27 門出
「私が王家に婚姻届を出せば、その瞬間から正式な夫婦になります」
「はい」
貴族の結婚には必ず王家の承認がいるので、国に婚姻届を出さなくてはならない。ルビーは平民なので、妻の欄には正式な身分証明など付けずにサインのみの提出でいいらしい。
「覚悟はいいですか?」
「はい! ユリウスの奥さんになれるなんて、とっっても嬉しいです」
ルビーは嬉しそうに目を細めた。ユリウスも同じように目を細め、そのまま唇にキスをした。
「私も嬉しいです」
「わたしの方が嬉しいです! だってユリウスのことが大大大好きですから」
素直でストレートな言葉に、ユリウスは声をあげて笑った。
「はは、私も……大大大好きですよ」
「じゃあ、私はもっとです。ユリウスのことが大大大だーい好きです!」
たぶん外から見たら、お互い好きだと言い合うなんていい歳の大人がイチャイチャして……何を馬鹿なことを言っているんだと思われるだろう。
だけど、ユリウスは幸せだった。自分が彼女を好きになり、彼女も自分を好きでいてくれている。それは奇跡のように尊いものだと感じていたからだ。
「仕事が終わったら、なるべく早く帰ります。明日は休みですからゆっくりしましょう」
「はい。わたしは明日もお休みをいただきました」
「それは良かった。では行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
ユリウスを見送ると、たくさんのニコニコした侍女たちがルビーの周りを取り囲んだ。
「みなさん、どうされたのですか?」
「奥様、今日は忙しいですわ」
「……え?」
今日のルビーは、ユリウスが帰るまでは特に何の用事もないはずだった。
「さあ、部屋に行きましょう!」
よくわからないまま自室に戻ると、ルビーは数人の侍女に身ぐるみを剥がされた。
「きゃあっ、恥ずかしいです!」
「大丈夫です。貴族の女性はみんなしていることです。我々にお任せくださいませ」
「わ、わ、わたしは平民です」
「ふふふ、またそんなことを。奥様は公爵夫人ですから立派な貴族です」
笑顔で言いくるめられて、まずはお風呂に入れられて隅々まで洗われてしまった。その後はマッサージ、爪や髪の手入れなど……全身をピカピカに磨くつもりらしい。
初めてユリウスと一緒の部屋で寝ると言った日もエルヴィは侍女たちに色々とされたが、さすがにここまでではなかった。
しかし慣れとは恐ろしいもので……時間が経つとだんだんと恥ずかしさも薄れてきて、温かくて気持ちがいいマッサージにうとうとと眠たくなってくる。
「奥様、寝てもよろしゅうございますよ」
「ごめんなさい……あまりに……ここちよくて……」
「ふふ、今のうちに休んでくださいませ。今夜は旦那様がお離しにならないでしょうから」
「どういう意味……ですか?」
「ふふ、夜になればわかりますよ」
弾んだ声で口々にそのようなことを言う侍女たちの声を聞きながら、ルビーは眠りについた。
そしてハッと起きた時は数時間が経過しており、ルビーは自分とは思えないほど綺麗になっていた。
「なんか顔が小さくなって、目もぱっちりして見えます」
「奥様の元が良いからですよ」
「侍女のお仕事ってすごいですね! まるで魔法をかけられたみたいです」
「いえいえ、そんな」
ルビーが子どものように目を輝かせて何度も褒めるので、侍女たちも嬉しくなって照れていた。
「さあ、最後の仕上げですわ」
「これ以上にですか?」
「ええ。今夜はお二人にとって特別な日ですから」
♢♢♢
「……はあ。やっと帰れる」
ユリウスは婚姻届を出す際に、国王陛下に色々と言われて疲れ切っていた。
「何度結婚を勧めても無視をしていたのに、あまりにも急ではないか」
確かにユリウスは王家から何度も見合いの打診を受けていた。それは騎士団長であり、公爵でもあるユリウスに後継がいないことを心配してのことだった。
「……はい。生涯を共にしたい人とやっと巡り逢いましたので」
「まさか平民で、しかも一回り以上若い女性を娶るとは。お前には驚かされるな」
そう言われたが、一番驚いているのはユリウス自身だ。彼女に逢う前は、結婚は二度としないと心に決めていたのだから。
「結婚式をしないそうだな。一度王宮に連れて来い。祝いを用意しておく」
「……温かいお言葉をいただき幸せにございますが、妻は平民で作法がわからぬ故失礼になってはいけません。お気持ちだけいただき、遠慮させていただきます」
ユリウスは恭しく頭を下げた。ここで引くわけにはいかない。なぜなら、国王はエルヴィの顔を知っているのだから。
「なんだ? 可愛い妻を人に見せたくないのか。堅物なお前にそんな人並みの感情があるとはな」
くっくっく、と国王は揶揄うように笑った。
「年甲斐もなくお恥ずかしい限りですが、その通りでございます。彼女には、私以外見て欲しくありませんので」
淡々とそう言い返すと、国王は少し哀しそうに目を細めた。
「……エルヴィ」
いきなりそう呟いた声が聞こえて、ユリウスは驚いて目を見開いた。自分の妻がエルヴィだと気付かれたと思ったからだ。
「いや、エルヴィが生きているうちに……お前ともっと早く縁を結ばせていたらどうなったのかとふと思ってしまってな」
「……陛下」
「いや、許せ。この前一周忌があったからか、どうしてもエルヴィを思い出してしまってな。さっきの発言は忘れてくれ。せっかくユリウスの新しい門出だというのに水を差すようなことを言ったな」
エルヴィは今はルビーとして生きていて『私の妻です』とユリウスは言いそうになるのをグッと飲み込んだ。
「届けを受理しよう。結婚おめでとう」
「……ありがとうございます」
「幸せになってくれ」
「はい」
この瞬間、正式にユリウスとルビーは夫婦になった。
「戻った」
「おかえりなさいませ、旦那様」
屋敷に戻ると、ジュードが出迎えに玄関に来ていた。ルビーがいないことに、若干の残念さを滲ませているとそれに気が付いたらジュードがニッと口角を上げた。
「奥様は部屋にいらっしゃいます」
「……そうか」
付き合いの長い執事というものは、とてもありがたいが……その分、自分の心を全て見抜かれているようで恥ずかしい。
「旦那様、すぐに着替えをお願いします。お部屋に全て準備しておりますので」
「……着替え?」
「ええ、今日はお二人の特別な日ですから」
ジュードは、不思議そうな顔をしているユリウスに部屋へ戻るように促した。




