Scene#10 下関市街
列車は、スピードを落として下関駅のホームに滑り込んだ。停車の少し前に、玲子の携帯音楽プレーヤーではサザンオールスターズの「蛍」の再生の途中だった。
ピンク色のワンピース姿の玲子を先頭に、落ち着いたブラウスとスカートの星華、そしてデニムの上着とジーンズのケイは、一列になって電車から降りた。
簡単にいえば、ガーリーなのが玲子、コンサバ系が星華、ボーイッシュなのがケイである。
実際、三人揃って同年代の女性としては水準以上の外見である。
特に玲子は女子高生時代、何度か少女向け雑誌の表紙を飾っていた。
自分が異性の注目の的となることに喜びを覚える点で、玲子も若い女の例外ではない。
今日も、男子学生一同の追尾を振り切るようにした外出したのだった。
星華たちについて、例えば男子学生の会話は次のようなものが交わされている。
A「藤堂は、やっぱ別格だよな。ルックスも話し方も女王様そのもの」
B「なんだよ、お前、そんな趣味があったのか?」
A「変に受け取るな。単にパーフェクトな女だという意味だ。おまけに、親父が次の空幕長だろう。ゲットすれば、出世間違いなし」
C「そういうがな、藤堂に接近して撃墜された奴は、先任期含めて、もう十人くらいいる。それも、不快感を与えないお上手なやり方で、『ごめんなさい』だ」
B「手ごわいな。天辺はどうだ」
A「あれは、モノホンのお嬢様。母校が湘南鎌倉女子、全国でも指折りのお嬢様校だぜ。母親からして、オールジャパンエアの元CAだとよ。よく分からないが、天辺自身も、本当はCAになりたかったらしい」
B「おっとりしていて、おとしやかで、上品で、おまけに天然で、藤堂が女王様なら、こっちはプリンセスか……いいよなあ」
C「山之内、あれもたまらん。ハーフでエキゾチック、ワイルド、そのくせ中身は情が厚いからな」
改札を出ると、直行するのは駅近くのファミレスである。
基地内では売店の菓子くらいで我慢しているが、外出時には若い婦女子の欲求に従って、まずはスイーツの補給に取りかかる。
「季節のフルーツパフェ、パンケーキのホイップクリームがけ、それからプリンアラモード」と、タッチパネルを操作した玲子。
三人のなかでは、とかく一番甘味を補給するのが彼女である。
なお、このあとで普通の昼食も当たり前のように胃に収める。
普段の基地での食事量も三人のなかでは最大なので、正直、星華とケイとしては、体育で消費するカロリーを計算に入れても、これで玲子のボディラインが崩れないことが不思議なのである。
「ベイクドチーズケーキ」
星華は、ささやかな注文をした。元から余り大食いではなく、体重には他の二人よりずっと気を使っているのである。
「アップルパイと苺のソルベ!」
中間となる量がケイだった。
スイーツの到着を待つ間、ドリンクバーから飲み物を持って来たあとで、三人の話題は最近の男子学生からのアプローチとなった。
なにしろ、最も多感な年齢の青年が一カ所に押し込まれて教育に追いまくられるのである。
貯まる一方のストレスと強いられる忍耐の発散は、自然と三人しかいない同期の女子学生に、(今のところは)映画だの食事だの観光だの誘いといった形で向けられる。
最初は辛く当たっていた先任期学生すら、少しすると星華たちに攻撃を仕掛けてくるようになった(それも、当初は厳しい態度を取った学生ほど、積極果敢に)。
先任期は二人いた女子学生が体力や健康面の理由で課程免されたので、女子が皆無なのだった。
要するに、基地内の星華たちは、飢えた狼の群れに囲まれる仔羊三匹に等しいのである。
「一区隊の永井学生から、一昨日、映画に行こうって誘われました」
「しっくでなー、彼。先週は、あたしにモーションかけてきたよ。永井って、団本部の女子職員にまで頻繁にチョッカイ出しちょっそうじゃっで」
いかにも色男を気取る同期男子の名を、ケイは不愉快極まる調子であげつらった。
このような男たちに対する酷評は、彼らの注目を浴びているという女特有の満足感の裏返しかも知れない。
三人とも、「うざい」という感情の裏側で、同世代の男子の視線を集めていることに、(女なら誰でも抱く)喜びを覚える面があったのも確かである。
ウェートレスが両手に注文されたスイーツを手に運んでくると、
「この点は、お局さまのいっていたとおり。確かに右も左もオオカミばっかり」
と、目の前のパフェをすくいながら、玲子は指摘した。
入隊以前から玲子には予備知識があったが、世界的に現代の軍学校とか新兵訓練所では、教育される者同士の恋愛こそが教育する側にとっての最大の頭痛の種なのである。
現代では、世界中どこの国も、男子だけでは軍隊組織の人的補充は成り立たない。
後方勤務だけでなく、戦闘職種でも女子を使わざるを得なくなっている。
それ故に、似た境遇の男女を接近させざるをなくなり、教育にも悪影響を与えるのである。
教育開始に先立つオリエンテーションで、区隊が解散後、女子三人だけが残るよう内務班長に命ぜられたことがあった。
星華たち三人だけが残留した教場で、魔女は次のように宣告した。
「航空学生課程にいる間、男はみーんなオオカミ、恋愛こそ最大の敵だと思いなさい!」
――最大の敵は、あんたよ、あんた!
