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退廃都市の記録係  作者: theo
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第57話 幽霊なんて出るわけないだろ

 ――自分には恐れるものなど何一つない。

 少なくともこの職場、この国においては。

 煌々と七色に輝く虫、吹雪を巻き起こす虫、潰したら増える虫。

 燃える鋼鉄の靴――を履いて全速力で追いかけてくる火だるまの同僚。


 直近ですら“これ”だけ。

 多くの災害と脅威に立ち向かってきた自覚はある。

 勿論、“一人で”ではないけれど。入社当初は立ち仕事をするにしても精々製造ラインで立っているとか、警備チームに配備されるとか……軽く考えていた。


「でも幽霊の相手をしろなんて聞いてないぞ……大体幽霊なんて存在するわけないんだ。非科学的すぎる。絶対に出ない。皆疲れてるんだ……連日虫を追いかけ回して、虫に追いかけられて……気が変になってるんだ……科学の時代に幽霊なんて出るわけないだろ……!」


 勇敢な男――フェノム・システムズの従業員が一人、部屋の隅に縮こまっていた。

 彼が立たされているのは通称・龍の間として従業員達に“揶揄”されている大部屋であった。部屋の中央にウロボロスという名の巨大な龍が鎮座していることからその名が付いたそうだが、そんなことはどうでもいい。


 ――この部屋には龍どころか幽霊が出るという噂があるのだ。

 中央(というよりかは床そのものが龍本体だそうだが)に根差す龍は大人しい。吐息すら聞こえてこない、微動だにしない。置物かもしれない。

 この部屋での“待機指示”を受けた者達は誰一人「龍が怖い」とは言わなかった。


 ――そしてこの部屋は雰囲気からして“何かが出そう”なのだ。

 龍に適した環境――として最低限の照明しか灯っていない部屋は昼でも真っ暗闇。

 男は学生時代、宿泊行事で雑魚寝をした深夜の体育館を思い出していた。

 

「こんなところに私服の女なんて出てくるわけないんだ……従業員は皆制服を着ていて……不審な奴がいたらすぐ警備にしょっ引かれる!絶対!出ない出ない出ない」

「私がどうかしたの?」


 膝を抱えがくがくと震える男の頭上から柔らかい女性の声が降ってきた。

 気の所為だ――この部屋には自分しかいない。自分しか入れない。

 聞き慣れた同僚の声ではない。男は無視を決め込むことを決めた。


「そんなに驚くことないでしょう。貴方達は普段から“怪物”と隣り合わせの生活をしているのだから。それとも理性を保った個体が珍しいの?」

「ひ、ひいっ……本当に出やがったな……ゆ、ゆゆ……」


 ――幽霊。

 尻餅をつき、情けなく後ずさり、半開きの唇から漏れ出る言葉。

 しかし、正体を言いかけたところで男は口を噤んだ。


 男を見下ろしているのは噂通り、私服姿の女だった。

 ところが所謂ステレオタイプの幽霊ではない。何処にでもいるような普通の女なのだ。黒髪に灰色のパーカー、紺色のデニムパンツ。薄汚れたスニーカー。やや血色は悪いが、肌が青白いとか身体が透けている……なんてこともない。


