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余命一カ月の魔法使いは我儘に生きる  作者: 大森 樹
後編

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32 浮気

「ユリウス、ベッドに手紙が置いてありますよ?」

「ああ、忘れていました。さっきまで仕事で届いた手紙を読んでいたのですよ。とりあえずベッドサイドの引き出しに入れておいてくれませんか? 後で片付けますので」

「わかりました!」


 夜の準備をしてルビーが寝室に行くと、ベッドの上に手紙が置き忘れてあった。ユリウスはシャワーを浴びたばかりのようで、タオルで髪を拭きながらルビーにそう返事をしていた。


 ルビーが勢いよく引き出しを開けると、奥でゴロゴロと何かが転がる音がした。不思議に思い、ルビーが覗き込むと、そこからはあるものが出てきたのだった。


「すみません。待たせましたね」


 待たせたことを侘びながらユリウスがベッドに腰掛けたが、なぜかルビーはとても怒った顔をしていた。


「ユリウス、そこに座ってください!」

「……え? どうしたのですか」

「お話があります」


 以前もこんな状況があったなと思いながら、ユリウスは素直にルビーの言うことを聞くことにした。


「これはなんですか!」


 ベッドの上にドンと置かれたのは、まさかのマムシドリンクだった。


 ユリウスは、すっかり忘れていたその存在を急に思い出した。それは二人が初めて寝室を共にした日に、気の利き過ぎる執事が用意したものだ。あの時は添い寝をするだけだったので、それは使われることなく、隠すようにサイドテーブルにしまわれた。


 もちろん使用人たちは隅々まで部屋の掃除をしてくれるが、ユリウスとルビーの私室と寝室の机の中は決して触らないように指示をしていた。


 仕事上の書類もあるし、プライベートを守る意味合いもあった。だから、これがそのままになっていたのだろう。


「あー……いや、それはですね」


 あの時マムシに頼ろうとしていたことや、ルビーは身体を重ねるつもりは微塵もなかったのにユリウスが一人で勘違いしたことを思い出して恥ずかしくなり、珍しくしどろもどろになった。


「ひ、酷いです」


 ルビーはうっうっと泣き出してしまった。いい歳をしているのに、こんなものを飲んでまでルビーに触れたいと思ったことを軽蔑されてしまったのかと不安が襲ってきた。


「違うのです! ルビー……これは」

「こんなの浮気ですっ!」

「う、うわき?」


 まさかの浮気発言に、ユリウスは困惑した。浮気どころか、これはルビーと何度も愛し合うためのドリンクではないか。


 いや、もしかすると……ルビーはユリウスが別の女性と楽しむために、わざわざマムシを飲んで精をつけていると勘違いしているのかもしれない。


「ち、違います! 私にはあなただけです」

「嘘つき。こんなものを奥に隠しておくなんて、許せません」

「隠していたのではなく、忘れていたのです。それはとても前のものですし、一滴も飲んでいません!」


 そう伝えるとルビーは少し落ちつき、しゅんと肩を落とした。


「……本当に飲んでないのですか?」

「はい」

「これからも飲まないでください。わたしだけにしてください」


 甘えるようにぎゅっと胸の中に飛び込んできたルビーを、ユリウスは優しく抱き締めた。


「私にはあなただけですよ」

「……本当ですか?」

「ええ」


 うるうると涙の溜まった大きな瞳が綺麗で、ユリウスは愛おしい気持ちが溢れていた。ルビーの勘違いに驚いたが、それも可愛いと思えるのだからユリウスは心底妻に惚れてしまっていた。


 無事に誤解が解けたので、ユリウスはそのままルビーと愛し合おうと唇を重ねようとした。少しの喧嘩は、甘い夜のエッセンスになる。今夜は長くなりそうだ……と思っていたが、残念ながらその雰囲気はルビーの一言で消えてなくなった。


「ユリウスの薬は、わたしが作りますからね!」

「……はい?」

「他の人間が作った薬をユリウスが愛飲しているなんて、許せなかったんです。わたしはラハティ公爵領で働く薬師ですからね!」


 ユリウスはニコニコとそう話すルビーを前にして、頭を抱えていた。


「……あの、浮気というのはもしかして」

「ええ、他の薬に浮気しないでわたしの薬だけにしてくださいという意味です!」


 自信満々なその顔に、ユリウスは深いため息をついた。


「どうしたのですか?」

「いえ、なんでもありません」


 ユリウスは、ルビーがこういう人間だということを思い出した。


「ちなみにこれは何に効く薬なのですか?」


 マムシといえば精力剤だと、世の中の大人たちは皆知っている。だが、それを知らないのがルビーだ。


「教えてください!」


 期待に満ちたキラキラと輝く瞳で見つめられると、ユリウスは自分が薄汚れた人間のように思えてきた。


「せい……いや、滋養強壮薬です」


 はっきりと言わねばルビーには伝わらないことは知っているが、自分が精力剤を飲もうとしていたという告白は憚られた。


「滋養強壮! なるほど。身体を元気にするやつですね」


 そう……これはある部分を元気にするものだと、ユリウスは心の中で呟いていた。


「ユリウスは身体がしんどいのですか?」

「いえ、そんなことはありません。ただ、年齢的に……その……必要な時もあるかなと」

「わかりました! 私にお任せください」


 ルビーは得意気にドンと胸を叩いた。


「ふむふむ、マムシですか。私は普段は薬草しか使わないので、あまり知識がないのですが。干して粉にするといいのでしょうか……? あと身体を元気にする成分の草を五つほど入れたら……」


 真剣な顔のルビーは、マムシドリンクを見つめながらぶつぶつと考え込んでいた。


「ルビー、無理して作らなくてもいいのですよ」

「いいえ! きっとこのドリンクよりも、もっと効果のあるものを作って差し上げますから」


 薬師の研究モードに入ったルビーを、誰も止めることはできなかった。


「あー……はい。では、お願いします」

「はい」

「では一つだけお願いがあります。恥ずかしいので、秘密で作ってくださいませんか?」

「秘密の任務ですね。ドキドキします」


 嬉しそうなルビーとは対照的に、ユリウスは苦笑いをしていた。


 精力剤を妻に作らせるというのは、どんな状況なのだろうかと不安に思いながらも……新しい薬を作ることにワクワクしているルビーを見たらまあいいかと思えてきた。


 当然この日の夜は甘い雰囲気になることはなく、ただ抱きしめて眠るだけになってしまった。











 


 


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