というのはケイの心のなかの声であるが、一切お構いなく水野二曹の弁舌は続いた。
「航空学生に限らず、防府南の航空教育隊でも、教育期間中に恋愛に溺れて我を失い、教育に身が入らなくなってドロップアウトする例があります。これは、なにも空だけではありません。陸も海もです!」
陸自では、最近の女子の採用増加によって教育部隊を同じにせざるを得なくなっているが、昔は朝霞駐屯地の婦人自衛官教育隊のみで行っていた。
今日でも、同じ教育大隊のなかでも、中隊を別にするようになっている。
なお、海自横須賀教育隊における女性自衛官隊舎「海桜館」の別名は、〈魔女の館〉である。
「もし、あなたたちが本気でパイロットを目指すなら、せめて航空徽章を付けるまでは、恋愛を避けなさい。でないと、後悔するのは自分です!」
――実感が、こもってますわねぇ。
と、ケイは無言で混ぜっ返した。のちに、既に水野二曹が航空学生修了後に、飛行幹部候補生を課程免され、気象職種に転換したと、学生の間では噂が流れていた(これは事実である)。玲子は「当然、知っています」と感じていたし、星華はまだ実感が持てなかった。
高校生までの段階で、星華に恋愛経験がまったくなかったわけではない。
ふとしたことで知り合った男子校の生徒とそれらしき交際をしたこともあったし、キス程度は経験もあった。――但し、不意のキスに、動転してその直後に相手を突き離して逃げ出し、交際もそれっきりになってしまったが。
スイーツを平らげると、三人は店を出て市内の散策に移った。
ウインドウショッピングやら映画鑑賞やら食事やらで、夕方まで潰すのである。
申請すれば外泊も認められるが、門限までに防府北基地に帰るのが一般的だった。
だが、最近、ケイは途中で二人から離脱することがあった。
「悪い。あたし、野暮用があるの。二人で先に帰って。悪り。あたし、野暮用があっと。二人で先に帰っ」
腕時計で午後三時になったことを確認すると、ケイはそう断って二人を置いて、いそいそとその場を離れた。かなりの速足で。
「やっぱり……」
悟ったかのように、玲子はケイのうしろ姿を見て呟いた。
「飛田学生でしょうか」
「それ以外に、考えられないな」
星華が口にしたのは、同期のなかでも最優秀の男子学生の名だった。
そして、二人の憶測は間違っていなかったのである。
その日、ケイは何回目かの外泊を申請していた。
男子学生の間でも、最近は「山之内は止めとけ。もう、あいつは飛田が王手をかけている」といった会話が交わされていた。
――
あたしは、本当なこんな島国の田舎空軍に入るつもりはなかったのよ!
あたしが入りたかったのは、合衆国空軍。
No one comes close、グローバルリーチのUnited States Air Forceよ!
