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冬の音

作者: ハル

 例えばそれが自分の世界に沈み込みたい時、例えばそれが感傷的に更けたい時、そういうような時には、何故か無性に小説を読みたくなる。

・・・そんな日が時々ある。


1.

 八王子は秋が深まり、街路樹の紅葉や銀杏は紅葉している。私はまだ行ったことはないが、この季節は高尾山も美しく色づき、今頃は多くの登山客で賑わっているのだと思う。

今日の午後は大学の講義は入っていなかったので、久しぶりに図書館に行くことにした。家に帰る方向とは逆の方向の電車に乗り、相模線、横浜線、中央線を乗り継ぎ、西八王子駅で降りた。

 館内に入ると本の良い匂いが胸いっぱいに広がった。と同時になんとも言えない安堵感を感じた。私はここに戻ってきた。

 私にとって、この場所は自分の安全地帯であり、家でも大学でもない第三の居場所である。

ただ、図書館に来たとはいえ、特に目当ての本がある訳ではなかった。暫くの間、私は適当に本棚を漁っては何か良さげな本がないか探した。

その作業を繰り返すうちに、今日借りるべき一冊を見つけ出した。これだ。


2.

 休み時間、私は独り、大学の食堂で昼食を取っていた。中学の頃も、高校の頃も昼食はいつも一人で取っていた。何ていうのか、グループに上手く馴染めないというのか、輪の中に入れないというのか・・・。

 私の過去を振り返ってみると、独りですごくことが多かった。そして、いつしか、独りのほうが気が楽で心地よいものだと私は思うようになっていた。

 向こうでは笑い声が聞こえる。あっち側では世界はどのように見えるのだろうか。気になりはするが、あちら側になりたいとは思わない。私はこっち側の世界でずっと生きてきたのだから。心地よいものに囲まれ、気を許した少数の人と関わり、馴染の場所で過ごして、ずっと自分を守ってきたきた静かで安全でそして閉ざされたこの世界で・・・・。


 昼食を終えて、先日借りた本を読んでいると隣から声をかけられた。

確か、吉田紗希って名前だったような気がする。彼女は同じ大学の文学部の人で私と同い年である。静かな落ち着いた雰囲気の人で、よく一人で本を読んでいるのを目にする。この日は私と彼女が取っている非必修科目である社会科学の講義があった。(ちなみに理工学部の私がこの講義を取ったのは単に世界情勢に興味があったからだ。)

「あの、その本って・・・」

J/Dサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」だ。

正直、私は急に人から話しかけられることは苦手だ。ただ、なぜだろう。このときは嫌な気分はしなかった。

「あ、えっと・・・。これ・・・ですか?」

私は戸惑いつつ。読んでいた本を持って彼女にそう言った。

私の心の中を読んだのか、彼女は慌ててこう言った。

「あ、なんか、急に話しかけてしまってごめんなさい。懐かしい本だったのでつい・・・。」

私がその事をあまり気にしていなく、謝る必要もないことを言うと、彼女は少し安心したように微笑み、その本について話し始めた。

「私、高校の頃にその本を読んだことがあるんです。なんだろう、周囲と上手く馴染めずに孤独感に苛まれて、でも、どこか人との接触を求めながらも、だけど、距離を置くみたいな・・・?」

考え込むように話す彼女の表情を見て、私はどこか、彼女は何かを抱えているようにも思えた。私と同じなのかもしれない。

 休み時間の終りが近づいてきた。私はバッグの中に小説を入れていたことを思い出した。私はどこかに行くときには、読むか読まないかは別として必ずと言ってもいいほど本を持ち歩く。ただ、そのおかげで電車の中での目のやり場に困るといったことは回避できる。

彼女に話しかけてみる。

「もし、良かったら・・・ これ、読んでみます?」ドストエフスキーの「地下室の手記」だ。今の彼女にピッタリの本かもしれない。昔買って読んでいたが、今はバッグの奥深くに忘れ去られかけている。私が読まないのならば、彼女に読んでもらったほうが本にとっても本望だろう。

「良いんですか?」彼女はそう聞いた。

予鈴が鳴った。私は、来週の次の講義のときに返してくれたら良いと伝えて、私は講義に戻った。


 次の週、約束通り彼女は本を返しに来た。本が一冊増えている。

「先週はありがとうございました。この前のお返しといったらなんですが、良かったらこのも読んでみてください。」

彼女の表情は先週会った時よりも少しだけ明るくなっていた。

彼女はそう言って、私に町田そのこの「52ヘルツのクジラたち」を貸してくれた。

 

それを皮切りに、私と彼女は週に一度本の貸し借りをするようになった。

気がつくと、このやり取りが私の楽しみになっていた。




3.

