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人形話集『コッペリア』  作者: 一条香夜
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師憐哀願

戦乱が終結した江戸時代。

元禄の大坂の地にて、とある心中事件が起こる。

『曾根崎心中』と後に言われる浄瑠璃作品ができる前の物語。

 これは徳川の治世が落ち着きを見せ始めた、後に元禄と呼ばれる時代の話。

 政事(まつりごと)の中心は東へ移って早百年が経過しても、帝がおわします京の都・織田信長の時代以前から商業で賑わっていた堺を始めとする上方の華は衰える様子はない。

 古くから続く文化と融合しながら新しい文化が次々に開花していくこの時代。京の都より少し離れた山中、人気の少ないそこにある庵に一人の男が住んでいた。

 ぱっと見の年の頃は二十代から三十代くらい。若さを感じさせる外見とは異なり、世を儚んだ隠遁者の雰囲気が漂っているのはこの庵のある場所のせいか。彼自身の人となりか。

 男は人形師である。

 上方、特に大坂で人々の娯楽の一つとなっていた人形浄瑠璃。それを始めとし、依頼があれば観賞用などの人形も作る人形師。それが庵に住む男の生業(なりわい)であった。

 男が作る人形は浄瑠璃界隈だけではなく、作品を知る者たちの間ではあることで有名であった。

 まるで人のようだと。

 浄瑠璃人形を動かす遣い手は動かすのではなく、自らの手が動かされるのだと。

作品が変わる度に遣い手によって塗り替えられ、かつらも衣装も変わる浄瑠璃人形。それなのにまるで歌舞伎役者が役を演じ変えるように、自らの芯を持ちながら変わるのだと。

 語り部たる、ある太夫はこう言った。

自らの声が、出し方が変わる。声に込めるものが彼の作った人形とそうではない人形では異なる、と。

 遣い手も太夫も人形の違いで手を抜くことは決してない。なのに、皆一様に口を揃えてこう語る。

 「人形が生きていると感じてしまう」

 故に動かす手も、語る言葉も彼の人形によって引き出されているのだと。

 産まれた子どもの守りとして与える人形を、男に依頼した公家がいた。

 人形を貰った子どもが七つになるかならないかの頃。病で高熱を出し、一週間近く生死の境をさまよった。公家は三日三晩、寝ずに氏神と子どもの守りとして男に作らせた人形に快癒を祈った。

 祈願から二日後。子どもの熱は無事に下がり、一時は生死すら危ぶまれたはずが、奇跡的に何一つ後遺症は残らなかった。公家が人形を見ると、まるで高熱に当てられたかのように人形の色は褪せ、右手の末端がぼろぼろに崩れかけていたという。

 子どもの身代わりになったに違いないと、公家は深く感謝し、作り手である彼の支援者になったと言われている。

 彼の正確な出自は誰も知らない。身分も名前も年齢も。

 皆が知っているのは、彼が一人、山の庵で人形師として生きていること。その出来の素晴らしさ。

 そして。

 彼の人形を生み出す手が、見つめる瞳が。

我が子に触れる親のようであること。それだけであった。

 今から綴られるのは、優れた人形師であった彼のとある話である。



 さて。

 常は京の都から少し離れた山の庵にて創作活動を行う人形師の彼であるが、時折山を降りることがあった。材料や生活物資の調達。市井の観察をためである。

 穏やかな春光がまどろみを齎す卯月のある日。彼は大坂のある場所へ赴いていた。

 友人である近松門左衛門から文が届いたためである。

 集中すると食事すら忘れる人形師の男の体調を心配する内容から始まった文には、こう書かれていた。

 「どうしても男に相談したいことと、会わせたい人物がいる」と。

 衰えていた人形浄瑠璃を立て直した一人とも後に称される近松と彼の付き合いの年数は、この頃は両手で足りるくらい。近松の作品で人形を作成することとなり、初めて顔をあわせた際に何かお互いに似たものを感じ意気投合。

