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退廃都市の記録係  作者: theo
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第52話 断派

 その日、ベルトコンベヤが運んできたのは複数の契約書であった。

 何の変哲もないA4の紙きれが、ぽつりとトレーに乗っている。


 いつもの回収品ではない。焦げ跡も血痕もない。変異体の分泌物に腐食した形跡もなければ異常な温度や歪みもない。上質な紙。企業ロゴ。整った製本。

 この回収棟に流れ着く物としては、あまりにも“普通”だった。

 ――アキが手に取る。


 最近では穴から出てきた時点で“異変”の見られない“普通”のものであれば、環も無理に彼女を止めることはしない。最初の頃は片端から検査を要求していたが、結局それでは埒が明かない学んだのだ。環も彼女の好奇心を止めることを諦めていた。


「へえ、普通の契約書ですね」


 アキは表紙を見ながら言った。

 表題には“業務提携契約書”とある。

 ――ページをめくる。

 そこに書かれているのは企業間契約としてはごく一般的な条文だった。


 セクター間資源融通。

 技術共有。

 利益分配比率。


 この国では珍しくない形態だ。

 五十のセクターに分割された都市では企業同士が協力しなければ供給網はすぐに詰まってしまう。輸送、加工、販売、研究。どの工程も別のセクターにまたがる。

 だから企業は契約を結ぶ。

 ――それ自体は何も不思議ではない。


 だが。“契約書”はこんなところに流れてきていいものではない。

 普通ならば契約書は企業内の保管庫か、監査局のアーカイブに入る。

 廃棄するにしても、シュレッダーにかけるか焼却処分だ。

 わざわざ他社に完全な状態で明け渡される“書類ではない。

 ……どこかのデスクからここへ瞬間移動でもしてきたのだろうか。


 アキは環の隣で最後のページをめくった。

 そこに小さく別紙が挟まれている。

 白い紙で、本文とは別のフォーマット。

 そしてタイトル。

 ――附属条項:断項

 アキの指先が止まる。


「断項?先輩、断項って何ですか?契約書なんて読んだことなくて……」


 アキは素直に聞いた。

 環は机の端で端末を操作していたが、顔を上げる。


「何処と何処の企業だ?」

「第六セクターにある物流会社と、第十四セクターにある加工会社みたいです。まっとうな企業同士に見えますけど」


 アキは社名を読み上げる。

 ノルド・カーゴ輸送株式会社。

 イシュタル精製工業。

 どちらも都市の物流網ではそれなりに知られた企業だった。


「見える、か」


 環は淡々と呟いた。

 アキは“断項”を読む。

 そこに書かれている文章は、短い。

 だが、妙に具体的だった。


 ――第十二条違反時、責任者の右手第二指を切除する。

 ――第十四条違反時、対象企業の能力使用権を停止する。

 ――機密漏洩時、当該責任者の企業登録IDを永久凍結する

 ――契約不履行時、家族保護契約を即時解除する。


 アキの喉がひくりと鳴る。

 並べられた文章の全てを理解することは出来なかったが、あまりにも生々しい。

 指の切断からして様子がおかしいのだ。


「普通こういうのって罰金じゃないんですか?」


 アキは言った。

 ――契約違反。

 学校で習った法律の知識では、それは賠償金や違約金で処理されるものだった。

 だが、環は静かに首を振る。


「罰金だけでは抑止力が足りないから」


 あまりにもあっさりした口調だった。

 アキはページを見つめる。

 ――企業が契約内容に違反したら普通は裁判を行うものではないのか?

