第17話「学校初日」
「凄いです。こんな魔法――初めて見たのです」
リーナは俺に向かってそんなことを言う。
必死になって治療していた隣の男子生徒の傷は殆ど癒着していて、それでもあと何か所かの傷跡は残っていた。
残された男子生徒はもう保険医の先生だけで治ると考えたのか、或いはそれ以上の事象がここにあるとでも思ったのか、リーナは俺から目を逸らさない。
「魔力がぶわーっと出て、なんていうか……よく分からなかったのです!」
「俺もよく分からなかったけど……リーナの力じゃないのか?」
「変な冗談はやめてほしいのです。あれはまさしくケルン君――君の力です! このままここで成長していけば伝説級の回復魔術師になれるです!」
わーっ、と喜ぶリーナに反比例するかのように、俺のテンションは徐々に下がっていく。
そんなことをした実感も無ければ、何なら失敗してしまったという感覚もあった。
なのに、目の前のクラスメイトは助かって、皆が不思議と喜んでいる。
何もかもちぐはぐだ。
「俺は今、回復魔法を使っただけなんだ……」
「全体回復魔法なんてそうそう使える人はいないのです。普通に使おうとしても何年もかかる魔法なのです」
「そんなんじゃなくて――」
否定しようとするも、頑なにリーナは話を聞こうとしない。
状況がいまいち飲み込めていなかった、目の前の女子生徒だけがただ俺に対して「ありがとう」と何度も言ってくれたことだけが今の俺にとって救いになっていた。
同時に、「ごめん」とも謝っていた。
「私がこんな無茶なことをしなかったら、こんな風に君に回復魔法を使ってもらう必要もなかったんだよね――」
「それは違う、かも」
目の前の女子生徒の謝罪を、俺は受け取らない。
受け取れないのかもしれない。
「戦ってたんだろ、クラスのために。それで負けて謝るならまだしも、傷ついて謝るのは――なんか違うんじゃない?」
そんな言葉を言いながら、俺は心の中で思う。
――らしくない、と。
このクラスが集結したのは今日が初めてだ。
なのに、ユージェに対する敵愾心からか、他の皆は既に打ち解けているようだ。
だけど、俺だけはその輪に入れない。
本来的に俺が余所者だから、というのもあるのだろう。
でも、本当のところはそこじゃなくて――。
「――で、今の魔法についてもう少し詳しく聞きたいのです。そんなんじゃないなら特殊魔法か何かです? 魔法の奔流が可視化できるレベルで見えるなんて僕は初めてで――」
研究者気質なのか、リーナが俺との距離を詰めながら近寄ってくる。
後ろには扉代わりにもなるような大きな窓が迫っており、開けることでしか逃げられない。
だけど、そんなほのぼのとした様子を見ていたはずのクラスメイトの表情が一気に青褪めた。
「ユージェだ!!」
俺のすぐ後ろ――窓の外に。
赤く目を光らせた、ユージェがいた。
「……これは、どういうことや?」
「うちのクラスには凄腕の回復魔法を使える魔法使いがいたんだよ!」
さっきまでの負けを挽回するかのように、カルシェが威勢よく
「ほぉ……リーナはんやっけ? さすがに感心したわ。冴えるだけありますなぁ」
「僕じゃないです。これをやったのは――」
その指が向いているのは、当然俺だった。
リーナが否定した時点で、ユージェは当たり前のようにこの解を求めていたのだろう。
驚く代わりに興味深い笑みを浮かべた。
「ケルンはん……剣も魔法も使える、万能戦士――どすか」
「俺はそんなんじゃ――」
「ケルンはんはいつもそうや。そんな高尚な存在じゃない、何もできない――きっとそんなことばかり言ってはるんやろ?」
まるで俺のことをずっと見てきたといわんばかりに、自信をもってユージェは俺を推定する。
そしてその予想は、もれなく当たっている。
「だのにこんな魔法を使えるし、ウチとも戦わない――ケルンはん、おのれは一体何なんや?」
「俺は……」
俺は。
その後を紡ぐ言葉を、俺は知らない。
俺は、いったい何なんだ?
