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人形話集『コッペリア』  作者: 一条香夜
3/3

ラヴァーズ・コンチェルト

ビスクドールは夢を見る。

何度も何度も終わってしまった夢を見る。

それはきっと人間がいう「哀しい」夢を。

 夢をみる。

 終わらない夢を何度も何度も。

 始まりの無い夢を繰り返し……。


 私が生まれたのは今から百年以上前。本当は青いはずの空が、灰色で隠れてしまった頃。

 人間の時間の感覚は私には分からないけれど、物も人間が使う道具も生まれた時にはなかった物が増えているから、時間が経っていることは理解できるわ。

 私が人間の感覚をちゃんと理解できない理由。それは簡単。たった一つの理由。

 あるマスターが造ったビスクドール。それが私。“生まれた”と先ほど言ったけれど、決して人間のように生まれたわけではないの。陶器でできた(からだ)に、硝子細工の瞳。ブロンドの髪も何もかも作り物の紛い物。

 血も涙もない、温度も宿せないお人形。それが私。見た目は他のお人形と変わらないけれど、私には少し違うものがあるの。

 他のお人形との違い。こうして人間のように意思を持っていること。



 マスターに造られてから、マスターがいなくなるまで私はずっと近くにいた。

 何故か私には生まれた…作ってもらった時からずっと人間みたいに意思があったの。口はあっても舌も音を震わす喉もなかったから、マスターとお話することはできなかったけれど。

 マスターがいなくなってから、私は少し埃っぽいものが多く並ぶ所にいたし、マスターのお家よりも広くて大きい家にいたりすることもあったわ。

 色々な場所、色々な人。マスターみたいな見かけの人や、全然違う外見の人の所にもいたの。

 子どもが私で遊ぶ時もあった。透明な箱に入れられて飾られたこともあったかしら。綺麗なドレスを着た女の人が持ち主だった時もあれば、独りが寂しいと男の人が気まぐれに私を手元に置いていたこともあったわね。

 気がついたら人間の時間ではかなりの時が過ぎていて、私には価値があると今はある場所に飾られてたくさんの人が毎日見に来る所にいるの。

 こうやって思い出してみれば、たくさんの物や人を見てきていたのだと思うわ。

 だって、私の時間はない。人間と同じようにあっても、無いのと同じ。

 マスターがいなくなってから、私はずっと夢というものを見ているようなものだから……。



 少しだけ、ほんの少しマスターのことを話そうと思うの。ちょっと思い出すのが辛いけれど。

 私を作ってくれた人は、人間の中でも変わった人だった。家族というものはなく、一人で暮らしていたの。

 人形は私以外にもいっぱい作っていたけれど、みんな誰かに買われていった。私も本当は先に作られたみんなのようになるはずだった。どうしてかマスターは代わりの人形を作って、それを持っていってもらったみたい。どうして売られなかったかは分からない。理由をちゃんとマスターは話してくれなかったから。

 ……すぐ誰かの元にいた方が良かったと今なら思うの。

 マスターは私のことをただの人形と思っていたわ。意思があるとは全く知らなかった。だけど、私にたくさん話しかけてくれた。

 例えばその日の天気のこと。どこかでどんな花が咲いていたとか、誰かと何かあった時は少しだけ愚痴も漏らしてくれたの。

 そうそう。こんな話もしてくれた。 

 マスターは私のことを“アリス”と呼んでいた。その名前をどこから取ったのか。なんで私のことを“アリス”と呼ぶのかを。

 「アリス。君の名前はね、少し前に出た本の主人公からもらったんだよ。挿絵の主人公が君と同じで金の長い髪をしていたから、私も君のことをアリスと呼ぶんだ」

 その物語がどのようなお話なのか。詳しくは教えてはくれなかった。だから物語の結末も、あらすじも知らないけれど、名前のこと以外にも何度かその物語についてお話はしてくれた。

 「ねえアリス。彼女はとても不思議な国で冒険していたんだ。でも、それは全て彼女が見ていた夢だった。アリス、君がその瞳にこの景色を映したら、君は現実というのかな?夢というのかな?」

