「トイレットボーイ」
それは都会のど真ん中で起きた小さな冒険の話である。
私はそのビルで商談を行うことになっていた。
商談といってもたいした相手ではなかったしそれほど気合が入っていたわけではない。
私がそこについたのは約束の時間より30分ほど前のことでいささかばかり暇を持て余していた。
そんなときである、いきなり襲ってきたのは便意だった。
約400gの軍勢は大腸を乗り越え奇襲攻撃を仕掛けてきたのだ。
私はトイレへ走り。一番手前の個室に突入した。
そして脇目も振らず踏ん張った。
全神経は排泄にのみ集中し外界を遮断した。そのせいだろう私が状況の不自然さに対し疑問を抱いくに足りる脳のリソースの管理が
行き届いたのは全ての便を出し切った後のことである。
前方約45度、そこには男性が立っていたのである。凛とした態度のその男性は私が凝視すると少し眉をひそめた。
彼は私が奏でた肛門のセレナーデを傾聴していたのである。
「えーあーえーなんっえ君は、えーどう、え、なんでそこにいるんだよ!」
「あっ私はトイレットボーイです」
聞きなれない固有名詞である。彼はどうやら「トイレットボーイ」らしい、しかしそれを聞いたところで私の辞書にはそんな言葉は載っていない。
「お尻拭きましょうか?」
これまた人生で始めて言われたワードが飛び込んできた。もしかしたら私が赤ちゃんの時にこんな言葉をかけられていたかもわからないが
物心ついてからは初めてである。そしてそれと同時に一種の好奇心にも似た気持ちが湧いてきたこと事実である。
「えっふ、拭いてくれるのか?」
奇妙な会話である。自分でもよくわからないがその場の空気に完全に飲まれている。
「はい、お尻向けてください」
私はもういわれるがままだった。そのトイレの個室は別段大きいわけではない、男性二人ギリギリのサイズである。
私は便座だとかに体をぶつけながらもどうにか彼にお尻を向けたらしい。
・・・
結論から言えば彼のタッチはソフトだった。そして完全に拭き取れたのかははなはだ疑問が残るがそれはどうでも良かったし悪い気はしなかった。
・・・
「一つつかぬことをお聞きするが、女性用トイレにも君のような人間はいるのかね?」
私は恥も承知で、いやこの仕事に就くかもしれぬという心意気で尋ねた。
「はい、トイレットガールがいます」
私の夢は破れた。結局のところ私は他人にお尻を吹かれただけの中年男性ということだけが事実である。
冒険を終えた私は普段の生活に戻るのだ。まるで何もなかったかのように・・・。