「やめてやれよ。クラスメイトだろ?」
そんな俺に、初めて助け船を差し伸べてくれたのはザーシュ先生だった。
ここまで静観を貫いていた。
授業自体が崩壊しても、何も言わなかった先生が初めて生徒に口出しをした。
「リーナもそうだ。本人がそう言ってるんだからそれでいいじゃねぇか」
「……せやな、ここでは結果が全てや。だからこそウチは納得いかんな。戦ってすらくれへんのは、ちょいとばかし不服やで」
「ユージェ、お前は戦うために戦ってるんじゃないんだろ? だったら十分だろ」
「……それもそやな。ほな、ウチは先に教室で待っとるわ。次の授業からはちゃんとクラスメイトやで。皆と友達に慣れて、ウチは嬉しいわ」
そう言って、そのまま保健室の中を突っ切って戻って行ってしまった。
「リーナは納得してないのです」
不服そうに申し立てるリーナは、残念ながらカルシェに回収されてそれ以上俺の力に触れることはなかった。
先生の言葉のお陰で触れることそのものがタブーになってしまった、そんな空気を作り出して。
※
「俺は、強くならなきゃいけないんだ」
2時間目。
あんな惨劇が起こった後も時間は平等に進んでいく。
保健室で何が起こったのか、皆わかっていない。
わかっていないが、分かっていないなりに皆それぞれ自分の中で消化されつつある。
「俺もお前みたいになりたいんだよッ!」
「だから、俺はなんもしてないって……」
解釈の方向を間違えたカルシェが、俺に縋りつくような視線を送りながらも手のひらを握り締める。
「……多分、本当にそう思ってるんだよ」
「ハルナ?」
「転入生、なんでしょ?」
ハルナが俺とカルシェの間に言葉を割り込ませる
「そうだけど……」
「前いたところでは、私たちみたいな技、流行ってた?」
「ペア技を使う人はあんまり見たことなかったかな……」
「――ほら、こういうことだよ」
ハルナはカルシェに向き直る。
先の戦いから、ハルナはずっと項垂れていた。
何かを考えているようなそぶりを見せながら、その瞳の色は濁っていた。
「ペア技も潮時かなって思ってたの」
「いきなりどうしたんだよ!?」
「別に――いきなりってわけじゃないよ。私たちはAクラスにいるけど、他の皆の方が私たちよりずっと強い。ケルン君がまさにそう――私たちとは比較できないくらいに段違いな力を持ってる。それに対して、私たちはペア技を使うっていう物珍しさだけでAクラスにいるんだよ」
「……だから、俺たちは強くならなくちゃいけないんだよ」
「強くなるって、どうやって!? ユージェとの戦いで手も足も出なかった……」
事実を突きつけられ、カルシェは黙り込む。
教室のど真ん中の席に座っているユージェを見上げ、カルシェは睨みつけた。
その視線に気が付いたのか、ユージェはひらひらと手を振って返してくれた。
「強くなるには実力をつけるだけだ――なぁ、ケルン。今度の休み、空いてるか?」
「空いてるけど?」
「ダンジョンに行こうと思うんだ。お前さえよければ付いてきてくれないか? さっきみたいな回復魔法が使えるのなら百人力なんだ――頼む!」
ダンジョン。
ここに来て、耳慣れない言葉だった。
「それ、僕も参加したいのです」
「リーナもか? 回復魔法を使える奴は何人いても大歓迎だぜ」
「気になることがたくさんあるのです!」
意気込むリーナにカルシェ。
一方で、沈痛な面持ちを浮かべたままのハルナは否定も肯定もしなかった。
「俺は暇だから……いいけど」
暇というか、まだこの土地に来て三日しか経っていない。
何が出来て何ができないのかすら分かっていないのだ。
この街をよく知っている人間がそこにいるのなら安心だ、と。
この時の俺はそう考えていたに違いない。