 以来、定期的に文を交わして親睦を深めていたのであった。

 「お忙しいところ、足を運んでいただき申し訳ない」

 訪れた人形師の男に茶が出される。嗜好品として貴重な茶が、卯月とはいえ少し冷えている外の空気に触れていた体にはとても有り難い。温度の丁度良いそれを、彼は会釈し一口啜った。

 「何を言われますか。私も近々町を見ようと思っていたところです。気になさらないでくださいませ」

 彼が創作期間と思っていたのか、近松が心底申し訳なさそうに頭を下げる。手でそれを制しながら彼が笑った。

 元々生まれは武士の身分である近松の義理堅さは、男が近松を友人として好ましいと思う理由の一つでもあった。

 ところで、と男が言う。

 「近松殿の此度の文は、そちらの御仁に関することでしょうか?」

 彼の向いに座する近松の右隣に居る者へ視線をやる。

 「紹介が遅れましたな。こちらは竹本座の義太夫殿です」

 一見は僧侶かとも見紛(みまご)う剃髪の男、義太夫が一礼した。

 「初にお目にかかります。竹本義太夫と申します。貴方の事は以前より近松殿や浄瑠璃の人形遣いの者たちから話を伺っておりました。本日お会いできまして大変嬉しく思います」

 「ああ。貴方が竹本座の。こちらこそ近松殿からお話は聞いておりました。本日はお会いできて光栄です」

 「先日の文にも少し話ししておりましたが、実は今日呼んだのは義太夫殿の頼みなのです」

 二人が挨拶を交わし終えたのを見計らい、近松が話を切り出す。近松の視線を受け、義太夫が一つ頷いた。

 「貴方は市井の話を聞きに、時折山から下りられると伺いました」

 「ええ。人形作りの人間とはいえ、生きている人や世の流れを知らねば人形も作れませんから」

 「左様でしたか。では、この話はご存知でしょうか……」

 語り出す義太夫曰く、大坂は堂島の辺りで一組の若い男女による心中事件のことであった。

 若く見目の良い手代の男と女郎であった女の二人は静かに愛を育んでいた。手代の男は金を準備し女郎を身請け準備を進め、身請けまであと少しのところまで話があったらしい。

 けれども世の流れとは無常で非情である。叔父である主人から江戸の店へ異動を命じられた手代。それだけでなく、主人の養子である娘との縁組まで話ができてしまう。

 主人と手代。叔父と甥。

 身内であること。立場があることから手代は断るにも断れぬまま、幾日も眠れぬ夜を過ごす。

 不運は重なり、時同じくして女郎にも別の男からの身請け話が上がってきたようで。最早このまま(うつつ)では結ばれぬと二人とも思ったのであろう。女郎から心中を提案し、手代も受け入れた。

 そして若き二人は曽根崎の杜で互いの首の脈を切り、この世を去ったというのがこの心中事件である。

 例えば女が女郎ではなく、手代と同じ身分であったならば。手代が江戸への異動を命じられず、縁談話がなければ。

 そもそも士農工商の身分制度というものがなければ。もしかしたら二人はこの世でも結ばれていたのかもしれない。世を儚む必要もなかったのかもしれない。

 「二人の周りには、亡くなった二人を(わら)い貶す者もいると聞きます。けれども私には哂うなどできません。事件が起こるまでは顔どころか名も知らぬ二人ではありますが、このまま二人の想いが消えていくのを黙って見ておれんのです」

 決意を秘めた義太夫の力強い瞳が人形師を真っ直ぐに見据える。

 「義太夫殿は、この話を元にした浄瑠璃の執筆を私に依頼してきました。連絡を受けたときに現場の近くまで足を運んでみましたが……。あの時は僅かに花が手向けられていましたが、いつまで人々がこの心中を覚えているのか」

