第16話「野戦病院」
結果は、カルシェとハルナとの戦いが終わった時点で見えていた。
だけど、プライドが許さなかったのだろう。
なんでこんな奴が首席なのか。
どうして獣人に上から物を言われなくちゃならないのか。
そんなことを口々に言いながら――Aクラスの皆は果敢に挑んでゆき。
「さて、残ったのはケルンはんと――おのれは?」
「リーナです……」
「リーナはんね。さて、どっちから行く? 同時でもウチはええけど」
死屍累々が転がるグラウンドで、ユージェはにたりと笑う。
連戦にもかかわらず、彼女に疲れは見られない。
というのも、Aクラスの面々は皆自分から果敢に攻撃を仕掛けて、ユージェに往なされるというワンパターンの戦闘を数多く見てきた。
2戦目に戦ったクラスメイトがユージェの出方を待っている間に殺気にやられ、恐怖に苛まれて碌に戦えなかったことが尾を引いているのだろう。
「俺は、別に戦わなくていいかな。理由もないし」
「僕も、戦闘は得意じゃないです」
「おどれら、本当に魔法学院の生徒かいな? 戦ってなんぼの世界やで?」
遠慮がちに言う俺とリーナに興を削がれたのか、ユージェは不貞腐れてから納刀した。
「ウチと友達になろゆーても、皆弱いんよな……そのぶん、ケルンはんには期待してるんやで?」
「俺? そんなに期待されるようなことをした記憶はないが」
「ウチはこの学校に首席で入ったから、少なくとも今ウチより強い可能性がある人っていなかったんや。だけど、ケルンはんは別口やで。だって、転入生やろ? ならウチと同じフィールドで競ってないから実力は分からへんやん」
ユージェが言うことは、少しだけ的外れだ。
魔力を測定して、知識を競ったとしてもそれは強さに直結しない。
だけど――A組の皆は、少なくとも俺が見てきた普通の人より、或いは親衛隊の皆よりも強かった。
そんな彼らを一撃で沈めることができる彼女の言葉には、説得力がある。
「別に他の皆も戦ったってわけじゃないだろうに」
「それでも、たかが知れとるよ。そうじゃなきゃ、ウチを主席にせんやろ? いかに正直な組織とはいえ、剣士が魔術学院の首席て面目丸潰れやん?」
「そういうの全部わかった上でこの学校に入学してきたんだな……」
いつかどっかで刺されるぞ、とユージェの身を案じるが――きっと余計なお世話に違いない。
「ま、いつか戦いたいときがあったら本気出そな? 本気じゃないバトルは意味がないねん。皆は矜持を守るために戦ってくれたけど、ぜ~んぶフラットなケルンはんは戦う意味もないもんな」
ふむふむ、と頷いてから――その視線の矛先は俺の右下へと向かってゆく。
「で、そなたは悔しくあらへんの?」
「悔しいって、何がです?」
「自分が見下してる存在がトップにいることとか、魔法学院を荒らして回っているウチとか、せやな……クラスメイトをボコっていることとか?」
「そんな安い挑発に乗せられて戦う方がよっぽど悔しいです」
「自分がそんな安い挑発に乗ると思われてたこととかはどや?」
「むきー、なんだときさま、そんなことをいうとはゆるせん――とでも言うと思ったんです?」
「ここまで読まれといて流石にそれは無いな」
殺意剥き出しのままユージェはリーナに絡むが、取り付く島もないようだ。
とはいえ、二人の間の空気は最悪だった。
「それに、こんなところでA組ボコってもあんま意味ないしな。もうちょいギャラリーがいるとよかったんやけど……ま、自然と広まるか」
少しだけ赤く染まった草原の真ん中で、吹き荒ぶ風を肌で感じながらユージェは呟いた。
その表情は寂しげでもあり、またどこか悩んでいるようでもあったが、彼女の瞳から闘志が抜けていないことだけは理解できた。
※
「なんで……だよッ!」
「落ち着いて、カルシェ……」
「落ち着いてられるかよ――二人で戦って負けるなんて、それじゃまるで俺たちがアイツよりも弱いってことじゃねぇか……」
野戦病院のようになってしまった保健室で、リーナは回復魔法を掛けて回る。
リーナの得意分野は回復、攻撃に振っていない魔法使いはどこに行っても重宝されるというが、その理由を垣間見たような気がした。
「事実、お前らはあの剣士に対して及ばない点が多すぎるがな……学院に入学した程度の生徒があのレベルに勝てるとも思わん」
そう呟いたのは、ザーシュ先生だった。
ここにユージェはいない。
一人でどこかに行ってしまったが、それを止められる人は誰も居なかった。
「腕が立つという事実だけがこの学園において最も大事な事だ。お前らは相手を見る目が足りない」
「でも……だって、あんなこと言われたら黙ってられないだろ!」
「じゃあなんで最初から無策で挑んだんだ? 皆知っているんだろ? ユージェのことを。自分の魔法なら通用する――Aクラスに選ばれたことで気が大きくなったんだろう? どうだ?」
先生の言葉に、皆返す言葉が内容で。
保健室はただただ静まり返ってしまった。
