21 大魔法使いの終わり
「どうしてエルドア村に?」
「この小屋はもともと師匠の持ち物なのです。亡くなる前に、好きにしろと鍵を受け継ぎました」
「……そうですか」
二人の間にしばらく沈黙が続いた。
「私のことを考えてくれたことはわかります。言いにくかったことも。だが、それでも……それでも……私はエルヴィが生きていることをもっと早く知りたかった!」
ユリウスは悔しそうに唇を噛み、グッと拳に力を入れた。
「……申し訳ありません」
「私にだけ知らせてくれてもよかったではありませんか。ナターシャのことを他言はしませんから、罪に問われるはずがありません」
「わたしもしばらくしたら、ユリウスにだけは文をだそうと思っていました。でも……」
エルヴィは泣きそうな顔でしゅんと下を向いた。
「新聞を見て驚きました。わたしの死は大々的に肖像画付きで載っていました。それにわたしが国王陛下にお聞きしていたより、かなり大規模な国葬になっていたんですもの!」
その話を聞いてユリウスは苦笑いをした。確かにあの葬儀は王家並みの規模だったからだ。きっと派手なことを嫌うエルヴィは、望んでいないだろうとは思っていた。
だが、あれは国王なりのエルヴィへの『敬意と愛情』だったということも理解していた。
「それに民衆たちも長い間喪に服してくれて……お墓もなんかものすごくグレードが上がっていてびっくりしたんです。この田舎の村ですら、みんな黒い服を着て過ごしてくれていて……それを知ったら……もう……絶対に言い出せなくなりました。魔法の使えない今、他の人に知られずにユリウスにだけに伝える方法もなくて……」
正体を知られたくないエルヴィは、いつの間にか身動きがとれなくなっていた。それほど、大魔法使いエルヴィは有名になりすぎてしまっていたのだ。
エルヴィの大きな目からポロポロと涙が溢れ続けていた。
「でも、この状況は『大魔法使いのエルヴィ』を終わらせる絶好のチャンスだと思ったんです」
「終わらせる?」
「はい。わたしはずっと魔法使いとして生きてきました。陛下から衣食住を与えてもらったことは感謝していますし、魔法の勉強も大変でしたがとても楽しかった。困ってる人を助けたい気持ちも本当でしたし、任務も辛いことはあっても嫌だと思ったことはありません」
ユリウスはエルヴィの話をじっと静かに聞いていた。
「だけど、疲れたことも事実です。目立つことも、英雄化されることも苦手でしたから」
「……」
「わたしは攻撃魔法の才能があったので、魔物討伐に向いていました。倒せば倒すほど、勝手に名前ばかりが有名になった。でも本当は……静かに穏やかに暮らしたかったんです」
エルヴィの本心を聞いて、ユリウスは胸が苦しくなった。
「生きていたとわかれば、さらにエルヴィは神格化されるでしょう。魔女の呪いを克服し、魔法の力を犠牲にして国を守った英雄だと」
「そう……でしょうね」
それは安易に想像ができた。みんな悪意があるわけじゃない。むしろエルヴィに感謝して、尊敬しているからこそ……そんな風に本物とは全くちがう『理想のエルヴィ像』を作ってしまうのだ。
「それは私の本意ではありません」
「……」
「大魔法使いエルヴィとしての人生は終わらせ、わたしは全てを捨てて別人としてこの地でひっそりと生きることを決めました。なので、今まで黙っていたのです。自分のことしか考えず……本当に申し訳ありませんでした」
エルヴィはユリウスに向かって深く頭を下げた。
「私のことはどう思っていますか?」
掠れた声でユリウスはそう質問をした。
「……」
「私のことを思い出してくださった日はありますか?」
ユリウスはエルヴィを思い出さない日はなかった。消えてしまったあの日から、ずっとずっと心の中にはエルヴィがいたのだから。
「毎日ユリウスに逢いたいと思っていました」
「……」
「地位も名誉もお金も……何もいらないと思ったのに……あの楽しかった一カ月の思い出だけでずっと生きていけると思ったのに……でもやっぱりあなただけは欲しいと……そう……何度も何度も思っていました」
泣きじゃくるエルヴィの左手の薬指には、しっかりとユリウスとの結婚指輪がはめられていた。
「指輪をつけてくださっているのですね」
「ううっ……はい。わたしの宝物ですから」
「イヤリングも」
「ええ、毎日しています」
「外に干してあるワンピースも?」
「はい。あれも宝物です。着すぎて色褪せてしまって……破れたところもあるので縫ったんですけど……上手くいかなくて」
小屋でエルヴィが一人で悪戦苦闘しながら、ワンピースの繕いをしている姿を想像してくすりと笑った。
「あ、笑いましたね」
笑われたことに気付いたエルヴィは、唇を尖らせて拗ねた表情を見せた。
「あのワンピースと縫い方でエルヴィだと分かりました」
「……それはなんだか複雑な心境です」
「特徴のある縫い方で良かったです」
「それは下手ってことですよね?」
「はは、明言は避けます」
大好きだったあの頃のエルヴィのままだと思い、ユリウスは嬉しくて目を細めた。
「エルヴィ、私はあなたと二度と離れたくありません」
「でも……」
「別人として生きても構いません。だが、それでも私の隣にいて欲しい」
