14 話を聞きたい
「本当にここでいいのですか?」
「はい、完璧です」
「……完璧」
二人は街を出て、屋敷の近くにある森の中に向かった。ここはラハティ公爵家の所有地で、ただただ広大な自然があるだけで人気はない。
「今からわたしがすることは良くないことです」
「良くないこと?」
「はい。本来なら、禁止されていることですから。でももうわたしは死んでしまうので、国王陛下にも大目に見てもらいましょう」
エルヴィは手から魔法でポンと黒いローブを出して身に纏った。黒い服の方が魔法を使いやすいと言っていたことを思い出し、エルヴィが魔法を全力で使おうとしていることに気がついた。
「少し離れてください」
「エルヴィ、何をする気ですか?」
これはユリウスが想像していたような、色気のあることをするのではないことだけはわかる。
「もし、わたしが倒れても心配しないでください。ただの魔力切れですから、寝ていれば治ります」
「ちょっと待ってください。危ないことはやめてくだ……」
「大丈夫ですよ。これでもわたしはこの国一の魔法使いですから」
心配するユリウスに、エルヴィはニコリと微笑んだ。
「召喚」
エルヴィがパンと手を大きく叩くと、空に向かってたくさんの光が飛んでいき……またその光が一つに纏まって地上に戻ってきた。
驚きながらユリウスは空を眺めていると、光に包まれていた物体が徐々に人型に形を変えた。
そして光が落ち着いて現れた人を見て、ユリウスは驚きすぎて声が出なかった。
「はぁ……はぁ……なんとか上手く呼べましたね。やったことのない古代の黒魔法なので、できるか心配だったのですけれど」
エルヴィは安心したのか、ほっと息を吐いた。
「初めまして、ナターシャ様。魔法使いのエルヴィと申します」
「このような時間をくださり、ありがとうございます。あなた様のご活躍は空の上で見ていました」
「いえ。ユリウス……様に恋人になりたいなんて我儘を言ってしまい、申し訳ありませんでした。これは全部わたしが悪いので、どうかユリウス様を責めないでくださいね」
エルヴィはナターシャに、夫であるユリウスの屋敷まで強引に押しかけ恋人にしてもらったことを詫びた。
「旦那様を心から愛してくださってありがとうございます」
ナターシャは怒る素振りは微塵も見せず、ふわりと微笑んだ。その穏やかだが凛とした美しい姿は、誰がどう見てもユリウスとお似合いだなとエルヴィは思った。
「早くユリウス……様とお話を。申し訳ありませんが、あまり時間が取れそうにありません」
「はい」
光に包まれたナターシャは、ユリウスの前に移動した。
「旦那様、ご無沙汰しております」
「ナターシャ……なのか? 本物の」
「はい。エルヴィ様に魔法で呼んでいただきました。直接お話ができて嬉しいです。旦那様は歳を重ねても素敵ですね」
優しく微笑んだナターシャの姿は、ユリウスが最後に別れた時のままだった。
「ナターシャ、すまなかった。私は……私は君のことを何もわかっていなかった。結婚後も仕事ばかりして、君にちゃんと向き合っていなかった。私は……私は……夫として何も君にしてあげられなかった」
謝り続けるユリウスを見て、ナターシャは哀しそうな顔をした。
「旦那様、顔をあげてください」
「……」
「こんなに長くあなたを苦しめてしまってすみません。私、本当に幸せだったんです。あなたは私をきちんと妻として扱い、とても大事にしてくださいましたわ」
「だが」
「あなたを置いて死んでしまって……ごめんなさい。手紙で連絡しなかったことも謝ります。弱った自分を、あなたに見せたくなかったの。一番綺麗な私の記憶を残して欲しかったから。この女心、旦那様にはわからないかしら?」
ふふっと笑うナターシャを見て、ユリウスもフッと微笑んだ。
「そんな難しいこと……言ってくれなければわからないさ」
「旦那様って昔からとってもモテるのに、いまいちレディの気持ちがわからないものね」
「……酷いな」
