第22話「冒険の始まり」
「ケルンの魔力量が桁外れなのは間違いないっす」
果てまで凍てついた洞窟を目の前にして、シャミーは語る。
「ただ、それは魔力量が莫大なだけであって魔力を制御できているわけではないっす。つまり、魔法使いとしては未熟であることには間違いないっす」
どちらかというと、説教に近い内容ではあったが、それは俺を心配してのものだろう。
「さっきリーナさんはこのダンジョンがケルンには向いてないって言ってたっすよね? 私は全く逆――だからこそこういう狭いダンジョンにケルンを連れてくる必要があると思ってたっすよ」
「だからシャミーは付いてきてくれたんだね……」
「後輩が心配だっただけっすよ。ただのお節介っす」
鼻をさすりながら、シャミーは答える。
その瞬間、ずずっと地面が揺れ動いた。
「……地鳴り?」
最初に気付いたのは、話にも魔法にも集中できていなかった――心ここにあらずなハルナだった。
今日はどこか調子が悪いなと思っていたが、意識が散漫しているようだ。
だからこそ、ごくわずかな変化に一瞬で気付けたということなのかもしれないが。
「洞窟内で生き埋めとか、洒落にならないです……戻るです!」
「いや……これは違うっす。この揺れじゃダンジョンは墜ちないっすよ」
シャミーは冷え切った洞窟に手を当て、その揺れの根幹を探ろうとする。
人の力でそこまでできるのかと思ったが――シャミーはCランク冒険者。
俺には到底知る由もない様々な力を持っているのだろう。
「これは、地鳴りじゃなくて咆哮っす。魔物の鳴き声に呼応してダンジョンが震えてるんすよ」
「どういうこと?」
「ダンジョンの主が攻撃を受けたことを感知したんす。ここはBランクダンジョン――ダンジョンの奥底には、魔物を守る巨大な化物が住んでるんすよ」
巨大な化物――そうシャミーは言う。
今まで俺たちが相手にしてきたのは、D~Cランク帯の化物だ。
そんな魔物に苦戦している俺たちでは太刀打ちできないだろう。
「知ってるです。確かここのダンジョンの最奥部には――ヒドラがいるんですよね」
「ヒドラ?」
知らなかったのは俺だけのようで、どうやら周知の事実らしい。
そもそもダンジョンの奥に守護する魔物がいるというのも初耳だ。
当然それくらいは知ってるだろ? というような共通意識が無知を招いている。
「9つの首があるドラゴンだよ。このダンジョンの分岐のいくつかにはその顔が伸びることがあって、それを叩いていくと本体に辿り着けるっていう噂があるんだ」
「そんなモグラたたきみたいな構造の洞窟なんだ……」
「それが運よく1ヒットしたって感じっすかね」
その言い分だと――この洞窟の少し先にヒドラがいる、ということになるが。
「まー、敵う相手じゃないっすよ。ただ、この手の地鳴りは久しぶりっす。上に戻ったら強気な冒険者たちがわらわら集まって来てるかもしれないっすね」
※
ダンジョン探索は一時取りやめ、大広間に戻る頃にはたくさんの冒険者とすれ違った。
近くに居た冒険者たちが流入してきたのかと思えば、即座に大編成のパーティを組んだ冒険者たちまでいる。
シャミーの言った通りではあったが、凄い賑わいだった。
まるでダンジョンではなくお祭り会場かと思ってしまう程に人混みが出来ていた。
「皆いっぱしの冒険者っすからね、自分に自信があるっすよ」
「それに、ヒドラなんて実際にお目に掛かれないです。皆さんさえよければ本当は最深部へ向かいたいのです……」
「ダメっす。ヒドラはAランクモンスター、戦って勝てる相手じゃないっすよ」
「ケルンならいけるんじゃないか? あんだけ強い魔法もあるし――それに、さっきの鳴き声だってケルンの攻撃だろ?」
からかいなのか真面目に言っているのか、よく分からない口調でカルシェは話してくる。
どうだろうね、と適当に受け流していると――大広間についた。
いくつかの分岐路があるそこでは、どの道を選べばいいのか逡巡する冒険者たちでいっぱいだった。
そのうちの何人かが、俺たちが出てきた道を見て落胆する。
「普通冒険者が帰ってきたとなればはずれって意味っすからね、ここを選ぶパーティは少なくなると思うっすよ」
「教えなくていいんです?」
「むやみに死んでいく人を増やしたくないっす。誤解は解かないままの方がいいっすよ」
Cランク冒険者。
それがどれほどの立ち位置なのか俺には分からない。