「そんなのご迷惑になります」
「迷惑ではありません。それでも一緒にいたいのです」
そう言ってもらえたエルヴィはとても嬉しかった。
「でもやはり……それはいけません」
「なぜですか?」
「わたしはもう魔法が使えません。それにエルヴィという名前を捨てたら、わたしは財産も何もないただの平民です。公爵という立場のユリウスと結婚できる身分ではないですから」
普通に考えて貴族と平民が結婚するなんてことはあり得ない。ましてやユリウスは公爵であり、貴族の中でも家格が高い。
エルヴィが魔法使いで英雄だったからこそ、なんとか釣り合いが取れていただけなのだから。
「そんな意味のないこと言わないでください」
「……え?」
「大切なのは私がエルヴィを好きで、エルヴィが私を好きだということだけでしょう」
ユリウスの言葉に、エルヴィはまた涙を流した。
「私の元に帰って来てください」
「ううっ……ううっ……」
「もう一人寝はしたくありません」
「あなたの元に……帰ってもいいのですか? 自分のことだけを……最優先にして……あなたから離れたこんなわたしを……」
「ええ、もちろんです。後のことは全て私に任せてください。私はこういう細工は案外得意ですから」
ユリウスは公爵家という力を使い、秘密裏に色々なことに手を回すことには慣れていた。もちろん普段はそんなことをしない人間だが、必要だと判断した場合は迷いなく力を使うことに決めていた。
まだ不安そうなエルヴィの頭を、ユリウスはそっと撫でた。
「あなたと一緒にいられるのなら何でもしますよ」
「……はい。ありがとうございます。わたしもユリウスといたいです」
この夜、二人の気持ちはしっかりと通じ合った。
♢♢♢
「つかぬことを聞きますが、エルヴィはここでお風呂はどうしていたんですか」
「庭に井戸水があるのでザバーっと水浴びをしていました。あと、暑い時は湖に入ったりしてましたね」
想像していたよりも野生的なエルヴィの生活に、ユリウスは驚き説教をした。
「庭で水浴びを? こんな低い塀では周りから見えるではないですか!」
「はは、こんなところに誰も来ませんよ」
「薬を頼みに村人が来ると聞きましたが」
「たまにですよ。たまに」
エルヴィがヘラヘラと笑っている姿を見て、ユリウスは頭を抱えた。
「それに湖なんてもってのほかです。そ……外で……裸体になるなど……」
「魔法が使えた時はすぐに身を清められたんですけど、今は無理なので仕方ないです」
「仕方なくありません!」
男の騎士たちが野宿する時に川や湖に入ることはあるが、まさかエルヴィがそんな生活をしていたなんて。今まで何も危ないことが起きなかったことを、ユリウスは安堵した。
「これはシャンプーで、こっちは石鹸です。この草は噛むと歯磨きの代わりになるんですよ。全部私の手作りです」
キラキラした目で見せてくれた生活用品セットに、ユリウスはふうとため息をついた。
「エルヴィはなんでも作れるんですね」
「ハーブや薬草を組み合わせて好きな香りにするんです。もちろん効能もしっかりしています」
「……これを一通り貰ってもよろしいですか?」
「はい」
「しばらく待っていてください。井戸をお借りしますよ」
そう言ってユリウスは裏庭に回り、服を脱ぎだした。
「ひゃあ! ユリウス、どうして脱ぐんですか」
引き締まった身体がちらりと見えてしまい、エルヴィは慌てて目を手で隠した。
「身を清めたいので」
「こ、こんな場所で人に見られたらどうするんですか!」
エルヴィは自分のことは棚に上げてそんなことを言ってきた。
「……私は男ですから」
「だめですよ! ユリウスみたいに素敵な男性はこの村にいないんですから。誰かに見られたら大問題です! すぐにみんなあなたを好きになってしまいます」
「くっ……ははは。エルヴィは相変わらず私のことが好きですね」
いくら見目が良いとはいえ、ユリウスはもう四十半ばだ。たとえ格好いいと言ってもらえることはあっても、それは『大人な紳士』として格好いいという意味だと自覚している。
だから、こんな風に言ってくれるのはエルヴィくらいだ。ユリウスは、エルヴィの反応が嬉しくてつい笑ってしまった。
「そ、そりゃ好きですよ」
「では、誰も来ないように見張っていてください」
「……わかりました」
ざぶざぶと何度も水をかける音を背後で聞きながら、エルヴィは目を凝らして誰もこないか集中して外を見ていた。どうやらユリウスは全身を洗っているらしい。
「シャンプーも石鹸いい香りですね。売れば人気がでそうです」
「気に入っていただけて嬉しいです」
「この葉も噛むと清涼感があってスッキリします」
「それいいですよね。長期遠征の時にも使えると思いますよ」
話しながらも真剣に見張りをするエルヴィの背中を見つめ、ユリウスは愛おしそうに目を細めた。
「見張りありがとうございます」
「いえ。ユリウスはわたしが守ります!」
「頼もしいですね。でもエルヴィになら、全部見てもらってもかまわないんですけどね」
「な、な、何言ってるんですか」
いつの間にかユリウスは、動揺しているエルヴィの背後に立っていた。
「私の身体には興味がないですか?」
耳元でそう甘く囁かれ、エルヴィの頬は真っ赤に染まった。