「ふふ、ごめんなさい。でもそんなところも好きだったの。それに一生懸命騎士の仕事をしているところも、領民たちのことを常に考えていらっしゃるところも尊敬していました。だから、旦那様が悔いることは何もありません。あの当時、あの病は誰にもどうしようもなかったのですから」
ナターシャのその言葉に、ユリウスの心はスッと晴れた気がした。
「再婚してって手紙に書いたのに無視したでしょう?」
「……そんなことできないさ」
「でも、本当は嬉しかったですわ。二十年も忘れずにいれてくれてありがとうございます。私のお墓、一度も花が枯れたことないのを知っていますよ」
「そんなこと……当たり前だろう」
「でも、もうあなたは自分のために生きてください。私は天国で幸せに暮らしているので心配はいりません」
その言葉と共にナターシャの身体の光がどんどんと薄れてきた。
「ナターシャ!」
「ああ……そろそろ時間みたいだわ。これ以上はエルヴィ様に負担をかけてしまいますから」
ユリウスはエルヴィを見ると、汗をかいて苦しそうな表情をしていた。いつもは何食わぬ顔で、魔法を使っているのに。
「エルヴィ! 大丈夫ですか」
「だい……じょうぶです。わたしはいいので……ナターシャ様と……最後の……お別れを……」
そう言われたが、ユリウスは苦しんでいるエルヴィが心配で仕方がなかった。
「ふふ、旦那様。安心しました。もう答えは出てるのですね」
「え?」
「エルヴィ様を大切になさってください」
「……ナターシャ」
「私、エルヴィ様のこととても好きですわ」
「……ああ、私もだ」
「エルヴィ様なら旦那様を任せられます」
どうやらナターシャは、エルヴィの寿命のことを知らないようだ。
「愛していました。旦那様と出逢えて……結婚できて本当に幸せでした」
目を細めたナターシャの顔は、とても幸せそうだった。
愛していたと過去形なところに、ナターシャの思いやりを感じた。
「ナターシャ、領民たちを守ってくれて……私の妻になってくれて感謝している。君と過ごした時間はとても穏やかな日々だった。気高い心を持ったナターシャと出逢えて本当に良かったと思っているよ。たくさんのことを私に教えてくれてありがとう」
「そう言っていただけで救われました。こんな風に素直な気持ちを直接伝えられて良かったです。旦那様、さようなら」
「ああ、さようなら」
ナターシャが消えた瞬間、エルヴィは膝から崩れ落ちた。床に倒れる寸前に、ユリウスが何とか支えた。
「エルヴィ……エルヴィ! 目を覚ましてください」
何度声をかけても、エルヴィが反応することはなかった。
ユリウスは急いで屋敷に連れて帰り、侍女に着替えを頼んだ。エルヴィの服は汗でびっしょりと濡れていたからだ。
それからベッドに寝かせ、ユリウスはずっとエルヴィの手を握っていた。
「お願いです。目を覚ましてください」
魔法を唱える前に、エルヴィは『倒れても心配するな』と言っていた。だから、きっと大丈夫なのだろう。
だが、目の前で倒れ……寝息も聞こえぬほど静かに横たわっているエルヴィを見て不安しかなかった。
「もし……このまま目を覚まさなかったら」
エルヴィの寿命はあと三日。日付が変われば、あとたった二日だ。このまま目を開けずに、最後の日を迎えたら?
ユリウスは身体がガタガタと震えてきた。
エルヴィは自分の力をこんなに削ってまで、ユリウスにナターシャを逢わせてくれたのだ。
死者と対話できる魔法がこの世にあるなんて聞いたこともなかった。恐らく通常の魔法使いではできない高度な魔法なのだろう。そして……もしできる魔法使いがいたとしても、禁術として厳しく規制されているはずだ。
そのルールを破って、エルヴィはあの魔法を使ってくれたのだ。きっと、ユリウスの心の傷を癒そうとしてくれたのだろう。
「エルヴィ……まだ目を閉じるには早いですよ。最後の日まで一緒に寝て……おやすみのキスをすると約束したではありませんか」
それでも反応のないエルヴィに、ユリウスは寝ずに付き添った。
「まだ……話したいことがあるんです。あなたに伝えていないことが」
途中でジュードから休むように言われたが、ユリウスは首を振りずっとエルヴィの傍にいた。




