麻津乃さま快刀日記ミニ(参)・・・刃傷
江戸。
とある料亭の、とある座敷である。
身分のありそうな中年侍が、
「小菊。今宵こそ、色好い返事を聞かせてくれるであろうな」
二十歳くらいの美しい芸者を口説いていた。
「野呂田の御前。あのお話は、お断りしたはずですよ」
芸者、かわすも、
「そちの弟は、塾でも一番の秀才だそうではないか。今後の学費の面倒……、いや、仕官の口利きもしてやってもよいのだぞ」
侍、しつこく迫る。
そこに、
「御前。小菊が困っておりますよ。さあさ、こちらで呑みなおしましょう」
年増の芸者が現れ、
「さ。小菊。今のうちに」
と、耳打ち。
若い芸者を逃がした。
「大年増が、邪魔をしおって」
武士は、不快をあらわにしつつも、注がれた酒を一気に呑み干した。
*
江戸の町を散策中の男装の女剣客・松平麻津乃が目にしたのは、広場で武士の子弟と思しき少年たちの喧嘩……いや、よく見ると、大勢が一人を、寄ってたかっての、袋叩きにしている……だった。
そういうのを黙って見ておれないのが、麻津乃で、
「餓鬼ども。やめないか!」
と一喝の後、
「大勢で一人を殴るのは、感心せんな。もっとも、わたしなら、おぬしらが何人で来ようと受けて立つが」
すると、いじめていた側の頭らしき少年は、
「女と戦えるかッ。命拾いしたな。小平太」
捨て台詞を吐くと、仲間を引き連れて去って行く。
「大丈夫かな?」
殴られ倒れていた少年の手を取り立ち上がらせた麻津乃は、言った。
「送ってやろう。家はどこだ?」
*
「もし」
小平太少年の家……と言っても長屋……の戸を叩く、麻津乃。
「どなた?」
顔を出したのは、彼女と同じ年頃の女だった。
「姉の小菊です」
紹介する小平太の泥だらけの格好を見て、
「また、喧嘩?」
きつい口調で、問いただす。
小平太が答える間も置かず、
「喧嘩ではない」
と、麻津乃。
「大勢に、袋叩きにされていたのです」
すると、小菊は、
「どうせ、この子の方から手を出したんですよ」
「だって、あいつらが……」
弟が、悔しそうに話し始めるのを遮り、
「また、『浪人の子が塾に来るな』とでも言われて、切れたんでしょ」
「そんな事じゃないよ!」
小平太は、抗弁。
「姉上が芸者なのを馬鹿にしたんだよ」
「小平太は、あたしが芸者なのが、恥ずかしいの?」
「そんな事ないよ。父上も母上も亡くなって、姉上が芸者をしてくれてなければ、おれは学問どころじゃないさ。でも……」
語る、小平太。
「ああいう屑どもに優越感を与えておくのは、嫌なんだよ」
「分かるぞ」
麻津乃が、口を挟むと、
「あたしには、分からないよ!」
小菊は、叫んで戸を閉めてしまった。
*
「姉上には、男の気持ちは、分からないんだよな」
家を閉め出され、駿河台の麻津乃の屋敷についてきた、小平太。
「その点、麻津乃さまは、分かってらっしゃる。そういう格好をなさってる事だし」
「ははは……」
これに、麻津乃は苦笑したが、
「お言葉ですが」
屋敷で待っていた、麻津乃の弟分である早瀬小太郎が、
「麻津乃さまは、真の大和撫子です!」
と、ムキになって、反論。
「ははは……」
今度は、大いに赤面する、麻津乃だった。
*
およそ半月が過ぎ、麻津乃と小太郎は、小菊、小平太姉弟と、すっかり仲良くなっていた。
そんな、ある日。
小平太の塾の前である。
「小平太。お前の姉上は、ただの芸者じゃないな」
と、いじめっ子の頭分。
「まっとうな芸者は、芸は売っても身は売らないものだが」
そして、
「お前の姉上は、枕芸者だから、体も売るよな」
「何!」
切れた小平太が、抜刀。
相手の少年に、斬りつけた。
「わぁ!」
負傷した頭分が退くと、別のが、小平太を羽交い絞め。
そこに現れた、師匠が、
「何を騒いでおる?」
「小平太が、三四郎さんに斬りつけましたッ」
「何!」
いじめっ子の腕の出血を見て驚いた師匠は、叫んだ。
「誰か。医者を呼んで来なさい!」
*
小菊と小平太の長屋である。
「坂井小平太の姉上」
と、訪ねて来たのは、小平太の塾の師匠だった。
「あら。先生」
小菊が、出迎えると、
「お宅の弟さん、大変な事をしてくれた」
「小平太が、何か?」
「刀を抜いて、お旗本の野呂田権太夫さまのご子息・三四郎どのに手傷を負わせたのですよ」
「か……、刀……。それで、小平太は?」
「野呂田さまのご家来衆が、連れて行きました」
そして、蒼ざめた顔の小菊に、
「それなりのお金を用意して謝りに行くべきと存じますな」
「でも、うちには、そんなお金……」
困り果てた小菊を置いて、無責任な師匠は、帰って行った。
*
「どうしたものでしょう?」
野呂田に差し出す金が無くて困った小菊が、松平邸に麻津乃を訪ねると、
「金は、うちにも無いが」