 11月中旬のある朝のこと、電車で読むために、何か適当な本を探した。

部屋の本棚にある一冊の本を手に取る。夏目漱石の「こころ」だ。

どうしてその本を買ったのかは正直よく覚えていない。有名な本だからなのか、ただ単に興味があったのか、今ではもう忘れてしまった。私は本を開こうとしたが、すぐにそれをやめた。なぜだろう、この本を読む気になれないのだ。 

 高校時代にその本を読んだことがある。軽快で明るい(少なくとも当時の私はそう思っていた)「坊っちゃん」とは対照的に、「こころ」は暗く深く、読むたびに人の心の闇を覗いたような気分になるのだ。

心の闇・・・。

今見えているものだけが、その人そのものではないのだろう。人はだれしもが、多かれ少なかれ嘘や偽りを身にまとって生きているのであろう。この世界は嘘や偽りに満ちて成り立っているのであろうか。そう考えると、この世界がひどく低俗なものに見えてきた。

 「友人K」はどのような思いを胸に自ら死を選んだのだろうか。

私には分からない。いや、むしろ分かりたくもないのかもしれない。

 

 ・・・私はその本を元の場所に戻すことにした。



4.

11月下旬の土曜日、私は初めて彼女と一緒に出かけることにした。この頃には私達の間柄も親しくなり、タメ口で話し合える仲にはなっていた。これまで何回か彼女と話す機会があった。そのたびに彼女はいろいろなことを私に話してくれた。家族のこと、本のこと、大学彼女がでやっていること、将来のことなど。


 京王西八王子駅で降りて、ある喫茶店に向かった。それほど有名ではないものの、落ち着いた雰囲気でコーヒーも美味しく、気に入っている店だ。それほど頻繁ではないものの、たまに訪れるのが楽しみだった。

 ドアを開けると、コーヒーのいい香りが胸いっぱいに広がった。得も言われぬ快楽だ。

カウンター越しの店主がこちらに気づいたようで微笑んで私の方を見た。ただ、次の一言に驚いた。

「いらっしゃい。あら、この方は彼女さん?」

え、彼女・・・?どうしよう。それは自分でもわからなくて、何と答えたら良いのか良いのか分からない。頭が真っ白になる。ただ、彼女と呼べるほどではないのかもしれない。彼女と私は、出会って1ヶ月だ。すぐすぐに彼女だと答えたらその答えは軽薄なものとなるだろう。ただ、そうではないにせよ、彼女は私にとって大切な存在であると思う。

言われたからには、なにか答えなくてはならない。YesでもNoでもない答えを探してみる。そして僕は間を開けてたどたどしくこう答えた。

「う〜ん・・・。捉え方によりますね・・・。多分・・・。」

そう答えながらも、私は隣の紗希の方に目をやる勇気はなかった。



5.

 あの日から数日がった木曜日、彼女から、今から会えないのかとLINEが入った。

 この時期になると18時台でも外は薄暗く、時折、寒風が吹く。冬が近いと私は感じた。遠くの街明か薄っすらと青白く輝いている。彼女と会ったのは大学の中庭にあるベンチだった。

 俯いていた彼女がゆっくりと口を開いた。

「父に反対されたの。せっかく東京に来たのに、また富山に戻るのはどうなのかって。」

私は静かに耳を傾けた。彼女の声は少し震えているように聞こえる。

「富山で、人や地域に寄り添った仕事をしたい。私、最近そう思えてきた。東京に来て分かったの。都会だとどうしても地方の情報が後回しになりがちで・・・。だから、私が地元で地方と都市の架け橋になれたら良いなと思っている。でも、どうしたら良いのか、何が正しいのか、分からなくなってきて・・・。」

