第19話「あの島で――⑥」
ケルン=ルーナが島から落ちた。
その光景を直接見た者も多い。
だが、それ以上にその光景を見られなかった者もいて。
それでも、雄叫びと熱気によって情報はすぐに伝播した。
血の付いた短剣をファン=クローは振り翳す。
陽光に照らされた短剣が、高い粘性の血糊を受けて赤く輝いた。
「ケルン=ルーナを討ち取ったぞ!」
――ワァァァ、という歓声がさらに大きく広がる。
間違いなく、その瞬間島は揺れていた。
『青空迷宮』。
ケルンが持つそのスキルは、代々ルーナ家に伝わるスキルであり、島を浮かせるための動力としてルーナ家の人間の魔力を吸い取ってきた。
その実、ただモノを浮かせるスキル、というわけではない。
青空の中に迷わせるスキル、というのが正確な名前だ。
迷いから解き放たれた島は、その寄る辺を無くしてその迷宮を抜ける。
地上への落下というのは、千年以上青空という迷宮を彷徨っていた島に対する当然の帰結だった。
ぐらり、と地面が揺れた。
自身、という概念はルーナ島には無い。
「なんだこれは……」
「島が……揺れてる!?」
それでも、喧騒の中で気が付いたのはほんの一握り。
ほとんどの人間は初期微動に意識を取られず、目の前で起きた島の癌の掃討に対して熱中していた。
だからこそ――いち早くその衝動に気が付いたファンは、島の端から離れる。
ファンの移動に気が付いたアレーナも急ぎ足でついてゆき――ファンが内陸部へ戻ったところで、島の最東部の土が崩れ始めた。
ギリギリだった。
ほんの数メートルの差で、ファンはこの島に留まることを許され――そうでない島民は雄叫びを上げながら何が起きているのか理解できないまま島から落ちていった。
「なんだこれは……どういうことなんだ……? アレーナ!」
「私にも……さっぱり」
「ケルンが言っていた『島が墜ちる』っていうのは、本当に……?」
ファンは目の前で起こっている事実を直視しながらも、その結論に辿り着きたくないとばかりに首を振る。
だけど、その襤褸は――ルーナ島という浮島は、徐々に崩れ始めていて。
ケルン=ルーナというアンカーポイントを無くした島に、行き先はない。
「私はそんなことは――聞いていないッ!」
「聞いているか聞いていないかは知らない。――そういう事実があったかどうかを尋ねているんだ!」
ケルンが追い詰められていた舞台上で、ファンとアレーナは口論を始めるが――そこに一人、佇むように座っていた初老の男性が口を開く。
現政権を握っている、クロー家当主――ファン=クローの父親だった。
「伝承はあったのだ……よもや、事実とはな」
「どうすればいいんだ、父さん!」
揺れは間違いなく、人為的なものではなかった。
ルーナ家追放により興奮していた領民も、その感情は焦りへと変わりだす。
土地のルーナ家。
その伝承自体は、この島に住む以上誰でも知っている。
それを示すかのように――ルーナ家と繋がっていたもう片方の建物、クロー家の屋敷が倒壊した。
地盤の緩みというよりかは、大規模な横揺れに対する柱の重量超過が原因だ。
だけど、そんなことは領民にとって――ファンにとっても、関係なかった。
「ルーナ家の当主が追放されてこれって……呪い?」
「地面が揺れてるぞ!」
「誰かが倒壊に巻き込まれた、救援頼む!」
拾いきれない助けを求める声は、ファンの元に届く。
父親はただただ座って静観しているだけで――。
「領民に道を示せなくて、何が領主だ!」
ファンは、父親が座るその椅子を蹴り飛ばす。
その行為に対して父親は何も反応しない。
――当然だ。
そういう風に、したのだから。
アレーナのスキルで。
「アレーナ、スキル解除は出来る?」
「……無理だ。自我を取り戻すためには時間が掛かる」
「ああもう……誰も彼も使えないなッ!」
「その口聞き――共謀者の私にもそうだというのか?」
「今はそれどころじゃないのは分かってるだろ!」
舞台から下を見ると――そこには。
まるで餌でも待っている鳥のような、懇願するような顔でただただこちらを見る領民と。
あれだけ栄えていた街の中心部が、ドミノ倒しのように崩れていく悲惨な光景と。
そして、止めどない叫びと悲痛な声に溢れていた。
「どうしてだ――? どうして僕の思うままにならない……? ケルンだって父さんだって要らないだろ……誰も領民のことなんて考えていなかっただろ! なんでだよ! 一番努力して一番頑張って、なのになんでこんな仕打ちなんだ――どうしてだ!」
「ファン、今はその時じゃない」
アレーナが叫び狂うファンに告げるが、その声はもはや届かない。
やがて、身体から急に力が抜けるかのような浮遊感が襲う。
誰も彼もが平等に――島自体に力が無くなったかのように。
