第12話 造園師
「……ここでお目にかかるとは思わなかったな」
環とアキの二人はコンベヤの横に並び、共にじっと上へと視線を向けていた。
ベルトコンベヤの上に静かに鎮座しているのは一見するとどこにでもあるようなごく何の変哲もない白い陶器製の鉢植えである。鉢の中には湿り気を帯びた黒い土が隙間なく敷き詰められており、そこに何らかの観葉植物がしっかりと根を張って植わっていた。
しかしその植物の全体的な形状は、アキの知るどんな一般的な植物とも異なり、何とも形容しがたい奇妙な異彩を放っていた。
所々に疎らに生えた葉は観葉植物のドラセナのように細長く、その先端はナイフのように鋭利に研ぎ澄まされている。細くしなやかな茎は立ち上がった環の視線の高さほどにまで真っ直ぐ垂直に成長していた。
――特筆すべきはその細い茎のちょうど一番高い頂点に誇らしげに咲き誇っている巨大な一輪の花である。
目が覚めるような鮮烈な橙色の花弁には全体に散弾銃を撃ち込んだかのような赤黒い斑点が斑らにちりばめられていた。一見すると百合の花のようにも見える形状だったが、通常の百合よりもいくらか花弁の枚数が多く密度が高い。
どうやら何らかの心当たりがあるらしい環とは裏腹にアキには目の前にあるこの不気味な植物が一体何の種属なのか全く見当がつかずにいた。
アキは集中した様子で植物を観察し始めた環を邪魔しないよう距離を取って大回りをしながら左右を行ったり来たりしてその怪しい花の様子を遠巻きに覗き見る。
「先輩、何かこのお花に覚えがあるんですか? ……まさか前回の流れからの『虫関連』の植物とか?」
「……これは食人花だ。人を食う」
環という男はどちらかと言うと日常的にくだらない冗談を口にするようなタイプではない。
彼が続けて「……まあ、虫を食うというのもあながち間違いではないが」と至って呑気にさも当然の常識であるかのように解説を続けるものだから、これもまた自分が知らないこの国の特殊なバイオ技術や異文化の一端なのだろうとアキはひとまず自分を落ち着かせることにした。
現にコンベヤの上で佇むこの植物が、急にツタを伸ばして自分たちを襲ってくるような危険な素振りは見せていない。それどころか環は花弁のぎりぎりまで自分の顔を近付けて観察しているのだ――この凶暴そうな植物に知識と覚えがある人間の取っている行動なのだから直ちに命の危険があるわけではないのだろう。
あるいは彼だけにしか分からない特殊な対処法や安全な扱い方が存在しているのかもしれない。
「食人花を美しく育てるには、上質な『肉』が必要になる。一般的には、適度な大きさに刻んだ肉を土に混ぜ込んで与えるんだ」
「……はあ。肉、ですか」
「元々は国外の未開拓領域にあった固有の植物だな。この国の愛好家の間ではこれの見栄えや発色の美しさを競い合うコンテストもあるくらいだ。与えた肉の種類や量、与える時期によって花弁の発色や葉の質が劇的に変わるから……全ての株がこれと同じ形や色になるというわけではない」
ひとまず急に喰い殺される心配はないと知って安心したアキだったが、同時にその胸の中に新たな疑問がふつふつと湧き上がってきた。
……環も以前どこかでこの物騒な植物を自分で育てたことがあるのだろうか?