アメリカの経営大学院に留学して卒業後は多国籍企業で働いていたパパと、同じ会社にいた南部生まれのママに連れられて小学校に上がるまではアメリカ、それから中学を卒業するまでは日本、そしてハイスクールの間はアメリカで暮らした。
ニューヨークのハイスクールではチアリーディングをやって全米選手権で準優勝したし、同じ学校でアメリカンフットボール・チームのクォーターバックだったニクラウスが、「一緒に空軍士官学校に行こう」と誘ってくれたから、あたしもその気になった。
パパは日本人のままだったし、あたしはまだ日米二重国籍で、パパが「日本国籍を放棄するまでは、お前たちはまだ半分日本人なんだから」といって、家のなかではあたしや弟の譲には日本語を使わせた。
でも、あたし自身はもうアメリカ人になったつもりだった。
ニクラウスの父親の知り合いの上院議員が、ニクラウスとあたしを士官学校に推薦してくれることになっていた。
それなのに、あの中国系が! 政治献金にモノをいわせた中国系が、あたしの推薦枠を横取りして行ったのよ。
ニクラウスが一人でコロラドスプリングスに行くのを、あたしはただ黙って見送るしかなかった。
ニクラウスは、「大学で予備将校訓練課程を受ければ、将校になれることに違いはない」といって慰めたけど、あたしはもうアメリカという国に、その時点で白けてしまったわ。
合衆国を祖国と信じ、祖国に尽くそうという人間から、カネが理由でその機会を奪った国に。
そして、少しして思い出した。
もう一つの祖国が、あたしにはあったということを。
ハイスクールを卒業して、消極的な両親を説得し、あたしは一人で日本に帰った。
そしてアメリカの市民権を放棄して、完全な日本国民になった。
鹿児島にはパパの兄が暮らしていて、子どもがいなかったからそこに転がり込んだ。
伯父夫妻は土地の名士で手広く事業を営んでいたから、あたしを跡取りにしようと思ったのか、歓迎してくれた。
伯父さんたちには悪かったけど、あたしは二年間日本語の復習と航空学生の受験勉強に費やして、帰国した翌年に合格した。
伯父夫妻は、少しは落胆したかも知れないけど、最終的には合格を祝ってくれた。
鹿児島では自衛隊の地位が高かったし、義理人情に篤い性質だったからかも知れない。
今でも、伯父さんたちには本当に感謝しているし、申し訳ないと思っている。……
二回目のデート、二人だけの場でケイは、アメリカ帰りの自分が、なぜ航空学生に志願したかを飛田に語っていた。
誰にも知られていない(と、当人たちは思っている)仲は、急速に深まっていった。
――
オレは、親父に半ば強制されて陸自の高等工科学校入ったんだ。
戦前から代々軍人で、親父も防大卒の二佐。
だから息子のオレも自衛官以外の道を認めようとしなかった。
内心不満だらけだったけど、親父に逆らう勇気が持てず、武山に行った。
だけど、そこから先は、もういいなりになるのは嫌になった。
卒業後、陸自に行かず、空自の航空学生になったのは、せめてものオレにできる反抗だった。
ケイは、飛田のライフストーリーを聞かされた。
そして、今回はある決意を、打ち明けられた。
「オレは、航空学生を辞めようと思う」
ホテルのロビーで送迎バスを待っている間に、飛田はいった。
「本気なの? 省吾」
真剣な眼差しを向けるケイに、省吾は肯定した。
「本気だ。明日、区隊長に申し出るつもりなんだ」
飛田の顔を見て、ケイはたたみかけた。
「辞めていけんすっと? 行先はあっと?」
「ある。航空大学校に行こうと思っている」
航空大学校は、宮崎県に所在する国土交通省所管の独立行政法人である。
分かり易くいえば、公設の民航パイロットの養成機関で、卒業して事業用操縦士の資格を得れば、民間のエアライン・パイロットの道が開かれる。
但し、学費は(他の民間パイロットへの道に比べれば)少額だが必要だし、少なくとも大学を二年生まで履修していることが受験資格だった。
これから二年間、働きながら通信制の大学で勉強する。
航大の学費は、生徒一学年の頃から貯金して来たので確保してある。そこまでいって、
「一緒に来ないか?」
と、省吾は最も重要な提案を行った。
「一緒に航大に入って、民航機に乗ろう。機長に昇格すれば年収一千万円、二人なら二千万だ。リッチな暮らしができるぞ。――このまま自衛隊にいたら、結局は親父の思い通りだ。もう、それは嫌なんだ」
ケイは即答しなかった。
「考げさせっ。ぽかっとは答えられんから」そして、「バスの時間よ」
そういったのち、二人はバッグを持ってソファから立ち上がった。