 薄暗い室内で服装を確認できることはやや不審に感じるが、少なからず「戦ったら勝てそう」な類のビジュアルには違いない。

 男はこの状況で不思議と安心している自分に気付いた。


「幽霊でないとしたら……その……侵入者か、それとも何処かから逃げ出してきた幽霊っぽい奴なのか…………教えてくれたり?」


 男の問いに女は首を横に振った。

 ――会話が成立する幽霊というのは極めて珍しい。そして何より自らが死者であることを否定する幽霊なんて聞いた事が無い。

 男は時間をかけ、床からよろよろと覚束ない足取りで立ち上がると女と向かい合った。……対峙してようやく、女が自分よりも小柄なことに気が付いた。


「ま……まあ、そうだよなあ。ここのセキュリティは厳重なんだ。この前、俺が非番の日にテロが起きたらしいんだけどさ。それも呆気なく制圧したって聞いたし」

「知ってるわ。第二研究棟が軽いボヤ騒ぎを起こしたの、見てたから」

「相変わらず、コッチの死者はゼロだったらしいな」

「厳密には死人は出たけど蘇生したのよ。戦闘職員が17名死亡して」

「……蘇生した」


 男は自分の口の端から乾いた笑い声が漏れ出ていることに気付く。

 男の左手は無意識の内に右手首に巻かれたリンクデバイスを弄っていた。

 ――「正しい死因以外で死ぬことができない」という素晴らしい福利厚生。

 福祉支援とでも言うべきか。


 女は男の非番の日に起きたテロについてよく知っていた。

 ボヤ騒ぎ……というには規模が大きいとは思うが、所謂「企業が怪物を作っている」「異星人ではなく、企業こそがセクターにおける脅威である」といった“陰謀論者”に目を付けられることというのは日常茶飯事だ。

 それらの鎮圧に従業員が駆り出されることもまた日常。そして“死”も。


 社内に部外者が住み着いている、なんてことは有り得ない。

 被験者には宿舎が与えられているし、ここまで人間に近い変異体は見たことが無いし、アルバイト達が道に迷っていれば誰かしらが連れ戻す――となると幽霊か。

 ……でも幽霊本人が否定してるんだよなあ。


「私は逃げ出したわけじゃない。ずっとここにいたもの」

「じゃあ何だ……アンタはこの龍、ウロボロスだって言うのか?いや、なあ……?どう見たって長~くてデカい龍だぜ。普通ドラゴンとかモンスターが人間に化ける時は本体が“変身”するのが、定番だろ?俺達、本体の上に立って話してるんだぞ」


 大体、この龍が人間に化けるとしてこんな普通の女になるかなあ。

 男の失礼な呟きが部屋の静寂の中に溶けていく。


「私は生きている」

「そうらしいな」

「でも完全とは呼べない。足りないものが一つあるの、だからこの状態を完成形とは呼べないってこと。貴方達の命には限界があって、蘇生には限界はあるから」

「まあ……そりゃ限界はあると思うけど。それこそ神の領域なんじゃないか。人間は死んだら大人しく死ぬべきなんだ。嫌だけどさ。多分、不可侵領域なんだよ。ウロボロスにもリンクデバイスにも限界がある」


 一先ず男の中で幽霊は“自認”ウロボロスの女、ということで落ち着いた。

 もしかしたら今頃自分は気絶し、部屋で倒れていて無様に泡でも噴いているのかもしれない。だとしたらコレは夢や幻覚の類なのだ。

 ということで幽霊と対話が出来ている……冷静に考えればおかしい話だ。


「大丈夫、貴方達は死の“克服”を目にすることになる。彼がここへ来てくれたから」

「ソイツが誰か知らないけど……そこまで生きてられるか分からないぞ。昨日だって全身火だるまの同僚に追いかけ回されて焼死させられたばっかなんだからな」

「――一対の命として目覚める時がすぐそこまで来ているもの」


 絶妙に会話が成立していない気がする。

 男はぽりぽりと右頬を爪で引っ掻いた。

 ……きちんと感触がある。

 


――――――――――――――――――――



「起きなさい!もう昼休憩の時間でしょ。寝てるとか信じられないんだけど」


 男は全身を勢いよく揺さぶられる感触で目を覚ました。

 徐々に開けていく視界の中に最初に飛び込んできたのは女性――もとい先日自分を焼き殺した同僚の姿だった。そして景色は見慣れた廊下のもの。

 彼女の話によると……どうやら規定時間を過ぎても退室しないことを不審に思った同僚達の手であの部屋から引きずり出されたらしい。


「……俺、あの部屋で寝てたのか?いや……あそこには女の幽霊が……」

「それこそ夢でしょ!度胸が有るんだか無いんだか。あんなに幽霊が出るなら行かないとかいい年して大騒ぎしてたのに、いざ入ったら爆睡ってねえ……」


 ――信じられない!

 同僚は幽霊について聞く耳を持たない。

 元々その手の現象に興味を持たないタイプではあったし、普段から何かと怒りっぽい性格だとは思っていたが。今日は相当だ。

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