9 一緒に寝たい③
「ユリウス様、お願いがあるのですが」
「なんですか?」
「腕枕で寝てみたいです」
エルヴィのおねだりに、ユリウスは首を傾げた。身体を重ねた後にこれを言われたのであれば、わかる。だが、まだキス以外何もしていないのにこれを言われるのはおかしくないだろうか。
「それは……かまわないですが」
「わあ、ありがとうございます。では、わたしの隣に寝転んでください」
ユリウスはとても嫌な予感がしていた。ポンポンと自分の隣を叩くエルヴィに抗えず、仕方なくユリウスは寝転んだ。
「手を伸ばしてください。わあ、逞しい腕ですね。すごいです」
「……そうですか」
「はい!」
嬉しそうなエルヴィは、そのままユリウスの腕にえいっと頭をのせた。
「ユリウス様を喜ばせたかったのに、わたしが幸せな一日でした。ありがとうございました」
「……」
「おやすみなさいませ」
エルヴィはユリウスの胸にすりっと顔を寄せて、すぐにくーくーと寝息をたて始めた。
「……あり得ない」
さっきまでの気持ちの昂りをどこに持っていけばいいのかと、ユリウスは途方にくれていた。腕にエルヴィの頭がのっているので、身動きが取れない。
目が慣れてきたので、暗闇でも顔がはっきり見えるようになってきた。エルヴィはまるで子どものようにすやすやと眠っていた。
「……そういえば、寝る間を惜しんで今日の準備をしていたと言っていたか」
きっと寝不足だったのだろう。それはわかる。エルヴィが、ユリウスのためを思ってしてくれたことだ。それはむしろ嬉しかった。
しかしあんな濃厚なキスをしたにも関わらず、あまりに健やかに眠っていることに少し腹が立ってきた。
ツンツンと柔らかい頬を指で突いてみるが、一向に起きる気配がない。
「……飲まなくて正解だったな」
引き出しにあるドリンクを飲んでいたら、どうなっていたのかとゾッとしてしまう。この時間がもっと地獄になっていただろう。
やはり予想通り、エルヴィはこの手のことには疎かったらしい。ユリウスはエルヴィのおでこに軽く触れるだけのキスをした。
「……おやすみ」
結局、この夜はユリウスがエルヴィへの想いを自覚してしまっただけに終わった。明日、ジュードになんと言えばいいのかとユリウスはため息をついた。
しかし、腕の中のエルヴィの体温はとても心地よく……甘いいい香りに包まれて、だんだんと眠気が襲ってきた。
「誰かと寝るなんていつぶりだろうか」
人と寝ることがこんなに心地が良いことを、ユリウスは思い出してしまった。
♢♢♢
「おはようございます、ユリウス様」
「うわぁ……!」
起きた瞬間、腕の中のエルヴィにキラキラした瞳でこちらを見つめられていることに気が付いてユリウスは驚きの声をあげた。
「……び、びっくりしました。おはようございます」
そうだ、そうだった。ユリウスは、昨夜エルヴィと共に寝たのだったと思い出した。
「すみません。ユリウス様があまりに格好良かったので、寝顔を眺めていました」
「……こんなオジサンを見て楽しいですか」
ユリウスは褒めてもらえて嬉しかったが、つい照れ隠しでそんなことを言ってしまった。
「楽しいです。ずっと見ていたいくらい。それにユリウス様はオジサンじゃなくて、お兄さんです」
えへへと笑っているエルヴィの顔を見るのが恥ずかしくなったので、ユリウスは上半身を起こした。
「よく寝れましたか?」
「はい!」
「……そうですか」
「希望を叶えていただき嬉しかったです! 本当にありがとうございました」
心から嬉しそうなエルヴィを見て、ユリウスは昨夜自分がしようとしていたことを恥じた。最初から『キスまで』という約束だったのに。
「朝食を食べましょうか」
「はい!」
勢いよくガバリとベッドから起き上がったエルヴィを見て、ユリウスはフリーズした。
なぜなら、布が少なめな夜着が肩からズレており……目に毒だったからだ。
「早くこれを着てください!」
ユリウスは慌ててエルヴィにガウンを押し付けた。
「え?」
「これを着て部屋に戻り、着替えてからリビングに来てください」
「え……あ、はい。わかりました。ではまた後で」
エルヴィはもそもそとガウンを羽織って、自室に帰って行った。
「困ったな」
まさか四十を過ぎて、こんなことで悩むとは思わなかった。エルヴィを愛おしいと自覚してしまえば、自然と身体が反応するのも仕方がないことだろう。自分にはそもそもマムシは必要なかったらしい。
「はぁ……もう若くないのにな」
エルヴィには色々と知られたくないことが多すぎる。この下心がバレなかったことにほっとした。
身体中に彼女の甘い香りが付いているので、ユリウスはシャワーで洗い流すことにした。
このままでは冷静ではいられない気がしたからだ。
「ユリウス様、今日の朝食も美味しいですね」
「ええ」
「幸せです」
「それは良かったです」
パクパクと嬉しそうに食事をしているエルヴィを見て、ユリウスは目を細めた。
「明日は陛下のところに行って参ります。もう一度解呪師の方に診てもらうことになっていますので」
「……私も一度騎士団に顔を出すので、一緒に行きましょう」
「はい!」
もしかしたら、明日エルヴィの呪いが解ける可能性もあるのではないかとユリウスは期待した。国王陛下はエルヴィの解呪を諦めてはおらず、他国の優秀な解呪師を探して連れてきているという話を聞いていたからだ。
「わたしのお葬式は国がしてくれるそうです。その時に、国の英雄として銅像を建てるって言われたのですが……絶対に嫌です。わたしも明日全力で拒否をしますが、もし亡くなった後で建てようとしたらユリウス様も全力で止めてくださいね」
「……え?」
「銅像ですよ、銅像! しかも陛下は、わたしを黒のローブを着た凛々しい感じの姿に作ると仰るんです。絶対嫌ですよ」
エルヴィは自分の死後のことを、淡々と話していた。
「いや、でも……ほら。解呪されるかもしれませんし、そのような話はやめましょう」
ユリウスは血の気が引いていく気持ちだった。この言い方だと、エルヴィは『生きられる』とは微塵も思っていないような口ぶりだったからだ。
「……ユリウス様」
「なんですか?」
「わたしの呪いは解けません。あの最強の魔女マーベラスの力はそれほど巨大でした。実は自分でも色々と試してみましたが、全く効果はありませんでした」
その言葉を聞いて、エルヴィはただ静かに死を受け入れていたのではないことがわかった。必死に生きたいともがいたが、解けなかったのだ。
そして、仕方なく自分の寿命を受け入れ覚悟したのだろう。
「そう……ですか」
「はい。でも哀しまないでください。わたしはユリウス様にたくさん我儘を聞いていただけて、こんなに幸せなのですから」
ニコリと笑ったエルヴィの顔を、ユリウスはまともに見ることができなかった。