第1話 雨の中のスカウト
路地の片隅に膝を抱えて座るアキの前を人が行き交う。
家を出る前までは新品同然とは言えないまでも新学期に合わせてクリーニングに出したばかりの制服は綺麗だったのに。今のブレザーにその面影はない。右腕に引っ掛けるようにして隣に並べた学生鞄も同様に土埃に汚れ、惨めなものだ。
つい二週間前までアキは街の住民であった。
現在、この星は国家間の戦争と宇宙戦争をしている。自分の住む国の話であってもアキのような大して歴史や時事問題に特別興味のない高校生の認識としてはその程度のものだった。
姿形も知らない異星人が得体の知れない兵器を用いてどこかで被害を及ぼしていて、自国の兵士と戦っている。国内の紛争では住宅街の家が何棟焼けただとか、歴史的建造物が全壊しただとかそういったニュースを登校前に見かける程度。
……たったそれだけの話だった。
そんな一般的な高校生――アキが現実を視する羽目になったのは自らが戦争によって家族を失ったからであった。厳密にはどのように家族が亡くなったのか、本当に死んだのかアキにも理解出来ない。
普段通り部活が終わって家に帰ってきたら、リビングで両親が死んでいた。
毒ガスでも撒かれたのか?テロ?――傷一つない身体を見て、慌てて戸締りもせずに外へ飛び出し、助けを呼んだところまでは記憶している。 外には自分と同じような人たちが同じマンションの中にも沢山いた。家財を取り出す間もなくあっという間に地域そのものが封鎖されてしまった。当然、家族の遺体も取り戻せていない。
その時、初めてニュースで時折耳にしていた「不審死」が他人事ではなくなった。
国内の紛争は戦争における被害と言われて真っ先にイメージするような状況そのものだ。街が瓦礫の山になったり、森が焼けたり。人の死体も同様に惨い状態になる。
アキの家族も家もそうはならなかった。
ただ命だけが家から抜き取られてしまったようにぽつりと置かれた惨状を前にして、アキの頭には「異星人」の三文字が浮かんだ。
しかし、アキにはおちおち家族の死を悲しむ時間は無かった。
家族が消えた翌日は平日だったが、当然学校には行けなかった。アキには元々頼れる親族は居なかった上、アキが今街で暮らせているのは全て父のお陰だった。
父がこのセクターを統治する組織に所属していたから家族がそこに住めている状態だったのだ。独自にビジネスをしているような人間であれば家族を失ってもセクターに残れたかもしれない。然しアキは学生、母親は専業主婦だ。
早い話が父親を失えば終わりなのだ。もし母親が生きていれば、今頃アキは母と二人で行政区画の外を彷徨っていたことだろう。
――社宅はそこそこ広かった。異星人や戦争とは無縁の平和な暮らしがあったのに……地獄に落ちる時は真っ逆さま。本当に一瞬だ。
アキは役人が家を封鎖する前に財布、数日間の着替え、携帯電話、身分証を手にセクターの外を目指した。家賃や学校への手続きなんてものは分からなかった。どちらにせよ区から叩き出される運命ならと行政の手が行き届かない街までアキは歩いて行った。セクターの外には幸い、アキのようにあらゆる理由で家族や家を失った人間やそもそも初めから貧しかった人々とでごった返していた。
何処のセクターであっても、必ず行き場のない人々が溜まる場所がある。そこだけは繋がっていて、関所や関門が設けられることもほとんどない。
足を運ぶのは初めてであった。個人が経営する安く泊まれる宿もあったから、暫くはここに身を置いてそれから今後の事を考えようと思っていた矢先の話だ。
――嘘みたいに、あっさりと。アキは町中で財布を奪われた。
……そういえば「外を歩く時は財産を小分けに持て」と先生が言っていたっけ。
小さな人影が自分の傍を横切った時だった。細い腕が学生鞄のファスナーの隙間に差し込み、財布を抜き取っていた。アキが気付いてあっと声を上げた時には子供は遠く人混みの中へ消えていくところだった。
それが大体三日前の話である。
たった三日、野宿を強いられただけでここまでボロボロになるなんて──アキは自分が情けなかった。こうして貧民街の中でも端の方に追いやられた三日目。幸いこれだけ不幸続きでも天気には恵まれていたというのに。遂に雨まで降ってきた。
だからこうしてシャッターの下りたビルの屋根とも呼べない小さな板の下で縮こまっている。これが冬であったら今頃凍死していたかもしれないと考え、アキは小さく身震いする。
そもそも今年の冬まで自分が生きているかも分からない。異星人や他セクターとの紛争に巻き込まれて死ぬかもしれないし、このままいけば餓死まっしぐらだ。
そもそもここはセクターの内部ではあれど、区としてカウントされていないグレーゾーンだ。ここで殺人や事件が起きたとて国は何も言わない。区に属せない貧者や反社会的な勢力、異民族が混在する掃き溜め。
――お先真っ暗に変わりなくとも、いつ訪れるかも分からない死に怯えるよりかは雨が止んだ後で何処へ行くか考えた方いいのだろうか……?
そうしてアキが足元の石を足で弄んでいた時、ふと自分の視界が暗くなったことに気付く。眼前に誰かが立っているのだ。
アキが恐る恐る上を見上げた時、アキは自分を見下ろす人物と目が合った。
その人物は貧民街には似つかわしくない、何処かの企業の制服の様な格好で傘を差して立っていた。彼女が握ったビニール傘が雨を弾く音だけが路地に響いている。
「アキ様ですね」
見た目以上に温かみのある声だった。
年は若く、表情には薄く笑顔が張り付いた黒髪の女性が目の前に立っていた。
フェノム・システムズ――女性が首から提げた社員証にはアキが何度か家で見かけていたロゴが刻まれている。父親の会社の取引先だっただろうか。アキの記憶にこのような知人は居ない。父が家に招いていたのも見たことがない。
面識のない人物に知らない場所で呼びかけられるというのははっきり言って気味が悪かった。
――それでも今は縋る宛がない。
父の関係者が自分を探しに来てくれたのかもしれない。アキが頷くと女性は笑って持っていた鞄から一枚の封筒を取り出し、アキに差し出した。
目の前でこういうものを開けるって失礼なのかもしれないけど……。
アキが女性をちらりと見上げると、彼女は視線に気付いてにこりと微笑んだ。