そんな静けさなんてものともしない、説教を免れた生徒が一人口を挟む。
「そんなこと、どうでもいいのです。とりあえず原状回復が大事なので、暇な人は重傷者から回復魔法を掛けてほしいのです――回復魔法・ハイキュア・ランウェイブコントロール!」
軽傷――どころか無傷だったのは、一番最初に戦ったカルシェとハルナくらいだった。
ハルナに限っては無傷とは言い切れない瞳をしているが、それは魔法ではどうにもならない傷跡なので対処のしようがない。
「ほら、ケルン君もです」
グイっと手を引っ張られ、俺は横たわっている女子生徒の前に立たされる。
二人目の挑戦者がやられてから、リーナの行動は素早かった。
的確に魔法を使い、患部に対して魔法を使いその後の裂傷を押さえ、患部を快方へ向かわせる。
魔法と言えど万能ではない。
回復魔法は難度が高く、それでいてパッとしないという魔法使いを進路として考える生徒に最も選ばれない分野だ。
だからこそ、回復魔法が使えない魔法使いも多い。
俺が知っている限りでは――シーシャが唯一回復魔法を好んで使っていた。
物珍し気に周囲から見られていたが、それでも彼女は自身の道を突き進んだ。
シーシャがいるからあまり考えなくてもいいだろう、という甘い考えが当時の俺たちにはあって。
「回復魔法が得意だから戦わなかったんじゃないんです?」
「そういう訳じゃなくて……」
リーナは今一人の生徒につきっきりだ。
トリアージを経たうえで、最も深い傷を負った男子生徒が一人、そしてそれに次ぐ怪我をした女子生徒が一人いた。
あまりにもハイペースでユージェが倒してしまうので、回復が追いつかなくなっていたのだ。
回復魔法は簡単なものしか使えない。
さっきリーナが使っていた魔法のような詠唱が二段になるような魔法なんて知る由もない。
回復魔法・キュア。
これが俺が使える回復魔法だ。
ただの絆創膏替わりの魔法だ。
プラシーボ効果を疑うレベルの、効果がないともいわれる基礎魔法。
「ないよりはましです、使えるのならそれでいいですから!」
「わ、分かった……」
ずっとつきっきりでリーナは男子生徒を治療している。
保険医も彼につきっきりで、確かに目の前に横たわる彼女は彼に比べれば随分と傷は軽い。
回復魔法はその道のプロにやってもらうのが最も治りが早いとされている。
その人の持つ魔力量や、回復魔法の練度、そしてどれくらい部位を知っているか、その知識の差で治る速度が段違いに変わる。
だからこそ俺は何も動けなかったが――そんな俺ですら頼りにされるほど、状況が悪化していた。
目の前の女子生徒は脇腹を大きく斬られ、そこから出血していた。
一応包帯を巻くことで出血は抑制しているものの、それ以上の措置はしていない。
僅かに耳を澄ませれば聞こえる、か細い彼女の呼吸が無事を証明してくれていた。
本来、生徒同士でこのレベルの傷者は出ないのだが――彼女の傷は彼女自身に責任がある。
先生が勝負ありと言ったにもかかわらず、負けを認めることができずに戦いを続行し――そしてユージェに正面から挑み、負けた。
「傷が脇腹だけだと良いんだけどな……」
魔法を使うとき、手を伸ばす必要は実はない。
そこに魔法を使っているという意思表示に過ぎない。
だから俺は、ただただ傷ついた女子生徒を見て。
「回復魔法・キュア」
小さく、誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。
剣による裂傷は、魔法による攻撃よりも遥かに単純で治療は簡単だ。
これくらいなら俺にも出来るか?
何も分からない。
だけど――脇腹を刺された痛みだけなら、俺にも経験はある。
痛い、息をするごとにその痛みに耐えなければいけない。
克明に思い出される記憶が、頭の中を蝕んでいく。
今は目の前の少女に魔法を使うことだけを考えるべきだ。
――だけど。
「……ケルンさん……ケルンさん……ケルン!」
「――あ、ごめん」
忌々しい記憶に引き摺りこまれようとしていた俺を、リーナが揺らして呼び覚ます。
俺は、立ったまま意識を失っていた、のか?
そんなことはないはずだ。
一瞬目は瞑ったかも知れないが、それだけだ。
「悪い、ちょっと魔法使い慣れてないかもしれないわ」
大量の魔力を使うと、意識が持っていかれることがある。
それは、剣士が剣を振ると体力を持っていかれる現象と同じだ。
魔法使いが魔力を使うと精神力を摩耗する。
回復魔法は特に消耗が激しい。
「何言ってるんですか――やっぱり回復魔法が得意なんですね。僕の見立ては間違ってなかったです」
恐る恐る目を開けると。
はっきりと意識の戻った女子生徒と。
それから――クラスメイトほぼ全員の傷が、塞がっていた。
何が起きたのか理解できていないクラスメイトと俺は、奇跡の一つでも起きたのかと首を傾げる。
傷が治って騒めき立つ保健室内で、隣に座っていたリーナが呟いた。
「全体回復魔法ですか……嘘みたい、です」