 学校で習った知識だけで言うならばそうだ。


 契約違反。訴訟。判決。

 法廷があって、手続きがあって、裁判官がいる。

 それが社会の仕組みだと教えられた。学生達の“イメージ”はこうだろう。

 アキも例に漏れずその構図を信じていた。

 しかし環は言った。


「いざとなれば断派が執行せざるを得ない」


 その名が出た瞬間、部屋の空気が一段冷えた気がした。

 アキは顔を上げる。


「断派って何ですか?」


 アキの言葉に環は少しだけ眉を上げた。


「聞いたことないか?」

「名前だけなら……」


 アキは曖昧に言う。

 学生時代に噂で聞いたことがある。

 漫画やアニメといった媒体で細々と描かれることもある組織。とはいえその程度だ。普通に生活を送る住民達、特に子供は誰も本気にしていない。


「ほら、都市伝説みたいなやつです。契約を破ったら指切られるとか、真っ二つにされるとかそういう怖い話の一種で……」


 アキのたどたどしい説明に対し、環は短く答える。


「断派は都市伝説じゃない」


 その一言で、アキの背中を冷たいものが走った。

 架空の組織が目の前で一気に現実味を帯びてきたのだ。


「ええ……あれ、本当に実在するんですか」

「ある」


 我が国の裏契約が成立するのは、断派が“最後の刃”を握っているから。

 このように噂される――あの断派。

 アキは言葉を選ぶ。まさか環が裏社会の一員であるとまでは思わないが、何となく言葉を選ばないといけない気がした。

 ……仮に構成員にこんな口の利き方をしていたら、今頃何をされているか分かったものではないのだが。


「つまりこの書類に書かれた内容も違反したら……」

「切られるな」


 簡潔すぎる答え。

 アキは思わず自分の右手を握り込んだ。

 第二指。あまりにも具体的だ。

 抽象的な“制裁”ではない。

 条文が肉体のどこを削るかまで決めている。


「でも……見方を変えればこれは保険みたいなものなんでしょうか?」


 アキは言った。

 事故が起きた時のための仕組み。

 損失を補うための制度。

 契約というものはそういうものだと思っていた。

 だが環は再度首を振る。


「違う」


 即答だった。


「保険は救済で、断項は確定した罰則だ」

「確定……」

「違反した時に“何を切るか”を先に決めておく条文」


 救うためではない。最初から削る前提で作られている。

 アキはページをめくり直す。

 契約書の本文は穏やかだ。

 相互協力。信頼関係。持続的発展。

 ――どこにでもある企業間の言葉。

 学生のアキが想像する“企業”の姿がそこにある。

 だが最後に――肉を切る条文がある。


「これって、誰でも使えるんですか?」

「使えない」


 環はトレーに残った別の契約書をめくる。

 どれもアキが持っている書類と同じ形式だった。

 環はアキに向けて書類の一部を指差した。書類の最後には断項がある。


「五派協定に組み込まれた契約だけだな」

「協定……」


 経済を支える複数の勢力。

 公式には存在しない。だが、誰もが知っている。

 契約と罰。囲い込み。証拠焼却。潜入と関係操作。そして完全消失。


 法律では扱えない領域。

 そこを動かしているのがこれらの組織だという。

 ――そして、その中の一つが断派らしい。


「断派は依頼を受けて動くこともある。でも本質はそれではない」


 環は静かに言う。


「契約の暴力を独占していると思えばいい」

「暴力……」

「条文を現実に変える装置とでも言えばいいか。そういう奴等だな」


 裁判はない。猶予もない。

 違反した瞬間、執行される。


「言ってしまえば銀行の抵当権に近いものだ」


 環は続ける。


「銀行は差し押さえるだけだろだろう。だが、断派は即時執行する」


 担保付き契約。

 それに、即時執行装置がついている。

 その式が、妙にしっくりきた。


「もし断派がいなかったら?」

「裏で隠れてやってるような契約が成立しない」


 囲い込みが逃げる。

 密約が破綻する。

 企業の裏取引は信用を失う。

 “技術”の貸し借りも、暴走する。


「怖いけど、いないと国が回らないってことなんでしょうか」

「そういうことだ」


 環はぽつりと呟いた。

 ベルトコンベヤが低く唸る。次のトレーが滑り出る。

 そこにもまた契約書が並んでいる。


「なんでこんなものがベルトコンベヤの“穴”から?」

「廃棄されたんだろう。それとも余所の企業からひったくってきたとでも言うのか?」

「それは分かりませんけど」


 環は徐に書類の一枚を持ち上げ、裏面を確認する。

 そこに、小さく印字があった。

 ――断派執行対象確認済


「印があるな」

「確認済……」

「つまり、この件に関してはもう断派が関与してる」


 アキの背筋が冷える。


「じゃあこれ、違反があれば本当に……」

「切られる」


 条文が振るわれる。

 刃物のように、ではない。

 環は静かに言った。

 アキは契約書をまとめ、トレーに戻す。

 紙は軽いはずなのに、やけに重かった。


「守るための契約じゃないんですね」

「削るための契約と言った方がいいだろう」


 静かな訂正だった。

 この国の裏では、信用は優しさから生まれない。

 ――“切られる”確実性から生まれる。

 環は淡々と述べた。


「これ全部流しちゃっていいんですか?」

「ああ、構わない」

「上に届くかは知りませんけど。ウチも提携とかするんでしょうか」

「あいつはするだろうな」


 利用できる制度は利用する。

 それがこの“彼女”のやり方だ。

 アキと環は手分けして書類に確認を知らせるステッカーを貼り、情報を送信した後、書類の束を再び送り出した。

 行先の分からないベルトコンベヤの“出口”へ向かってトレーが動き出す。

 アキはそれを見送りながら、小さく呟いた。


「先輩は断派って何だと思いますか?」


 トレーが視界から消え、再び機械音だけが残った。

 環は少しだけ考える。


「契約を現実に変える存在」


 条文を肉体に刻む装置。

 恐怖で信用を成立させる機関。

 いくらでも言葉は思いつくが、シンプルな表現としてはそれが一番しっくりくる。

 

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