第23話「整理された情報」
落ちることはいつぶりだろう。
永遠にこの暗闇が続くのか、それともすぐそばに地面があるのか。
俺たちが墜ちていくことを拒むように、遥か下から吹き上げる突風だけがこの空洞が洞窟であることを証明してくれている。
重力の赴くままに、自由落下を続けてゆく。
「そろそろ到着っぽいなぁ」
「……どこに?」
「決まっとるやろ。この地割れを起こした張本人――ヒドラや」
落下しながらの会話とは思えない落ち着きぶりに、内心舌を巻く。
急に、眼窩が明るく輝く。
暗黒しかない洞窟の最下層で起こる輝きの正体は――灼熱の劫火だ。
九つの巨大な首をゆらりと動かしながら、そのうちの一つが大きく口を開けていた。
その口腔から発射される火炎弾は俺たちを捉えていた。
だが、ユージェはそんな炎が何だとばかりに真っ二つにして通り道を作り出す。
隣に立って初めてわかる。
ユージェの強さの本質は彼女の剣技にあるわけじゃない。
当然、それに拠るものもあるが、彼女の心の強さにもあるのだろう。
落下しながら剣を抜ける強さは、俺には持ち得ていない。
それほどまでの修羅場をユージェは潜り抜けてきたと、暗にそう言っているのだ。
「もうすぐ着くけど――信じとるよ」
「信じるって――」
俺が帰す暇もなく、ヒドラから次なる攻撃が飛んでくる。
九つある頭はそれぞれ違うタイプの攻撃を仕掛けてくるそうで――雷撃が俺らに向かって飛んでくる。
同時に、ヒドラのいる大広間の全貌が明らかになる。
九つの頭を持つドラゴンの胴は、当然その頭部より大きい。
そんなヒドラが自由に飛び回れる程度に、巨大な地下空間が広がっていた。
流れる水の音が、その部屋中を支配していた。
下に待ち構えているヒドラに、飛び回るドラゴン。
こんなに大きい部屋にいるのに、なぜか圧迫感がものすごい。
当然だが、人は飛べない。
ユージェのような獣人とて、それは同じ。
頭が冷える時間もなかった。
俺はスキルを使うための魔力を搔き集め。
「青空迷宮――」
一つの魔法を唱えた。
※
ヒドラはAランクモンスター。
確かシャミーはそう言っていた。
九つある首はそれぞれ独立して動き、かつ互いに連携をとることで反撃を許さない。
ただ――ユージェに対してその攻撃は効かなかった。
全ての攻撃を剣一本で薙いでしまう彼女にとって、雷だろうが氷だろうが全てを斬って捨てていた。
青空迷宮に対して、ユージェが順応するまでは一瞬だった。
その感覚を掴むとすぐに――空中を縦横無尽に飛び回り、ヒドラの頭を各個撃破してゆく。
「ケルンはん――援助頼みますわ」
「了解――攻撃魔法・光の矢ッ!」
ユージェが前線に出て攻撃と囮を務め、そして俺が援護をする。
光の矢はユージェを躱しヒドラの頭を貫く。
ユージェの死角となるエリアを察知し、そこに向かって打ち込んでいく。
一発もそこそこ効いているようだが、それでもヒドラの頭を行動不能にするまでにはいかない。
そこを狙ってユージェの剣閃がうなりをあげ――。
頭が一つ減れば、それ以降は弱体化するだけだった。
ユージェとの間に、言葉は要らない。
お互いがお互いの間合いを把握していて、その領域に踏み込まないように調整している。
魔力はルーナ島で使っていた時よりも、何十倍もの威力があった。
だけど、この広い地下空間で遠慮することはなく――ユージェ自身もそれを分かっているかのように当たらないギリギリを飛行する。
「共闘っちゅーのは同じ強さ同士でしか成り立たないって、知ってはる?」
「ユージェが手加減してくれたんだろ」
「往生際がわるいどすねぇ」
ユージェは宙に浮かぶ俺の隣へ戻ってきて、暢気にそんなことを言う。
窮地は脱した――というより、最初から窮地なんて無かった。
目の前には、斃されたヒドラと、それから攻撃に巻き込まれたドラゴンの死骸がいくつか転がっている。
小高い山のように横たわったヒドラは、9本の首を切り落とされぐったりと動かない。
「大物を倒したいうのに、緊張感がないどすなぁ。これがAランクモンスターどすか」
「ユージェが強すぎるんだよ」
「そら、最強ですもの。やけど――それもちょっと怪しくなってきたかもしれんなぁ……」
佇むユージェはわずかな蛍光のなか、俺の横顔をじっと眺めてくる。
少しだけ不気味なその表情に、俺は一歩後退った。
「ケルンはん、本当にウチと戦ってくれへんの?」
「戦わないよ。今の強さを見たら猶更だし。俺にメリットないだろ」
「そうでもないで。本当はこんな手を使いたくもなかったんやけどなぁ……ケルン=ルーナはん」
一言。
ポツリとユージェは俺の名を呟いた。
それは、あの島を出て以来――一言も口にしたことのない俺のファーストネーム。
「『島墜としの大罪人』、『極悪非道の島民殺し』。まァ呼び名は色々あるけど――ケルンはんはケルンはんやで?」
ニタリ、とユージェの口が楕円型に開いた。
その二つ名は聞いたことが無い。
だけど――聞いたことのない二つ名が存在しているということは。
「おかしいと思わんかった? 島が墜ちてからニュースが流れてくるまで時間が掛かったこと。世界的な大ニュースなのに島に関しての続報が流れてこないこと」
ユージェは俺の手を握る。
その手は、温かかった。
「――情報は、整理されるんや」
島に関しての情報が流れてこない。
決して、浮島がこの大陸に住む人々の興味の範疇の外というわけではない。
「ケルン=ルーナ。自らと共に島を墜として住民を殺し、道連れにしようとしたルーナ家の最後の当主――それ、ケルンはんのことよな?」
後ろに一歩、後退ろうとしても――ここは宙の上。
握られた手が、それを許さない。
「整理された情報をバラすのは簡単や。誰にだって出来る」
にっこりと、暗がりながらもユージェが最大限の笑顔を浮かべていたことは分かった。
「今度は、戦ってくれはりますよね?」