2 キスがしたい①
「我儘を言って申し訳ありません。今日からよろしくお願いいたします」
「使用人には今回の事情を説明しています。もちろん、他言無用だと言い聞かせていますので安心して過ごしてください」
「お気遣い感謝します」
無茶苦茶な要望にも関わらず、ユリウスはエルヴィのために自分の屋敷に素敵な部屋を整えてくれていた。
「あの……本当に私でいいのですか?」
「どういう意味ですか?」
「自分で言うのもなんですが、私はもう四十二歳ですよ? あなたからすれば、オジサンでしょう」
ユリウス・ラハティはとても整った容姿ではあるものの、しっかりと年齢を重ねた大人の男だった。
比べてエルヴィは二十五歳。十代後半で結婚する女性が多いこの国の中では、年増ではあるもののユリウスに恋をするには若すぎる年齢だったからだ。
「オジサンだなんてとんでもないです! 年齢なんて関係ありません。ユリウス様は、とっても格好良くて素敵です」
自分を卑下するユリウスの言葉に哀しくなり、エルヴィは必死にそれを否定をした。
あまりに真っ直ぐな褒め言葉に、ユリウスは少し恥ずかしくなった。
「それに、私は一度結婚をしています」
「存じています」
「……前妻のことは、気にならないのですか?」
若い頃のユリウスは美形で優秀な上に、公爵家出身のため女性からとても人気があった。そして、二十三歳の時に政略結婚をしていた。
しかし、その僅か二年後に流行病で妻を亡くしてしまう。子どもはまだいなかった。
社交界では、ユリウスが後妻を娶らないのは亡くなった妻を今でも愛しているからだと噂されている。
「全く気になりません。わたしは今のあなたを好きになりましたから。その結婚も含めてあなたです」
エルヴィは、ふわりと微笑んだ。ユリウスは今まで女性に言い寄られたことはたくさんあったが、こんな風に言ってくれる女性は初めてだった。
多くの人は『私が前の奥様を忘れさせてあげます』と迫ってくるのに。
「天国の奥様には申し訳ないですが、一カ月のことなので大目にみていただきたいと思っています」
「……」
「向こうでお会いできたら、丁重に謝っておきますので。もちろんユリウス様は迷惑がっていらっしゃったのに、わたしが無理矢理屋敷に押しかけたと伝えておきます。恋人といっても、仮というか……恋人のフリだと伝えておきますので安心してくださいっ!」
必死な顔でエルヴィがそんな変なことを言い出すので、ユリウスはついフッと笑ってしまった。
「なぜ笑うのですか?」
「いや、妻は怒らないと思います。とても……優しい人でしたから」
「そうですか。良かったです」
自分が死ぬと言うのに、エルヴィにはまるで悲壮感がないのが不思議だ。
「……あの」
「はい」
「お付き合いしている方は?」
今更それを聞くのかと、ユリウスは心の中で苦笑いをした。
「いません」
「ああ、良かったです。いらっしゃったら、お相手に迷惑をかけるところでした」
もし恋人がいたら、今頃修羅場になっていただろう。ユリウスは、そういう確認は国王陛下の前で宣言する前にして欲しいものだと思った。
「では、改めて恋人としてよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
こんな風にヘンテコな共同生活が始まった。一日中魔法漬けの生活を送っていたエルヴィは、ユリウスが知っている普通の貴族令嬢ではなかった。
「大事なことなので最初に確認をしておきたいのですが、恋人というのは……そのどこまでの関係をお望みなのですか?」
至極真面目な顔で、ユリウスはエルヴィに質問をした。聞き辛いことこの上ないが、ここは間違ってはいけないところだ。
「どこまでとは?」
汚れのない澄んだ瞳でそう聞き返してきたエルヴィを見て、ユリウスは頭を抱えた。
この『男女の営み』を全く知らなさそうなエルヴィにどう説明するか、とても困るからだ。
普通なら四十過ぎの男が若い女性に『私とどこまで関係を深めたいのですか?』なんて聞いたら、気持ち悪いことこの上ないだろう。もう犯罪に近い。
しかし、エルヴィはユリウスのことを好きだと言い恋人になりたいと自ら望んだのだ。少なからず何かしら求めている……と考えるのが普通だろう。
こういうことは、本来は口に出すものではなくお互いの雰囲気で感じ取るものだ。だが、ユリウスはエルヴィ相手にそれは難しい気がしていた。
なんといっても死ぬ前の願いなのだ。度を越してもいけないし、足りなさすぎてもいけない。ここは誤魔化さずに、はっきりと聞くべきだとユリウスは思っていた。
「恋人にもいろいろ段階があるのです。例えばデートをするだけとか、手を繋ぐ、キスをする……どこまでをお望みですか?」
ユリウスはあえてキス以上のことは、口には出さなかった。それ以上のことは、知識としてすら知らないかもしれないと思ったからだ。
「あ……! そ、そうですよね」
エルヴィは真っ赤に顔を染めて、もじもじと恥ずかしそうにしながら消え入りそうな声を出した。
「キ、キスはしてみたいです」
「……キスですか」
「ああ、もちろん嫌でなければで! ユリウス様が嫌ならば、口ではなくその……頬とかおでことかでも構いません。それも不快だったら、全然断っていただいても大丈夫ですので」
動揺して急にいっぱい話しはじめたエルヴィを見て、ユリウスはくすりと笑った。あまりに男慣れしていないその慌てた表情が、とても幼くて可愛らしく思えたからだ。
「わかりました。では、キスまでしましょう」
さすがに年齢的にも経験的にも、キス一つで焦るようなユリウスではなかった。二十年近く前のこととはいえ、結婚していた身だ。それにエルヴィは濃厚なものではなく『ちゅっ』と軽く触れるだけのキスを望んでいるはずだ。
好きではない女性とのキスに後ろめたさはあれど、それが死ぬ前の最後の願いだと言われてしまえばユリウスが断るのは気が引けた。
それに、エルヴィが魔女を倒してくれたおかげで、ラハティ公爵領の民も救われたことは間違いない。どんなに強くとも騎士では、あの凶悪な魔女には太刀打ちできなかった。
もうだいぶ前の話にはなるが、騎士であったユリウスの父親もあのマーベラスと戦った際に命を落としていた。そのショックで母親も体調を崩し、すぐに亡くなってしまった。なので、エルヴィには今回親の仇を打ってもらったようなものだった。
だからこそ、ユリウスはエルヴィに心から感謝していた。
「いいのですか! ありがとうございます」
パッと表情を明るくさせたエルヴィは、そのまま「ハルト」と魔法を唱えた。
するとユリウスの身体が全く動かなくなった。なぜか口だけは動かすことができる。急展開に戸惑っていると、そのまま魔法で身体を浮かせて移動させられソファーに無理矢理寝かされた。
「ちょっ……ちょっと待ってください。これはなんですか。なぜ私に魔法を?」
「大丈夫です」
ニッコリと笑ったエルヴィは、ユリウスの上に乗り顔を近付けてきた。
「え……?」
「すぐに済みます」
「え、まさか……!」
「小説で予習済みですから」
ユリウスは、生まれて初めて自分の貞操の危機を感じた。