「あんな伝承が――本当だなんて誰が気付くんだよ!」
叫び声は、誰にも届かない。
地面と共に落下する勢いは徐々に増していき、少しでも島から足を放したらそのまま宙に浮くことは間違いなかった。
「領主様! どうかお助けを!」
「クロー様……お願いします!」
「ファン様!!!」
祈りと、それから。
「ルーナの呪いなんだ」
「ケルン=ルーナ……」
今はもういない、誰かの名前が口走られる。
手のひらを返すかのように、ルーナの奴らに祈る輩まで出てきた。
どうしよう、というよりも、どうしようもなかった。
ファンに出来る行動は何もない。
ただただ、出来ることと言えば。
「もう――うるさいなぁ! 皆黙ってくれよ!!!」
叫ぶことだけで。
「スキル・動員螺旋」
アレーナが、静かに呟く。
それだけで、誰も彼もがアレーナの言葉に注目し。
「静かにしてくれ」
ほんのわずかな静寂が訪れた。
ルーナ家に伝わるもう一つのスキル、『動員螺旋』。
魔力が続く限りは言うことを聞かせられるし、広範囲に対して及ぶ。
だが、それも平常時の話。
焦燥や怒り、興奮や恐怖に見舞われた領民にそう長く効くわけもなく。
「これでも、私はファンに一生を誓った身だ。今からどうなろうが、私はついていくぞ」
「……君はいつまでたっても剣士だな。そういうところは、まぁ、嫌いじゃない」
まるで人生最後のような言葉を繰り出し、アレーナは魔力を全て使い切ってファンの願いを叶えた。
ファンはその間に考えに考え抜いて――そして。
今何が起きているのかを、正確に把握した。
落ち続ける島。
助けを求める領民。
壊れ果てた島。
どうしようもない現状。
それから、ケルンに対する怒り。
「なんで――僕がこんな目にあわなきゃいけないんだ……。何もかも、最後までお前に振り回されなくちゃいけないんだよ!」
ケルンは殺した。
海に墜とした。
その報復として――今ファンは堕ちている。
島ごと、丸々。
最悪だ。
質が悪いし、領民のことを全く考えない利己的な行動だ。
これで何人人が死ぬ?
「アイツは島を墜としたんだ――」
秒数にして、その間およそ50秒ほど。
落下していただけなのに、どうすることもできないその時間は果てしなく長く。
そして――空気が湿ってきた、そう感じた時。
ファンは叫んだ。
「着水する――防御魔法だ!」
防御魔法が発動するのはおよそ一瞬。
そのわずかなタイミングの間に島が墜ちてくれれば助かることができる。
一縷の望みにファンは防御魔法を展開。
その声が伝わった親衛隊を始めとしたかなりの数の領民が魔法を展開していく。
だが、魔力量にも差があり――何人かは空中にいる間に防御魔法を解いてしまい。
――ドドドドドド、という轟音と、ものすごい圧力が同時に降りかかってきた。
その瞬間、初めてファンは『海』を見た。
着水した瞬間の島は、一時的に海抜-1メートル以上を記録し、海よりも下に沈みかけ――浮力によって浮上するまでの間、海から水が島内に流入してくる。
何人もの兵士が水に飲まれ、ルーナの鎧を身に纏ったまま流されてゆく。
泳ぐ、ということを根本的に知らないものもいる。
ルーナ島にも湖はあるが、かなりの秘境だ。
一般人が行けるようなところではない。
少し遅れて、その衝撃が身体を劈き――ファンは意識を失いかける。
全身の痛みと圧力に、何とか己の防御魔法だけで耐えなければいけない。
――満身創痍だった。
だが同時に、薄れゆく意識の中でファンは思う。
……生きている、と。
奇跡的に高さがあった舞台は、海水に流され島の中心部へと押しやられる。
何人の屍を押しやったのか、舞台から下を見る気にもなれなかったし、全身を打撲した影響で身体の節々に痛みを感じる。
とても動けそうにないし、動く気もない。
いったいこの島で誰が生きているのか、それすらも分からなかった。
そしてふと目を開けたファンが見たのは――水面から顔を出す、少しだけ眩しく光る水色の怪物。
今までに見たどんな魔物よりも巨大で、厳つい。
Aランク級の魔物だと、大陸で知られている。
その怪物の名は――クラーケン。
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今回は、プロローグから続いている、閑話的な話でした。
島の人たちがどうなったのか、ファンは、アレーナは。
そんな話の続きです。
この話は今後の話とかかわってくるターニングポイントとして設定してあります。
そのため、あのプロローグから直接続けて書くわけにはいきませんでした。
ですが、こうして応援していただいてようやくこの話を書けるようになりました。
次回からは視点は主人公に戻り、ダンジョンに潜る話になります。
これからもよろしくお願いします。