 マスターは他にもたくさんお話してくれた。

 私が聞いているとは思っていなかったでしょうけど一人の人間のように扱ってくれる、大事にしてくれるマスターのことが、その時は人間の感情で言えば大好きだった。

 いいえ。きっとあの時の気持ちは既に“好き”とは違ったのかもしれない。

 はっきり、そうと気づいたのは、マスターの手に皺というものが増えて、髪の色が白くなってきた頃。私に触れる手が震えるようになっていた。

 「アリス。可愛いアリス。私はこうして歳を重ねて、もう長くはないけれど君は変わらない。物語のアリスでさえ、続きの物語では成長していたのに君はずっとそのままだ。永遠に少女のまま。君が壊されないかぎり、美しさもそのまま。人間の時間に限りがあることを君と一緒にいることで実感するなんてね」

 その時に初めて。いえ。改めて私は人形で、マスターは人間だと感じたわ。

 「アリス。私が死んだ後、君のことは信用している人にお願いしているよ。だから心配しなくても大丈夫。その人だけではなく、君がこれから出逢う人々がどうか君を愛してくれるように、私は見守っているよ」

 それから、二度と目を開けてくれなくなる前。私を抱きしめてこう言ったの。

 「アリス。私の可愛いアリス。君を造れたのは神が与えてくれた一番の贈り物だったのかもしれない。おかげで君を生涯売るなんてできなかったけれど。さようならアリス。愛しい君がどうかこれからも幸福で満ち溢れていますように」

 その言葉で人形の私にもなんとなく分かったの。もうマスターが私に話しかけてくれることはないのだと。髪を櫛で梳いてくれることも、頬を撫でて傷の確認をしてくれることもないと。

 人形だから心臓なんて存在していない胸がすごくすごく痛くてたまらなかった。会えないなんて信じたくなかった。硝子の瞳なのに、何かが奥から出てくるようで瞳が外れそうだった。

 マスターが目を開けてくれなくなって初めて分かったの。

 人間は私たち人形みたいにずっと一緒にはいられないのだと。限りがあって、人間はいつかいなくなってしまうのだって。

 そして、私の中にできた意思とは違うものの名前を。感情の名前を。

 このとても胸が苦しい感覚は“好き”と同じで、“好き”よりも大きいもの。人間が“愛”と呼んでいる感情であったことを。

 




 マスターがいなくなってから私を手元に置いてくれた人は、マスターがお願いをしたのがよく分かる人だったわ。同じように私を大事にしてくれたの。

 その人もいなくなって、私は色々なところへ行って、色々な人の元にいたの。みんな私を大事に扱ってくれた。こう言えるのは、埃が少し気になるところにいた時、他のお人形とお話して分かったの。他のお人形にも、私は幸せだと言われたから。

 マスターが願ってくれたように幸せなのだと思う。

 だけどね。

 マスターに感じた気持ちを、他の人には感じなかったの。誰のところへ行っても、誰がいなくなっても。少し寂しいだけで、胸は痛くないの。人間に限りがあって、その人と二度と会えなくて、その人がどれだけ私を大事にしてくれても。

 胸の奥はマスターがいなくなってからずっと痛いまま。もう一度会いたい。お話を聞きたい。触れてほしい。名前を呼んでほしいと思うのは、唯一人。

 ねえマスター。

 貴方は私のことを神からの贈り物と言ってくれた。私を作ってくれた。

 貴方に作ってもらえて、人形として幸せだった。


 でもねマスター。

 今、こんな気持ちをずっとずっと感じるままなら、私は作られたくなかった。どうせなら貴方がいなく時に一緒に壊してくれたら良かった。そうすればこんなに辛くも苦しくもなかったから。

 自分から壊れることができたら、どんなに楽になれるのかしらとまで考えてしまうの。

 ねえ神様。

 どうして私に、人間のような意思や感情を与えたの?どうして私にこの想いを伝える手段を与えてはくれなかったの?

 どうしてマスターに作らせたの?どうして私は人形なの?人形ではなかったならマスターと一緒にいて、想いを伝えられたのに。

 伝えられなくて、忘れられなくて。壊れることさえもできなくて。

 教えてください神様。

 胸の奥と瞳の奥で渦巻いている何かが出てくれば、この辛さと苦しみは消えてくれますか?

 

 こうして今日も私は硝子に囲まれ、箱の中に飾られているの。

 あの日からずっと消えない感情を抱えたまま。

 だって私はお人形。意思も感情も持った完全で不完全なお人形。人を愛してしまった愚かなお人形。




 そうして私は今日も夢をみる。

 悪夢より残酷な現実(ゆめ)を。

 決して叶わぬ夢を何度も何度も閉じぬ瞼の裏で……。



<終>


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