その言葉の後、沈黙が流れた。私は彼女にどう言葉をかければいいのだろうか。答えがすぐに見つからない。

彼女は俯いている。と同時に、遠くを見つめているようにも見える。その姿を見て私は一つの答えにたどり着いた。

「自分の人生の舵取りをするのは他の誰でもない自分自身だ。」

彼女は少し驚いたように顔を上げて、私の目を見た。まるでその言葉を待っていたかのように。

私は続ける。

「だから、自分で道を決めて、選んで、自分で歩いていくわけだ。だから、自分がどう生きたいかは自分で決めなさい。・・・ただ、自分で選んだからには責任も伴う。そのことは覚えておいて欲しい。」

 彼女は少し考えるような素振りを見せた。表情が柔らかくなり、小さく頷いてこう言った。

「・・・ありがとう。」

その言葉は冷たい夜の中でもはっきりと耳に届いた。

彼女の中に、少しだけ光が差し込んだような気がした。


6.

 12月の頭の学校帰り、私はいつもの本屋に立ち寄った。

自動ドアが開くと暖かい空気とともに、まだ新しい本特有の紙とインクのいい匂いが立ち込めた。(何度も匂いの話をして悪いが、本当に私はこの香りが好きなのだ。)

私は雑誌コーナーでいつもの月刊誌(JWINGS、AIRLINES、そしてNewton日本語版がメインだ)に目を通し、小説コーナーの方に移動した。あの日と同じく”別に目当ての本があったわけでもないが”だ。整然と並べられた背表紙を眺めているうちにある2組の本に目が止まった。村上春樹の「ノルウェイの森」だ。

正直、今まで彼の本は難しいものだと決めつけて嫌厭している自分がいた。

パラパラとページを捲ると、彼独特の雰囲気が自分のどこかと結びつくように思えた。もしかするとこの本は好きかもしれない。

 本を元の位置に戻し、もう一冊の方を手に取る。「ノルウェイの森 上」。私はさきほど戻した本をまた取ってしまったのではないのかと思い本棚の方に目をやった。そこで私はどちらも上巻であることに気がついた。下巻を探してみたのだが、その一帯には見当たらなかった。私は仕方なく上巻だけを買うことにして、レジの方へ進んだ。

 レジの若い店員は慣れた手つきでその本のカバーを作ってくれた。

その手さばきを見るたびに私は感心してしまう。

 「ありがとうございました」と言い、私は店をあとにした。今夜からしばらくかけて村上ワールドを楽しむことにしよう。読み終えたら紗希に貸してみるのも良いのかもしれない。


7.

 12月の半ば。師走というが、むしろ私は、大学の論文や課題、研究などやらないといけないことが溜まりに溜まって机に張り付いている日々を送っている。そのせいか、彼女と会う時間があまり取れていない。

  

 机の奥に転がっている黒のLAMYサファリを手に取り、常用しているブルーブラックのインクから手紙用のブランクのインクに移し替え、私は彼女に年賀状を書くことにした。

もっとも、私はあまり手紙や年賀状を進んで書く性分ではないものの、大切な人とのやり取りの一環として考えれば悪くないような気がする。活字ではなく手書きの文字ではないと伝わらないことも有ると思う。

ただ、決まり文句や飾った文面は好きではない。できるだけ正直で自分らしい文章を書くことにした。


「明けましておめでとうございます


紗希さん、いかがお過ごしですか。

私の2027年を振り返ってみると、必ずしも順風満帆な一年だったとは言えないかもしれません。

ただ、この一年は学会発表や次世代航空機の研究そしてその先にあるものに向けて着実に前進しなくてはなりません。

吉報をお伝えできるように努めます。

温暖化が進んでいるとはいえ、寒いものは寒いですよね・・・。

紗希さんもお体にお気をつけてください。

良い一年となりますように。」

 このはがきが彼女の元に届くのは3週間先のことであろう。書き上げたはがきを見ながらそう思った。


8.

 12月も下旬。大学が終わり、私は独り立川の街を歩くことにした。

街では八王子と同じくクリスマスツリーやイルミネーションで飾られている商業施設や家が多く見られる。この時期はどこのお店でもクリスマスソングが流れている。夜風に吹かれながら物思いにふけっていた。なぜだろう、どこか落ち着かない自分がいるのだ。


  通りで地元の高校生の吹奏楽部がクリスマスソングメドレーを演奏していた。美しく壮大で若さをも感じられる旋律は寒く乾燥した夜空に響き私の心に染みた。

遠くの温かいイルミネーションの光を眺めながら、ふとこんな事を考えていた。

中学の頃、私は吹奏楽部に入っていてトランペットを吹いていた。楽器が冷えるとなかなか良い音が出ない。ここまでの演奏ができるのは日々の筆舌に尽くしがたい努力の賜物であろう。確か、人間関係が嫌になって私が退部したのもこの時期だった気がする。