 近松自身、元々は武家の生まれである。身分について多少思うこともあるのだろう。いつも人形師と会う際は笑みが絶えぬその顔の眉間が少し寄せらせていた。

 義太夫と近松。二人の話を人形師の彼は口を挟むことなく聞いていた。

 その両手はきつく己の着物を握りながら。

 義太夫は続ける。

 「心中事件はこれまでも起こっております。曽根崎の二人だけが特別というわけではないでしょう。この話も、他の心中事件も虚しいものです。過去の心中事件の時は私も無力でございましたが、今は伝える手段を持っています。本来ならば人の減っている浄瑠璃より歌舞伎で行えば人は入る分、知る人は増えるのでしょう」

 しかし、と義太夫は言葉を切った。

 「演者が人間であるから伝わる悲しみと、伝わらない悲しみがあります。人形浄瑠璃でしか表現できないものがあると、私は考えています。演者が人間ではなく、人形を繰り、物語る太夫の声で形作る人形浄瑠璃だから伝えられる想いが。故に近松殿に執筆をお願いしました」

 「そして私には人形をと?」

 「左様です。風の噂でご存知かもしれませんが、情けないことに我が竹本座は歌舞伎に押され、今は一座を続けていくのが必死な有様です。ですが金は絶対にお支払い致します。どうか」

義太夫の頭が深々と下げられる。

「どうか貴方の力をお借りしたい」

 静観している近松の視線が不安げに人形師へ向けられた。

 人形師が冷めた茶をゆっくり口に含み流し込む音さえも響くような、重い静けさが部屋を満たしていた。

 力を込めていたせいで白くなっていた左手と着物のしわ。義太夫の下がったままの頭。近松の視線をそれぞれ軽く見やり、人形師は一回目を閉じた。

 考えがまとまったのか開かれた瞼、瞳の奥。そこには義太夫と同じような決意の色が宿っていた。

 「義太夫殿。頭を上げてください」

 恐る恐る人形師を見上げた義太夫へ微笑を見せる。

 「そのお話、お受け致します。お代も金で、とは申しません」

 「金ではなくとも、とは一体?」

 「歌舞伎も造詣の深い近松殿の脚本。浄瑠璃では知らぬ者なしの義太夫殿の語り節。この二つがあれば歌舞伎にも負けぬ作品を作り上げられましょう」

 がさついた職人の手が、力強く義太夫の手を取った。

 「この作品を成功させてください。どうか。どうか人々の記憶に残っていく浄瑠璃を見せてください」

 それが今回のお代でございます、と笑う人形師を見て、事の成り行きを見守っていた近松も肩の力が抜けたらしい。自分用に煎れていた茶で喉を潤し、義太夫へ笑った。

 「おやおや義太夫殿。私にまで飛び火したではないですか」

 「これはこれは。元より近松殿には頑張ってもらわねばならないのですから何も飛び火はしてないかと。むしろ気力に繋がるのでは?」

 人形師へ頭を下げた時とは打って変わり、がはがはと義太夫が笑う。きっとこれが元々の性格なのだろう。

 義太夫の瞳が近松と人形師を見て力強く言った。

 「成功させましょうぞ。必ず」


 そうして大坂にて近松、義太夫の二人と新作の成功を誓いあった後、人形師の彼は自らの庵に戻り製作を始めた。

 近松も一から脚本を書き始めるとは言え、おそらく初演までそう時間はない。作るべき人形はあの場で確認をしてきた。依頼内容によっては頭のみの作成で終わることもあるが、今回の新作浄瑠璃への人形作成は頭だけではなく体も必要であった。まさに文字通り、不眠不休の製作となった。

