第29話「あの花畑で」
「ケルン、わたしね――剣を扱えるようになったの!」
それは、思い出の中にある一筋の光。
黄色に輝く花畑の中で、白銀のスカートが宙を舞う。
ここはいつだって気温が低い。
それなのに毎日スカートを履いている彼女は強がりというよりも、よっぽどおしゃれが好きなんだろう。
「剣? おれも使えるけど?」
「ケルンやファンが使うような技じゃないもん!」
子供ながらの反抗だった。
誰にも負けたくない、そんな少年時代だったように思う。
彼女――幼馴染であるシーシャが、なぜか俺だけを花畑に呼び出したことがあった。
シーシャが見せてきたのは、訓練用の木刀だった。
「そんなの、偽物の剣じゃん」
「いまからこれを本物にするの!」
何を言っているのか、当時の俺にはよく分からなかった。
そして、今でもよく分かっていない。
理屈の上ではよく分からないことに『魔法』という名前を付けるのならば、その剣技は紛れもなく魔法だった。
シーシャは目を瞑り、ただ念じる。
最初は、彼女がふざけてそんなことをしているのだと思っていた。
真剣に何かを想う彼女の目の前で、俺は何もせずに笑っていた。
ただ、そんな笑いも一分以内には収まって。
「何も起こらないじゃん」
「もうすぐなの!」
ぴしゃりと、まるで次に何かが起こるような口ぶりで彼女は俺の言葉をはじいた。
そこまで言うのなら見せてもらおう――そんな軽い気持ちだった。
だけど、その変化はすぐに起こった。
「出来た!」
――そう、出来ていた。
目の前にあるものがただの木刀だと思っていた。
いや、ただの木刀だったはずなんだ。
なのに、彼女が握っているものは間違いなく銀で出来た剣で。
銀で出来ているのかも分からない。
とにかく光り輝いていて、綺麗な剣だった。
その自重すらもまともに支えられず、シーシャはふらふらとしながらその剣を天に掲げる。
その瞬間だけは、間違いなく彼女は騎士だった。
「これで――私も戦えるでしょ!」
「あ、危ないって!」
垂直に持ち上げられた剣は、やはり彼女にとっては重かったらしい。
次の瞬間にはもう地面に突き刺さっていて、その周囲にあった花が真っすぐに切れており、地面に呑み込まれるように刺さっていった。
土から抜く時も、摩擦抵抗を一切感じさせず、ただただ持ち上げるような感覚――恐ろしいほどの切れ味を持つ剣を、シーシャは創りあげていた。
「なにそれ……見せて!」
「ちょ、ちょっと!」
興味と恐怖とが競り合った結果、俺の中では興味が勝っていた。
彼女が創りあげた不思議な剣を見てみたいと思って――彼女からその剣を借り受ける。
と言っても、取り上げるような形になってしまった。
彼女の手を離れた瞬間、その剣はただの木刀へと戻ってしまい――まるで今まで見ていた光景が全て夢幻の一種であったかのようだった。
それでも斬られたものは復元されず、花畑に差し込まれた傷跡や、斬られた花の根っこはその断面から水分を垂らしていた。
「えっ……消えた!?」
「人のものをかってに取ったらダメでしょ!」
「……ごめん」
彼女は怒っていたが、本気だったわけではないようだ。
俺が彼女に対して「凄い!」と連呼していると、彼女は途端に機嫌を取り戻した。
「この剣さえあれば、私もケルンより強いはずだよ!」
「そんなことないよ、俺だって負けないよ!」
だけど、かつての俺は『彼女だけに発現したスキル』というモノに対して嫉妬を抱いてしまった。
自分は島を浮かす『青空迷宮』を持っているのにもかかわらず、だ。
それは俺にとってあまりにも日常の中に組み込まれてしまっていたせいで、彼女の持つ非日常に対しての耐性とはならなかった。
だからこそ、そんな売り言葉を買い取ってしまったのだろう。
結果は――当然、俺が勝った。
少年時代とはいえ、士官学校で鍛えられている身。
シーシャとは教育課程が少しだけ異なっている。
俺に剣の才覚はないが、だからと言ってシーシャが特別優れているという訳でもなかった。
だけど、今日のシーシャは明らかに違った。
動作、剣捌き、そのどれをとっても俺と大差ない――どころか、俺を越えているとも思える才覚を見せていた。
だけど、筋力と持久力の差を補うことは出来なかった。
「きゃっ!」
キーシャが剣を手から離す。
転がった剣は、まだその形を保っている。
手から離れた瞬間その姿が変わるというわけではないらしい。
「おれの勝ちだ!」
「……強いね、ケルンは」
「普通だよ」
謙遜ではなく、実際に普通だった。
ファンというライバルがいる以上、それしきの強さで『強い』とは言えなかったのもある。
「私の負け、やっぱ敵わないや」
