しました」
着艦したヘリに、一列になった乗員がリレーで物資を搭載し、再び翼が回転を始め、発艦して行く。
カメラは、次に上空からの機内風景と、操縦席にあるパイロットの姿が映された。
「島村 緑 三等海佐」と、名前が出た。
護衛艦内のブリーフィングで男性隊員に対して指示を下す場面、被災地のヘリポートに着陸する場面とかが流れ、最後がパイロット本人へのインタビューだった。
「すごい……」
星華は、思わず声に出し、そして息を呑んだ。
耳学問では既に女性パイロットが多く活躍していることは知っていた。
しかし実物、それも自衛隊にいるとは思わなかった女性パイロットを見て、これまでとは違った新鮮な印象を抱いた。
そういえば、こんなことがあった。航空業界に多く就職実績を持つ専門学校が、職業体験として客室乗務員やパイロットの体験をさせるイベントを開催していて、星華も中学生の頃から何回も足を運んでいた。
実物そっくりの設備で所作や接遇とかの体験をしたほか、山梨まで出かけてセスナ機にも搭乗した。
誘導路から滑走路に進み、そして滑走、離陸の際の緊張感は、今も覚えている。
客室乗務員の職業体験とは別の意味で、印象は強く残っていた。
動画が終わったあと、少しの間ぼっとしていたが、次に星華はディスプレイに指を走らせた。
客室乗務員がだめでも、あるいはパイロットとかはどうなんだろう、同じ空の仕事なんだし――という思い付きに等しい単純な考えが頭に浮かんだからだった。
短時間の内に出た検索結果のなかにあったのが、次の文字列だった。
「航空自衛隊 航空学生」
――航空自衛隊?
まだ、星華は自衛隊に陸海空の区分があることもよく分からない。Web情報を、声にして読み上げて行った。
「高校卒業又は中等教育学校卒業者(見込みを含む。)、高専三年修了者(見込みを含む。)及び高校卒業と同等以上の学力があると認められる男女を対象」
そこに記された情報によれば、少なくとも処遇は、聞いていた客室乗務員のそれより、よさそうだった。
「パイロット、か……」