 立ち止まってその旋律に耳を傾ける人もいれば、演奏の前を気にせずに通り過ぎる人もいるのが見えた。人それぞれ事情や価値観はあるのだろうけれど、後者の人を見るたびに胸が傷んだ。

 私が上京してから何回かこんな気持になったのを覚えている。覚えているだけで無意識レベルのものを数えると、更に多くなるのかもしれない。

 もちろん例外はあるものの、都会の人はどこか冷たいのだ。

慌ただしく過ぎる時の流れと、溢れんばかりの物と情報の中になにか大切なものを忘れているのではないのかと・・・・。

演奏が終わるとその場にいたのは私と、老夫婦と、子連れの女性だけだった。

彼らに拍手をし、良い演奏だったと伝えると、私はまた、冬夜の中を歩き始めた。 


9.

 しばらく街を散策していると、とあるカフェにたどり着いた。どうやら店内には誰が弾いても良いピアノがあるらしい。昔ネットで見つけたピアノのある店はこれだったのかもしれない。

 気がつくと、私はその店に入っていた。店内を見渡してみるが、私と店主以外には誰もいなかった。私はショートサイズのホットコーヒーを頼んでピアノがある方へ向かった。こんな時間にカフェインをいれることにはなるものの、高校のときに夜にコーヒーを飲んでもちゃんと寝ることが出来ていたので、恐らく問題はないだろう。

静かな夜だ。ラテン語ではノクターンと言うらしい。

このピアノはまるで私のために用意されているようにも思えた。

 そっとケースを開け、鍵盤に手を置いた。ピアノを弾くのは何年ぶりだろう。

静かで美しくどこか寂しげな音色は夜の静寂に溶け込んでいくようだった。。私は無意識にこの曲を選んだ。ショパンの「夜想曲第2番」。

この曲を弾きながら、このことを思い出した。1991年のクリスマスと同時に世界を二分した赤い超大国はあっけなく崩壊して時の流れとともに消え去っていったことを。

始まるものは必ず終りを迎えてしまう。これは世の定めだ。

私と紗希の関係も例外ではないのだろう。

ただ、もう少しだけでもこの関係が続いて欲しい。

私は最後の音を弾いた。静寂が戻ると、そっと鍵盤から手を離すと聞き馴染みのある足跡がこちらに近づいてくる。その足跡の主はすぐに分かった。紗希だ。

それで約束を思い出した。クリスマスの日、この店で落ち合うことにしたのだ。なにか適当な言葉を探してみる。

口を開こうとする。彼女はぐっと顔を近づけて・・・、そして耳元でこう囁いた。「Merry Christmas.・・・くん・・・。」

 その後、私達はコーヒーを飲みながらクリスマスプレゼントを渡しあった。彼女が私にくれたものはパーカーのボールペンで、私が彼女に贈ったのはラルフローレンの赤いマフラーだった。

会話が続き、そして・・・彼女はこういった。「私、やっぱり富山に戻りたい。」私はその言葉を予想できなかったわけではなかったものの、実際に言われるとなんだろう・・・、少し喪失感を感じるところはあった。ただ、彼女が決めた道だ。私は彼女自身が選んだ、その道を支持している旨を伝えた。

会いに行こうと思えば北陸新幹線に乗れば2時間ちょっとで行ける距離だ。実家の宮崎とは違ってそんなに遠いわけではないはずだ・・・。


10.

 冬休みになった。大学生活の上で数少ない貴重な休暇の一つだ。私は周りからは真面目でしっかりとした人のように見られていることが多い。その一方で、家ではダラダラした生活を送っていることは誰も知らない。何冊か気になる本たちがある。こたつに籠もってそれらをずっと読んでいたい気分だ。(実際、こたつは買っていない。部屋にこたつを置くスペースがない上にもしこたつを買ってしまうと益々自分は駄目人間になってしまいそうであるため自制している。)ただ、現実はそうともいかない。レポートなり課題なりやらないとならないタスクが多く残っている。家族に新年の挨拶をしたり初詣に行くこともそのタスクのうちに入るのかもしれない。今年中に全部片付けてしまいたいものの、やはり無理があるだろう。多分、この休暇でまともに休める日が数日しかないのではないかと考えると、気が重くなる。

