Scene#8 体育館
「本日付で、特別昇任し、退官する神崎空将補を紹介する」
上司たる航空教育集団司令官が紹介文を読み上げる脇で、神崎は不動の姿勢を保っていた。
若者が、恋やレジャーやスポーツやアイドルに現を抜かしていられる国は、よい国だ、と神崎は思う。――だが、日本がそういう国になるためには、それ以前において、若者たちが夢や青春、いや人生そのものを擲って銃を執り、飛行機や戦車や軍艦に乗り組み、困難な、時に絶望的な戦いに身を投じる時代を経なければならなかった。
日本という愛おしい国を、そこに住む愛おしい人々を、身を挺して守るために。
神崎の伯父、陸軍軍曹神崎善助も、そのなかの一人だった。
戦前、陸軍少年飛行兵を志願した善助は、大陸とビルマを転戦したのち、昭和二十年七月、本土決戦に備える飛行第百十一戦隊(大阪府佐野基地)にいた。
終戦末期、資源枯渇・国力払底の悪条件下で開発・生産された機体ながら、信じられない程の高性能を発揮した陸軍最後の主力戦闘機キー一〇〇「五式戦闘機」を装備する部隊だった。
F6Fヘルキャット、F4Uコルセアを圧倒し、連合軍最強の戦闘機と呼ばれたP―51ムスタングとすら対等に戦えた機体である。
これを装備した部隊は、「五式戦をもってすれば絶対不敗」を豪語した。
「小笠原島西方海面上をP―51大編隊が北上中」の情報に接した戦隊は直ちに出動態勢に入り、やがて戦闘指揮所の信号によって基地を離陸、紀伊半島上空で激しい空中戦に突入した。
そのなかで神崎軍曹は、単独でムスタング二機を撃墜し、さらに僚機と共同で二機を撃墜する武勲を挙げ、部隊長から感状を授与された。
そして、これが日本陸軍航空隊の歴史上、最後の大空中戦となった。
翌八月に終戦。
無事郷里に復員した善助は、戦後市井の人に戻り、一介のバス運転手となっても、帝国陸軍軍人として大空で戦った誇りを忘れなかった。
「国は戦争に負けたが、俺は最後まで負けなかった」
というのが、家族の前での口癖だった。
伯父の自慢交じりの体験談が甥の進路選択に大きな影響を与えたことは、いうまでもない。
元陸軍軍曹神崎善助は、昭和が終わった年の夏、かつての最高司令官・大元帥のあとを追うようにして世を去った。
「俺は、これから空の近衛兵になる」、「棺には、軍服と航空頭巾を入れてくれ」
とだけいい遺して。
……自衛隊が創設されて間もなく、防衛大学校の一期生が卒業を前にして当時の吉田茂総理の私邸を訪ねた時、こう語られたという。
「君達は自衛隊在職間、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく、自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。ご苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。一生ご苦労なことだと思うが、国家のために忍び堪えてもらいたい。
自衛隊の将来は君たちの双肩にかかっている。しっかり頼むよ」
俺が入隊してから相当の間、この言葉は真実の時代だったように思える。
大きく変わったのは、カンボジアPKOや阪神淡路大震災の頃以降だったのだろう。
それまでは、やもすれば不良少年の更生機関のような扱いさえされていたのに、ここ最近では東大を初め、一流大学の卒業生が大挙して、防大卒と並ぶ一般幹部候補生に志願するようにもなった。
あのような時代が、歴史のなかの出来事として語られる世になっても、日本がよい国となり、そしてそういう国として存続するためには、少数ながら、それ以外の道を選ぶ若者がいなければならない。
かつて俺は、十八歳にしてその道を選び、今日まで一筋に歩いて来た積りだ。
戦後、日本は一発の弾も撃たず、戦死者を出さず、戦争をしない平和国家だったといわれている。
だが、本当にそうか。自衛隊は創設以来、千八百人もの殉職者を出してきた。
これは、冷戦という弾を撃たない戦争、抑止という見えない戦争の戦死者ではないのか。
オレ自身、訓練のなかで時に僚機を失い、自分自身の命の危機も何度か潜り抜けて来た。
そういうリスクを敢えて冒す組織が存在し、そしてその実力を外に対して見せつけることで、日本は平和を維持して来たのではないか。
オレたちは、現実に戦ってきた。
抑止という、勝利が目に見える形にならない戦争を戦ってきたのだ。
今後の日本がどういう、道に進むかは、これからの世代に任せればよいことだ。
オレは、それを担える若者を多数育てる仕事をする機会を得た。
もう彼らに任せよう。
後輩たちは、どのような任務を課されようとも、きっと立派にやって行けるはずだ。
今日までの人生で、喜ばしいこともあった。
腹の立つこともあった。
哀しいこともあった。
楽しいこともあった。
すべては今日、あの空に置いて来よう。
若人たちよ、飛翔せよ。
「退官団司令挨拶。指揮者のみ敬礼」
「休ませ」
空将補の儀礼肩章を装着した神崎の、自衛官人生で最後の訓示が始まった。
「――最後に、私自身の思い出を語ることをお許し願いたい。戦闘機部隊に配置になり、初めて夜間飛行を経験した時のことである。戦闘機のコクピットから地表を見下ろした時、そこには多数の灯が見えた。私は、それに感動した。自分がなにを守っているか、実感できたからである。一億二千万国民の幸福の一つ一つがそこにあった。そして、自分たちがそれを空から守っているのだと知ったのである。
後輩諸君。一億二千万国民の灯す明かりを守り続けること。これこそが諸君の責務である。そして、この責務は今後、重くなることはあっても、軽くなることは決してない。そのためには、練磨無限。妥協するな。常にベストを目指せ。――以上を以て本職の最後の指導とする。
諸君、ありがとう!」
退官者と学生・基幹隊員の間で、最後の敬礼が交わされた。




