第2話 契約と面接
契約は時に命を掴むことである。
九死に一生とはまさにこのことでは無かろうか。
アキは目の前の長机に並べられた書類の内容に目を丸くする。
ここで働いていれば死なない――書類通りなら。
「正当な死因以外で肉体が死を迎えた時、直ちにある一定のタイミングの状態へと蘇生する」
アキの前に並べられた書類にははっきりとそう記載されている。
アキがこのアルバイトの面接に応募する前に好んで観ていたアニメや漫画では珍しくない設定だった。しかし現実には治癒魔法も無敵の体も存在しないはずだ。小さな子供ならまだしも、今年17歳になるアキがそれを知らないはずはない。
アキはあの日、例の女性から封筒を受け取ったことで一先ず貧民街から抜け出すことに成功していた。女性は親切にアキを施設の傍まで送り届けてくれた上に付近の宿泊施設への手続きと支払いまで済ませてくれた。面接を受ける前から至れり尽くせりの状態にアキは流されつつ、窮地から一転幸運なこともあるものだと呑気に考えていた。当然何かしらの裏は有るだろうが、怪しいからといって断れる状態ではない。
女性がアキに差し出した封筒には求人と申込書類、ご丁寧に履歴書までついていた。宿で書いてくれということなのだろう。
求人の内容はフェノム・システムズでの高給なアルバイトであった。
女性はアルバイトであるとしか言わなかった上、アキがそれを断る理由も退路も何処にもなかった。
結局、アキは彼女に紹介されたアルバイトの面接にやってきてこうして突拍子もない就業条件に拍子抜けしている。
「死なない?本当に?ここに書いてあることが本当なら……アニメや漫画のキャラみたいに四肢を引きちぎられても死なないってことになりますけど」
「はい、死にません」
それは断言しないでほしかった。
思えば職員……先日出会った女性とのファーストコンタクトの時点で怪しかった。
会社の裏の入口から面接会場まで、アキは誰ともすれ違わなかった。自分をここまで送った制服の女性とはあれ以来会っていない。彼女から名刺の類を貰っていないことにアキは後から気付いた。
アキは女性から受け取った地図を片手に広大な施設の中を歩いた。イメージするのは土日のほぼほぼ無人の校舎――アキは地図の通りに施設から遠く離れた地下の連絡通路を辿って施設内部に入った。
大広間の様なフロアや、自販機が並んだフロア。でもそのほとんどは病院の廊下の様に通路の両脇に番号の書かれた扉が並んでいるといっただけの単純なものであった。故にとても迷いやすい。
そうして何とか封筒に記載された番号の部屋を訪ね、いざアキを出迎えたのは長机と椅子と壁に張り付いたスピーカー一つという白く殺風景な部屋であった。
唖然とするアキに「どうぞおかけください」と声をかけたのは他でもなく眼前のスピーカーであり、この面接における面接官だった。
「まだ質問があるんですけど」
「はい」
「正しい死因って何ですか?」
正しい死因――死因に正しいも何もあるだろうか?
例えば車に轢かれる事故死や、病死。強盗に襲われる他殺といった様々な死因が挙げられるだろう。人間いつどこで死ぬかも分からない。
戦争とは無縁の地域で暮らしていたとはいえ、居住区から蹴り出された今の自分では戦争に巻き込まれて亡くなる可能性もあるだろう。
アキは就業条件にあるその特典の事が胸に閊えていた。
「人が生まれ持った運命の様なものです。例えば50歳で車で事故を起こして亡くなるという運命にある方がこの施設で何らかの事故に遭ったとして死ぬことはありません。少なくとも本来在るべき死因はここにはないのです」
……さらっととんでもないことを言ったな。
機械に巻き込まれて死んでも蘇生するのだろうか。スピーカーから流れる音声は只々機械的にアキの質問に答えた。AIによる回答なのかもしれない。
アキは生活の授業、或いは社会の授業で少し触れる程度に習っていた技術の事を漠然と思い出していた。形態は様々だが、丁度異なる星とこの国が戦争を開始した頃に魔法のような画期的な技術が齎されたこと。それが様々な形で生活に溶け込んでいることを。生憎アキは平凡な家庭の出身であったためそれらに触れることはなかったが、実在しないとは言い切れない技術達である。
人を回復する魔法のような技術が表に出てきたことはこれまで一度も無いため、原理は異なるのかもしれない。
アキは一人で納得し、頷いた。
「それと死なないって条件以外に高給、衣食住が保証される、外出自由、制服無し、髪色にピアスもネイルも自由という条件で一体何させられるんですか」
「それを聞いたら辞退なさいますか?」
こいつ足元見てるな。断れないと分かってやってるな。
スピーカーから発せられる中性的な声はアキの質問に答えるだけ。
賢い人間なら専門知識で捲し立てるなり、口達者な人なら口論が出来るかもしれないが――しかしアキはそうではない。そしてもしそうであったとしても突っかかるような真似はしないだろう。
一応女性から手渡されていた求人には「データの記録を行うアルバイト」とある。
何処で何の記録を行うか分からないからやめます、と言える余裕はない。アルバイトを易々と怪しいからというあやふやな理由で断れるほど生活に余裕はないのだ。
仕事内容に関しては全くもって不透明だが、入社初日で死んでしまう、又は重大な病に罹患するようなものであればきっとどんな大企業でも今の時代口コミやSNSで悪評が出回るはず。アキはそれを祈るしかできなかった。
相手もそれを分かっていてわざわざ自分のような人間をこのアルバイトに誘ったはずだ。アキは長机の上のボールペンを手に取ると迷わずサインをする。
「こんな求人逃せないですし、結局ここの仕事も国内ではずっと安全な方ですから」
「貴女が話の分かる方でよかった」
ああ、これは一応AIじゃない。きっと人間が入ってる。
アキは黙ってサインを終えた契約書を二本指で前方へと滑らせた。
受け取る相手はいないが、回収箱の類も社員の姿も見当たらない以上こうする他になかった。