 製作の間。

 普段の制作時は作成している人形のことのみが脳裏を占めているはずなのに、今、人形師の男の脳裏にはある一つの記憶が蘇っていた。

 忘れようとも忘れられない。消そうとしても消えない。無理矢理に深く沈めようとしていた一つの記憶。

 彼がこの山の庵で一人、人形師を始めたきっかけともいえる出来事。彼と、もう一人にまつわる記憶。

 自らの身分違いの恋慕。

 女性の人形を作りながら想いを馳せる。

 きっと聡明な彼女は気づいていたのだろう。決して此の世では自分たちの願いは叶わないと。静かに、何も言わず過ごした思い出以外何も残さず。彼の手が届く位置から消えてしまった。

 人形師になる前にたった一人愛した女性。心から愛した人。家と失踪した彼女を秤にかけ、幾日幾晩と悩んだ果てに身分を捨て探し出すことを決めた。

 彼女は見つかった。姿を消したあとたった一人で過ごし、急な病を患い彼岸へ渡ったと知らせを残して。

 そうして彼は紆余曲折を経て人形師として生きることを決め、人の目から逃れるように隠れ住んだ。

 作ってきた人形たちが様々に評されるのは、無心で人形を作っているつもりでも何かの感情が入っているのかもしれないと、彼は考える。

 二度と叶うことはない、人形師と彼女の先にあったものを。

 彼は想いを馳せる。過去の己と、彼女が生きていた日々に。愛した人と離れるなど想像していなかった、あの幸せな時間に。

 彼は願った。

 この現では悲しい哀で幕を閉じた若き二人が来世でも廻り逢えるように。せめて次は愛しあえるように。

 自らのような、若き彼らのような想いをする人々が一人でもいなくなるように。

 この哀しく切ない物語が誰かの記憶の中に残り、語り継がれ、忘れられぬようにと。

 彼は祈った。

 失ったもう戻らない想い人へ。これまで生み出してきた我が子同然の人形たちへ。

 今自らの手の中で生まれつつある人形の完成と浄瑠璃の成功を。一人でも多くの人に願いが届くように。

 彼は作った。

 男女一体ずつの人形を。その二体の人形に多くの想いと願いと、哀と愛を込めて。

 


 そうしてあの日大坂にて三人が成功を誓い合った、若き二人の男女の悲恋を描いた物語は『曽根崎心中』と題され、披露された。

 心理を上手く描いた近松の脚本。それに色を加え感情に迫る義太夫の語りは多くの観客の心を打った。彼がこのために作った人形は、これまでの人形たち以上に生きているようだと称され、人形の遣い手が物語を更に哀しく切なく表現するのに大事な役割を果たした。

 彼が対価として望んだように大成功を収めたこの作品は、落ち目であった竹本座と人形浄瑠璃を再び盛り立て、脚本家近松門左衛門の名前を世に広く轟かせることとなった。

 義太夫、そして人形師の願いと祈りの行方だが、この作品が盛り上がり世に広まったことと、作品上演翌年に発行された『心中大鑑』によって叶わぬ恋を抱える者たちによって心中が美化されてしまい、その後も何組かの心中が発生。幕府が心中禁止令を出してしまうほどにまで発展してしまったのは、皮肉な話である。



 『曽根崎心中』の評判を上げる一役を担った彼はその後も人形師として様々な人形を生み出した。

 人間のように一つ一つ異なる表情と性質を持つそれらは、その後も浄瑠璃だけではなく京の公家や一部の大名の元へも渡ったとされている。

 しかし彼の作品の多くは江戸時代に度重なり発生した火災や、明治への転換期に起こった動乱などによりほぼ消失してしまった。弟子を取ることが生涯無かった彼の技術と同じく、現在には残されていない。

 哀しみと愛を込めて『曽根崎心中』初演のために生み出された人形たちも、後に火災で竹本座が焼けた際に焼失してしまい、人形師の彼が本当に実在していた人物であったのかも最早定かではない。

 竹本座が焼失したこの火災より前に若くして亡くなったとされる彼は、最期にこう言ったと伝えられている。


 

「私は人形を物と思って作ったことは一度もありません。人と同じように心がある。人の手によって作られ、人の形を模し、人に触れられるゆえに……」


<終>


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