だけど、カルシェたちの反応を見ている限り、かなり上位の冒険者だということが分かる。
「Bランクダンジョンとはいえ、究極ダンジョンに入ることは誰でもできるっす。Bランク程の実力を持っている人が入ることが推奨されているだけっすからね――ただ、無許可でそこに入って死ぬ分にはただの自殺扱いっすから、めったなことが無い限り普通の冒険者は入り込まないっすけど――」
ヒドラが起こした地鳴り。
それはどうやら『めったなこと』に入るようで。
そして――俺は見た。
冒険者の間を潜り抜けて、一人の少女が一つの道を選ぶところを。
あまりの人混みだ、彼女がいるということに気付けたのは奇跡かも知れない。
だけど彼女は間違いなく俺らを――俺を見つけていて。
ひらひらと手を振って、すれ違った。
一番最後に入ってきた彼女は、冒険者の人混みを潜り抜けて迷うことなく一つの入口を選んで向かって行く。
それは紛れもなく、俺たちが出てきた通路で。
俺たちはもう大広間に出ていた。
彼女とすれ違ったのはほんの一瞬。
そのわずかな間に――ヒドラの第二声が轟いた。
今度はダンジョン中に、『声』として認識される形で。
「近くなってるよね――?」
「そうっすね――でもここはダンジョンの前半部っす。さっきだって中央に差し掛かったあたりっすから、問題ないと信じたいっすけど」
シャミーが訝しみながら、楽観的な言葉をかける。
だが、ダンジョンはそう甘くはなかった。
「いや――来るよ、これ!」
ハルナの叫びが先か、地鳴りが先か――。
その瞬間、大きな揺れと共に、ダンジョンが胎動していた。
地鳴り、で収まる振動ではない――足元がパラパラと崩れ出す。
「急いで戻るわよ!」
ハルナの言葉に合わせて、アレットとリーナ、それからシャミーは走り出す。
冒険者は準備万端という風にここで様子見をするようだ。
その瞬間、俺は――。
入口に向かって歩き出す、ユージェを見ていた。
振り返るようにして見つけたその耳は、剣は、きわめて特徴的で。
そしてまた彼女も、こちらを見て――駆け寄ってきた。
「一緒に冒険してみぃひんか?」
そう一言、パラパラと土埃がなりたつ洞窟内で、だけど静謐な声音で俺にその声を届ける。
片手は剣を常に握れるように空けてあった。
そして残ったもう一つの手で、俺の手を握った。
まるで、次に何が起こるか分かっていたかのように、ユージェは俺の隣に立った。
「ケルン――ケルン!?」
俺を――俺たちを発見したシャミーが叫ぶ。
その瞬間にはもう、轟音と共に俺たちの姿は消えていたのだろう。
地割れだ――俺たちがいた場所に、ちょうど道を断絶するかのような形で地面が割れた。
まるで落とし穴みたいだ――滑った先にあった空洞を垂直に下りながら、そんなことを思う。
地割れに挟まることになるかと思いきや――その下は大きな空洞だった。
遥か向こうまで伸びる、深淵の向こう側へ続くかのような、大きな暗闇。
ああ――これがダンジョンか、と意識を改める。
「ちょうど良かった――ケルンはんがいて。一人じゃちょっと心細かったんや」
墜ちながら、隣にいるのはユージェだ。
こんなに暗いのに、上からの光に当てられて剣だけはしっかり輝いている。
「でも、ここに居てはると思ってたんやで――あのヒドラが鳴くくらいやからな――」
「こんなに落ちてるのに、いいの? 死ぬかもしれないんだよ?」
「ケルンはんこそ、そうやろ? こんなに余裕があるなんて――やっぱ普通じゃあらへんよな」
ユージェは墜ちながらも、気長に笑って自由落下を楽しんでいるようだった。
そんな空気に当てられて――何故だか俺も、久しぶりの落下を楽しめる、そんな雰囲気が生まれていた。
「心配しなくてもいいん? 皆のこと」
「そりゃ心配だろうけど――多分俺の方が心配されてるから」
「それもせやな。むしろ、今の状況に動じないケルンはんの方が普通は不思議だと思うけどな。驚いたりするもんやろ?」
驚く、か。
急に地割れが起こり、墜ちた時は何事かとは思った。
今でも思っている。
何が起きたのかさっぱり分からない。
だけど――それ以上に。
「驚いてるけど――ユージェは強いんだろ?」
「当然や」
「なら、何があっても大丈夫かなって」
「……ケルンはん、人を見る目が無さすぎやで」
どこか呆れた風にユージェが放った言葉は、僕の耳に届く前に暗闇に呑まれて消えてしまった。