ずっとシーシャが俺たちが剣技を収斂している間に影から見ているのは知っていた。
だからこそ、「やっぱ」勝てないと言ったのだろう。
彼女としては失言だったようで、「いやっ、なんでもない!」と必死に取り繕うとしていた。
『負け』を宣言したその瞬間。
剣は僕との鍔迫り合いで少しだけ傷がついており――まるで崩れるような、その剣の中から木刀が割って出てくるような形で元の木刀に姿を戻した。
その演出がどんな効果を齎すのか、当時の俺たちに知る由はなかった。
「ぐっ……!」
「どうしたのケルン?」
突然、だった。
突然胸のあたりが痛みはじめ――身体に違和を齎した。
そんなことがあり――俺は家に帰り、医者に診てもらうことになった。
シーシャの不思議な力――スキルに関しては、まだ誰にも口外していないようで、それは俺とシーシャの二人だけの秘密となった。
結果は、あばら骨の骨折、しかも一本だけという器用な折れ方をしていたらしい。
医者に驚かれ、俺は少しの休養を取ることになった。
※
「ごめんね、ケルン」
「なんでシーシャが謝るんだよ」
「多分それは、私の力だから」
何が起こったのか分からない俺に対して、シーシャはしっかりとそのスキルが何なのかを把握しているようで。
「そのスキルを、私がケルンに見せたのはね、それがケルンの力だからなんだよ?」
「俺の……?」
どういうこと、と尋ねる前に、シーシャはそのあたりに生えていた適当な花を一本花瓶から取り出した。
そして、俺をただ見ていた。
そこには彼女の、うつくし気な表情があって、その視線は慈愛に満ち溢れているようで――。
そんな彼女に目を奪われている隙に、彼女はその花を剣に変えさせた。
この間見た木刀から変化させたそれと、全く同じものだった。
「ケルンには戦ってほしくなかったの。だから、私が代わりに戦えればいいやって思ってた」
「そんなこと、何度言われても無理だよ。俺はルーナ家の次期当主なんだから」
「分かってる。分かってるけど……」
それからしばらくシーシャは黙りこくって、また自分から口を開いた。
「そう思ってた時に、自然と手に持ってるものが剣になってたの。今もそうだよ、だからこれはケルンの剣なの」
「でも、俺が持つと――」
そう言いながら、俺は彼女が創り出した剣に触れる。
切っ先に触れたにもかかわらず、俺の指は斬れずに剣自体が元の形へと戻っていった。
「戻っちゃうよ」
「そういうことじゃないの」
それからすぐに、シーシャは剣を変化させる。
その速度は以前俺が見たそれとは段違いに早かった。
「この剣は、ケルンの現身。この剣はケルンと一緒なんだよ」
「……どういうこと?」
要領を得ないシーシャの言葉に、俺は今一度質問を投げ返す。
次はゆっくりと、言葉を選ぶようにしてシーシャは答えた。
「この剣はケルンの身体と連動していて――その想いが私を強くさせてくれるの。でも私が負けちゃうと、今みたいになっちゃうのかな、って」
「……気のせい、だよ」
全く説明することのできないあばら骨の骨折に対して、シーシャが何らかの責任を負っているのだと思って、その時は笑い飛ばそうとした。
だけどスキル保持者はなんとなくではあるが、そのスキルがどんなものなのかの理解は出来ている。
そして、その説明はすんなり俺の中にも入ってきていた。
『理解』していた。
要領のえないシーシャの言葉ではあるが、その剣が俺の分身であること、負けてしまうと俺が傷つくということ、そして想いの丈がその強さを発揮することに思い至っていた。
「気のせいじゃないの!」
「……そう、なんだ」
「ほんとなの!」
「分かったから、その花少し貸して」
適当にあしらうような態度で、俺は彼女から花を受け取る。
さっきまで彼女が剣にしていたその花を手元に置いた俺は、彼女に対してのメッセージを込めた。
誰かのことを想って剣を握るという体験は、俺にとっては初めてだ。
守りたいものがあるような人生ではなかったから。
そこまで俺のことを大切に思っている人がいるなんて思わなかった。
だから、その返歌を編むかのように、俺はシーシャのことを想い、願いその花に魔力を込める。
「これって……」
プロポーズでもなんでもない。
シーシャは商人の娘。
そして俺はこの島を統治するルーナ家の次期当主。
よって、自由な恋愛はそこには存在しない。
だけど、俺が創り出したこれは。
どんな花束よりも、綺麗な剣だった。
プロローグ④の段階からあったこの設定をいつ出せるのかと、ずっとタイミングを窺っていました。
過去編を挟むならここしかない!と思いこのタイミングで突っ込んでいます。
プロローグの続きをやったり現代に戻ったり過去回想したり、全然優しくない小説ですみません。