環の表情は相変わらず無表情で声のトーンも抑伏のない平坦なままだ。取り立てて興奮したり感動したりしている様子もない。
しかしその右手で鋭利な葉の表面を優しく撫でながら時折アキの方を振り返って丁寧に解説を加える様は普段の彼と比べれば明らかにいくらか饒舌に感じられた。
環の説明によれば、こうだ。
この植物――「食人花」は、人間だけでなく豚や牛から不審死体の肉に至るまであらゆる有機物を同様に摂取して成長する。与える肉の種類や栄養状態によって株の数だけ全く異なる色彩や形状へと成長するのだという。
そしてそれに関して「これを与えれば必ずこの完璧な花が咲く」といったような決定的なレシピの類は存在しない。
土の成分、育てる環境の湿度や光量、そして与える特殊な肥料……それらを長年の勘と技術で絶妙に組み合わせ、作り上げた一品ものの植物を一つの「芸術作品」として発表している人間たちが存在するのだという。
市場で買おうと思えば家が建つほどの高値がつき、自力で原種を採集しに行こうと思えば命懸けの危険な旅になる。実際、都市の外縁部の荒野や危険地帯に出向いてこの原種を摘み取ってくることだけを生業とする「プラントハンター」のような者たちも存在するほどだそうだ。
……アキのような貧困層の人間には到底理解しがたい富裕層の道楽の世界であった。
芸術や観賞用の植物という分野に興味がないと言えば嘘になるが、環の言う通り、この植物はスタートラインに立つための準備の段階から異次元にハードルが高い。初期投資にそれほどの莫大な金額を求められる趣味というのはいくらその内容が魅力的であったとしても現実的に参入に積極的にはなれないというのが正直なところだった。
「先輩、昔これを自分で育てたことがあるんですか?」
「いや、俺自身はない。昔、知り合いに『造園師』がいたんだ。……ああ、これも流派みたいなものがあってな」
「流派なんてあるんですか? へえ。生け花とか、華道みたいなやつですかね?」
「花単体の美しさや質を追求する者を『造園師』と呼び、花を含めた庭園全体の空間単位で物事を考えるのが『庭師』だ。庭師の方はかなり物騒だから俺はあまり関わり合いになりたくないんだがな」
「……ははあ……物騒、ですか?」
「裏社会で処理された死体を跡形もなく綺麗さっぱり骨まで食らい尽くさせるからな。金を持っている巨大な犯罪組織や権力者の家では一家に一人、専属の『庭師』を囲っていたりする。実質的に半分は高レベルの戦闘員みたいなものだしな」
環は胸の前で両腕を組み、下から静かに橙色の花を見上げていた。
花びらにも細い茎にも害虫一匹、水滴一つすら付着していない。過酷な戦地やアングラなルートから運ばれてきたにしては信じられないほど完璧に手入れされた美しい状態である。このまま第1セクターのどこかの高級邸宅の庭から直接持ち去られてきたと言われても何一つ驚かないような仕上がりだった。
細い茎の表面を人差し指でそっと撫でながら環はアキの素朴な問いに答えていく。
かつて彼の知人だったという「造園師」の人物は常に武器……あるいは庭師道具を兼ねた巨大な剪定鋏を携えており、どこからか肉を調達してくるとそれを独自の薬品で加工していたらしい。
そうして自作した特殊な肥料を自分の食人花に与える傍ら、同業者や富裕層の一般人にまで高値で販売していたのだという。その人物の生活の大部分を支えていたのは造園師としての本業よりも実はその「特製肥料」の売上だったそうだ。……こんなアングラな世界においてまで、生々しい世知辛さを感じたくはなかった。
アキの頭には、後半の「裏社会の処分業者」という物騒な話がまるで滑り込んでこなかった。
しかしアキにも何となく構造の察しはついた。漠然とスラム街や治安の悪いセクターを牛耳っているような恐ろしい反社会組織の影が脳裏に浮かぶ――お互いの利害が完全に一致したビジネスということなのだろう。
「そういう裏の仕事をやってる人達って……」
「ああ」
「……やっぱりめちゃくちゃ高給取りなんでしょうかね?」