麻津乃は、答えつつも、
「とにかく、相手の屋敷に謝りに行かねば……」
そして、言った。
「大丈夫だ。わたしも、一緒に行こう」
*
「浪人・坂井小平太の姉で、小菊と申します」
「旗本・松平伊豆介の娘にて、麻津乃。付き添いで参った」
野呂田屋敷の門前に着いた女二人が名乗ると、門番は用人を呼んだ。
そして、用人は、彼女らを屋敷の一室に案内する。
「おう。小菊。よう参った」
上座で待っていた野呂田は、息子が傷を負わされたと言うのに、上機嫌で小菊を迎えた。
しかし、その隣に麻津乃が座ると、
「何じゃ? その方」
と、露骨に嫌な顔をする。
「門前で名乗った通り、付き添いの松平麻津乃」
名乗る彼女に、
「ふんッ」
野呂田は、
「今日は、疲れておる。また、後日じゃ」
座敷を出て行った。
「待たれよ」
その背中に叫ぶ、麻津乃に、
「御前は、『また後日』と」
小菊が、言った。
「今日の所は、お暇しましょう」
*
数日後の夕刻。
小菊と小平太の長屋を訪れた麻津乃が、
「小菊さん」
戸を叩いても、応答は無かった。
「小菊さんなら、お侍に連れられて、出て行ったよ」
と、隣のおかみさん。
「何ッ」
麻津乃は、駆け出した。
*
その頃、野呂田屋敷では、
「秀才の弟は、可愛いであろう」
家来に連れ込ませた小菊に詰め寄る、野呂田。
「そちが、わしの物になる、と言いさえすれば、すぐにでも返してやるぞ」
(御前の妾になるのは嫌だけど……)
小菊の心は、揺らぐ。
(断れば、小平太が、どうなるか?)
悩む、小菊に、
「わしの愚息は、そちの事を『枕芸者』と申して、そちの弟に傷を負わされたそうだが」
野呂田は、続けた。
「え?」
初めて、それを聞いた、小菊は、驚き、
「あたしの誇りのために、小平太は……」
すると、
「誇りなどが、何になる?」
野呂田が、
「そんな物など捨てて、枕芸者になって、わしに抱かれよ。悪い様にはせん」
言った時である。
「そこまでだ!」
凛とした女の声が、響いた。
「何奴ッ?」
恥ずかしい所を見られて慌てる、野呂田に、
「松平麻津乃、推参」
座敷に入って来た、男装の美剣士、名乗る。
「その方。またしても、邪魔立てを!」
恨めし気に叫ぶ、野呂田の前で、
「弟の身を案ずる姉の心を弄ぶ外道め」
麻津乃は、愛刀を抜き放った。
「さあ。小平太の所へ案内してもらおう」
*
「曲者じゃ!」
野呂田の叫びに、
「出合え! 出合え!」
駆け付けた、家来たち。
「てやぁ!」
麻津乃は、それらを峯打ちにて、一蹴した。
そこへ、
「おい」
縛られた小平太を伴った、用人が、現れ、
「刀を捨てねば、この餓鬼の命は無いぞ」
対し、麻津乃は、
「ありがたい。そちらから、小平太を連れて来てくれるとは」
と、突進。
「何ッ」
慌てる用人に、当身を食らわせる。
「小平太!」
弾みで飛ばされた小平太を、小菊が抱きとめた。
「おのれ!」
刀を振り上げて斬りかかる、用人。
麻津乃も、上段に構え、
「夢刀流・天雷!」
振り下ろす。
次の瞬間、用人の体は両断されていた。
*
「野呂田権太夫」
震えている野呂田に、麻津乃が、
「おぬしも死ぬか?」
その時、
「父上!」
野呂田の息子・三四郎が駆け込んできた。
「どうか、父上をお許し下さい」
土下座して、父の命を乞う。
「こいつに免じて、命は助けよう」
野呂田の髷を斬った、麻津乃。
そして、
「三四郎とやら」
訊く。
「何故、小平太をいじめた?」
「それは……、その……」
三四郎は、恥ずかしそうに、
「綺麗な姉上がいて、羨ましかったのです」
「やれやれ。父子揃って、小菊さんに邪恋か」
ため息をついた、麻津乃。
「息子の方はまだ可愛げがある。しかし、権太夫。おぬしのは余りに醜い」
「は、恥じ入ってござる」
野呂田、平伏。
「おぬしら。今後、この姉弟の前に決して現れぬ、と誓え」
麻津乃が、言うと、
「誓う」
「誓います」
悪党父子が、答えた。
*
後日。
小菊と小平太の姉弟が、松平邸を訪れていた。
「小平太。おぬしは、小菊さんの事を『枕芸者』呼ばわりされて、刀を抜いたそうだが、結果として小菊さんの身を危険に晒してしまったのだぞ」
麻津乃に諭された、小平太が、
「すみません。姉上」
「あたしの事を思ってくれるのなら」
と、小菊。
「これからは、短気は慎むのよ」
「はい」
小平太が、答え、
「よろしい」
麻津乃が、締めくくろうとした時、
「でも、小平太さんの気持ちも分かります」
小太郎が、口を挟んだ。
「わたしだって、麻津乃さまの事を『若衆女郎(少年風娼婦)』呼ばわりする奴がいたら、斬るかもしれません」
「ほう」
少し顔を赤らめた、麻津乃は、
「おぬしに斬られる奴が、いるかな?」
と問う。
「いませんね」
小太郎の答えに、皆が笑った。
完