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6 誕生日を祝いたい②

「あーんをしてみたいです」

「……あーん」

「恋人同士は当たり前にするものだと、この小説の五十六ページ目に書いてあります」


 またよくわからない恋愛小説を読んでいるのか、とユリウスは頭を抱えた。


 エルヴィは魔法でポンと本を出して該当ページを開き「ここです」とユリウスに見せていた。


「エルヴィ嬢、小説というのはフィクションのことが多いです。そして大抵は誇張して書かれてあります」

「じゃあ、実際の恋人はあーんはしないのですか」

「……人によりますね」


 そういう行為があるのは知っている。仲の良い恋人や恋愛結婚で結ばれた夫婦なら、もしかするとするのかもしれない。だが、少なくともユリウスはしたことがなかった。


「では、わたしたちは『するタイプ』の恋人設定でお願いします」

「いや、でも」

「お願いです」


 エルヴィに捨てられた子犬のような目で見つめられると、ユリウスが折れるしかなかった。


「……一度だけですよ!」

「はい!」


 エルヴィは嬉しそうにフォークでケーキを掬い「あーん」と言ってユリウスに差し出した。


 ユリウスは耳まで真っ赤に染めながら、パクリとケーキを口に運んだ。


「美味しいですか?」

「……甘いですね」

「へへ、それがいいんじゃないですか」


 甘く感じるのはケーキ自体なのか、この「あーん」のせいなのかユリウスはわからなかった。


「わたしにもお願いします」

「ええっ!」

「わたしもされてみたいです」


 そう言われて、ユリウスは渋々フォークでケーキを掬った。


 エルヴィは全く気にしていないようだが、使用人たちからの生温かい視線が居た堪れない。こんな年齢になってあーんをしたりされたりするなんて、ユリウスは思ってもいなかった。


 ぱくり


 ご機嫌なエルヴィはケーキを食べて、唇についたクリームをペロリと舐め取った。


 さっきまであどけない少女のようだったのに、今の姿はなんだか色っぽくて……まるで全く別人のようだった。


「んんーっ、美味しいです」


 その変化に戸惑っていたユリウスだったが、その声を聞いて『いつものエルヴィ嬢だ』とほっと胸を撫で下ろした。


「我儘を聞いてくださり、ありがとうございます」


 それからはお互い自分で食べ進めた。フォークが間接キスになるので取り替えるべきかとユリウスが考えているうちに、エルヴィは何事もなかったかのようにそのまま使い始めた。


「……」

「なんですか?」

「いや、何でもありません」


 ユリウスは自分が考えすぎなのかと思い、指摘するのをやめた。


 エルヴィはこういうことに疎い。若い女性が四十過ぎの男が口をつけたフォークを使うなど、普通なら嫌だろう。


 しかし、無理矢理だったとはいえ二人はキスをした仲だ。だから、彼女はこれくらい何も思わないのだろうかとユリウスは頭の中でグルグルと考えていた。


「美味しいですね」

「……そうですね」


 嬉しそうにケーキを頬張っているエルヴィを見て、ユリウスは考えるのをやめた。


「わたし、とっても幸せです」

「それは良かった」


 こんな細やかなことで幸せだというエルヴィが、ユリウスは愛おしくもあり少し哀しくもあった。


「あの……ユリウス様、すみません。わたし……ユリウス様にプレゼントを買うのを忘れていました。こういうことに慣れていなくて失念していました」


 ケーキを食べ終わるとさっきまで笑っていたエルヴィが急にしゅんとして、項垂れた。


「何を言ってるのですか。エルヴィ嬢はこんなに飾り付けをして、私の誕生日の準備をしてくれたではありませんか。プレゼントは、物だけじゃないんですよ」

「なるほど……!」


 ユリウスの言葉を聞いて、エルヴィは目を輝かせた。


「一緒にお庭に来てください」

「え?」

「早く、早く。あ、皆さんも一緒にどうぞ」


 エルヴィはユリウスの手を取り、ぐいぐいと引っ張って行った。執事のジュードや他の使用人たちも訳のわからぬままぞろぞろと外に出てきた。


「よし、ではいきますね」


 何をいくのかとユリウスが首を傾げていると、エルヴィはパンと両手を合わせた。


(ブルーメ)


 エルヴィがそう唱えた瞬間に、ふわりと風が舞い庭一面が一瞬で花畑に変わった。


(リヒト)