「屋敷の警備から死体処理まで一手にやっていれば恐らく相当な額だな。そこらの下っ端構成員よりは遥かに貰っているんじゃないか」
「まあ、正式な組織の構成員じゃないなら万が一内輪揉めとか抗争が起きた時にもパッと一抜けして逃げられそうだから楽かもしれないですね。……でも相応の実力が無いと雇ってもらえないだろうし、過去の実績とかポートフォリオを求められるとなると私みたいな人間には夢が無い話ですけど」
「裏社会の組織だってその辺の素人にいきなり大金を支払うわけにもいかないからな」
貧乏な暮らしが長く続くと人間は何でもかんでも「金」の話に結びつけて考えてしまう気がしていた。
アキの予想通り、裏社会の「庭師」は破格の高給取りであった。当然だろう。単に観賞用の植物を育てる芸術家ではなく実際のところは死体処理と警備を兼ねた危険な裏稼業なのだから。それくらいの莫大な報酬を受け取る資格はあるはずだった。
自分のやりたい趣味や芸術を追求しながら同時に高い給料をもらって不自由なく生活する――というのは、仕事内容の過酷さに目を瞑ればこの上なく都合が良く羨ましい生き方だとアキは思う。恐らく、分だけでなくこの国の貧しい国民の多くがそう思うはずだ。可能な環境さえ整っていれば誰もがとっくにそうしていることだろう。
それでも世の中のほとんどの人間は……自分たちのように特に好きでもない地下の暗がりで生きるために必死でしがみついているのだ。
アキのような行き場のない一般庶民には労働者としても雇い主としても一生縁の無い雲の上の話であった。
一発逆転を狙って「庭師」になろうと思ったところで実務経験や過去の実績が厳しく求められるのは表の社会でも裏の社会でも変わらないらしい。だからこそ大半の人間は何処へも逃げ出せず飛ぶこともできない自分のような人間を都合よく待っている悪質な組織や企業に身を寄せることになるのだ。
このセクターで何の組織にも所属せずに身一つで生き抜くということは防壁の外に広がる死の荒野で一人で生きるのと何ら変わりがないのだから。
「ところでその先輩の知人の『造園師』の方って……」
「ああ。昔の俺の勤め先に、自作の肥料の営業に来ただけだ」
「ああ、そういうノリの出会いだったんですね」
「当時はまだ生活にそれなりの余裕があったから俺もいくつか商品を買ってやったりもした。……当時の友人がそうしてやるようにと言ったからだ」
(ちょっと待って。先輩って昔はどこかのちゃんとした企業か組織に所属していて……しかも飛び込み営業の行商人からお情けで高価な商品を買ってあげられるくらい、経済的に生活の余裕があったの……?)
個人宅や事務所を直接訪問して品物を売り歩く「訪問販売」という手法は、現代の都市部においてはすでに死語となった古い商法の一つだ。
スラム街の闇市ならいざ知らず個人の居住区や事務所に直接業者がやって来るなどということは珍しい。というのも現在の都市部はどこも警戒厳重であり、ましてや殺人罪の概念すら曖昧な危険区域の方が多いのだから。
インターホンを鳴らしてドアを叩いた瞬間に住人や専属の警備員から銃口を突きつけられたとしても全くおかしくはない。特に貧民街であれば猶更だ。侵入者を優しく摘み出して帰すような余裕も温情もあるはずがない。
となれば――かつての環はそれなりに治安が安定した「ちゃんとした街」と呼べる場所に暮らし、まともなオフィスで仕事をしていたと考えるのが妥当であった。
そして彼が口にした「友人」という存在――それは、先日彼が愛おしそうに話していた、彼に名前を与えたという「名付け親」と同一人物なのだろうか?
信頼できる友人がいて、ちゃんとした仕事があり、経済的にも十分に恵まれていて……そんな人間が一体どういう経緯を辿ればこんな地下の最果ての作業室で自分と一緒に不審死死体の回収作業などに従事することになるのだろう?
アキは環という男の「新しい過去のピース」を知るたびに目の前にいる相棒の全体像がどんどん霞み、彼という人間の正体を見失っていくような奇妙で底知れない心地悪さを覚えていたのだった。