 とは言え、現実は現実だ。取り敢えず、コーヒーでも淹れて気乗りしないレポートに手を付けることにしよう。

 窓の外では鉛色の雲から雪が降っている。宮崎から出てきた当初は物珍しさに興奮したものの、今ではすっかり日常の一つになってしまったようだ。

 紗希はこの雪をどう見ているのだろうか。宮崎と違って富山は豪雪地帯だ。必ずしも雪に対していいイメージを持っていないのかもしれない。

 そんなことを思いながら、ぬるくなったコーヒーを啜った。




11.

 新しい年が来た。明けましておめでとうございます。

朝食を済ませ、家族に電話をかけることにした。LINEだけで済ませようと思ったこともあるが、それだと自分があまりにも薄情な奴だと思われるような気がしたのでやめた。

 電話がかかってきた。つくばにいる弟からだ。通話は新年の挨拶で始まったものの、弟は最近あったことや、彼女がどうこうと話しだし、次第に会話が脱線していった。終いには、くだらないギャクを喋り始める程だ。私は通話が長くなることを悟った。早く会話の着地点を見つけて、会話を終わらせることにした。悪いがお兄ちゃんは長電話をするエネルギーが無いのだ。時間があるのなら会いに来てくれたら良いのにと弟は言ったが、ここからつくばとなると、わざわざ中央線と総武線を乗り継ぎ秋葉原に行き、つくばエクスプレスに乗り換えなくてはならないので適当な言い訳をして断った。

 一連の挨拶を終えると、私は初詣に出かけた。実を言うと、私は無宗教者で神すらも信じてはいないが、これが毎年のルーティーンだ。 

 木々や草花、建物など、見慣れたはずの風景が今日はどれも新しくて新鮮なものに感じた。

 

 参拝を済ませ境内をあとにすると、同級生の根岸に会った。彼も先程参拝を済ませてきたという。

お前のことだから、きっと彼女が欲しいとかそういうことを願ったのではないかと聞いてみると、図星だったようで驚いていた。逆に自分はどんなことを願ったのかと聞かれたので、一年間健康で過ごせるようにだとか研究で結果が出ますようにとかかれこれ十個くらいお願いをしたことを伝えると、彼は呆れたように苦笑いをし、神を信じないお前の割には欲にまみれたお願いをしたもんだなと言った。ただ、紗希との関係がこれからも続きますようにと願ったことだけは黙っておいた。

 家に帰り着くと、紗希からLINEが届いていることに気がついた。彼女は年末年始を実家のある富山で過ごすのだと言っていたのを思い出した。彼女が私が書いた年賀状を読むのが遅れることは少々残念に思えたものの、富山で家族と楽しい時間を過ごしているのだと思うとそれはそれで良い気がした。

「明けましておめでとう!

私、富山に戻って働きたいことを伝えた。勇気がいることだったけど。始めは反対されたけど、話すうちに父が納得してくれて、私の好きなようにしなさいと言ってくれた。この前はありがとう。」

それを見て彼女は自分で道を進もうとしていることを喜び、応援したいと思う一方で、彼女との別れが近いことも感じ、複雑な気持ちになった。




12.

 季節が巡り、街路樹の桜の蕾は開き始めていた。

私は大学院に進学しBWB機の機体設計の研究をすることにした。


 彼女が富山に戻る日が来た。東京駅に来たのは何時ぶりだろう。ホームまでは一緒に行くことにした。彼女に言いたいことはたくさんあったものの伝えた言葉はほんの一握りだったような気がする。彼女もまた私と同じであったのだろう。

改札を抜けてホームに着くと、そこには青とアイボリーを基調とした美しい新幹線が停車していた。彼女になにか話そうとするがうまく言葉が出てこない。

発車ベルが二人の間を流れる沈黙を破った。

お別れの時間だ。

「さようなら」とは言いたくない。もう二度と会えなくなるような気がするからだ。そのとき私は彼女にこう言ったのを覚えている。「じゃ、元気でね。またいつか。・・・紗希。」

ドアが閉まる。

紗季のかがやきは東京駅をゆっくりと滑り出し、加速していき、小さくなって、そして私の手の届かない存在になった。

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