 そして、その言葉と共にキラキラとした小さな光が空一面に舞った。


 そのあまりの美しさにユリウスをはじめ、そこにいた全員が息を呑んだ。


「……綺麗だ」


 突然のことに驚いているユリウスを見て、エルヴィは悪戯が成功したように笑った。


「わたしからの誕生日プレゼントです」

「……エルヴィ嬢はすごいですね。私はこんな絶景をみたことがありません」

「良かったです。ユリウス様がプレゼントは物だけじゃないと教えて下さったので、思いつきました」


 ラハティ家の使用人たちもみんなその光景を目に焼き付けていた。


 実はユリウスは、エルヴィが魔物や魔女たちと戦うために魔法を使っているところしか見たことがなかった。


 初めて一緒に行った任務では小さな少女が恐ろしい敵に怯まずに向かっていく姿に、怪我をしないかと心配になったのを覚えている。


 実際には、エルヴィはユリウスより強いのだから、そんなことを思うのはおかしいのかもしれないが。


 だから、こんな平和な魔法が使えることを知らなかった。


 エルヴィは、皆のために仕方なく戦っていただけで本当は……こういう幸せな魔法だけを使って暮らすべき人間だったのではないかと思ってしまった。


「……ありがとうございます。忘れられない誕生日になりました」

「わたしもです。今日のことは死んでも忘れません!」


 普通の人なら、それはただ大袈裟な喜びの表現だが……エルヴィの場合、本当に寿命が迫っているのでユリウスは笑うことができなかった。


 今日が終われば、あと十四日の命だ。


 エルヴィがいなくなることを考えると、ユリウスは胸がズキズキと痛くなった。エルヴィは死を覚悟しているのか、平気でそんな発言をする。それがユリウスはとても嫌だった。


「哀しい顔をしないでください」

「……」

「今まで知らないことを知れて、ユリウス様と暮らせて嬉しいのですから」


 へらりと笑ったエルヴィは、花畑を子供のように走り回っていた。


「安心してくださいね。この花畑は一時間で消しますから」

「え、消えるのですか!?」

「残すこともできますが、邪魔でしょう? 普通の花と同じように手入れしないと枯れてしまいますし、庭師の方が大変ですから」


 エルヴィは結構現実的な人間のようで、この美しさを残そうとは思っていないようだった。


「おい、エドガーを呼んでくれ」

「はい」


 ユリウスは執事のジュードに声をかけて、庭師のエドガーを呼び出した。エドガーは先代から仕えてくれているベテランの庭師だ。


「旦那様、お呼びでしょうか」

「ああ、すまないな。魔法でできたこの花畑のことなのだが……手入れをしないと枯れるらしい。エルヴィ嬢は全て消すと言っているが、一部を残してもらおうかと思っていてな。いつもの手入れに加えて、仕事が増えてしまうがどうだろうか?」

「もちろん大丈夫ですよ。私も長く生きていますが、こんな美しい花畑を初めて見ました。是非残しましょう」


 エドガーは目を細めて、快くうけいれてくれた。


「エドガーさん、わたしはあなたがお世話をしているお庭を参考に花を出しただけです。だから、あなたが素晴らしいんですよ。本当はこの魔法よりも、人の手で長い時間かけて育てた花の方が何よりも美しいです」

「はは、大魔法使いのエルヴィ様に褒めていただくなんて、畏れ多いことです。でも、ありがとうございます」

「いえ、事実ですから! あなたの育てている草花は生き生きしています」


 それからエドガーは庭の一部を新たに花壇にする計画を伝え、エルヴィはそこだけ魔法を消さずに残すことに決めた。


「ここなら、旦那様の部屋からいつでもこの花が見えますよ」


 エドガーにそう言われて、ユリウスは遠くを見つめながら「……そうか」と呟いた。その場所がもちろん()()()なのだということはすぐにわかった。


 なぜならエドガーもエルヴィがもうすぐ亡くなってしまうことは知っていたからだ。


「わたしの魂がここに残るような気がして、なんだか嬉しいです」

「……」

「あ、心配しないでください。化けて出たりしないので! ちゃんと成仏します」


 黙ってしまったユリウスの表情を、どう勘違いしたのかエルヴィはトンチンカンなことを言い出した。


「私はそんな心配はしていません!」

「あ、そうですか。いや、魂とか言ったら怖いかなと思いまして」


 お化けでもいいからたまに逢いにきて欲しいとは、ユリウスは流石に口にはできなかった。




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