第13話「新しい出会い」
この街に来てもう3日が経つ。
考える間もなく、とんとん拍子で進んでいく新しい生活から切り離されて一人になるのは、この宛がわれた六畳間だけだ。
だけど、今日からは本格的に新しい生活が始まる。
再び制服に袖を通すことになるとは思ってもいなかった。
貴族というだけで、ルーナ家の人間というだけで距離を置かれていたあの頃の学校とは違う。
新しく友達を作って、仲良くやって――何の柵にも縛られない新しい生活を送ろう。
ズボンを履き、ワイシャツのボタンを閉める。
ルーナ島は閉じていたとはいえ、断絶が起きていたわけではない。
他の大陸で起きていた技術だけは着実に入手していた。
自給自足が原則になるため、流行ることはなかったが、文化としての流入は確実に起きていた。
だからか、今の生活にも不便はあまりない。
鞄を持つ。扉を開ける。
いってきますという声は、ベッドくらいしかない小さな部屋には大きすぎる言葉だった。
街はいつも以上に賑わっていた。
白い制服に身を包んだ大量の学生が街に彩りを添えているようだ。
ギルドに寄ることはない、と言われている。
だから俺は、そのまま学校へ向かった。
※
正門には、想像以上の人影があった。
同じ制服に身を包んだ人影をみると、どうしても兵隊を思い浮かべてしまうのはそういう生まれだからだろう。
どうやらクラス分けが張り出されているらしい。
少しだけ見てみるとすぐに見つけられる位置にあった。
俺の名前は転入生だからか一番下にテープで留められていた。
Aクラス。
『ユージェ=リック』。
『ケルン=ムーン』。
噂の彼女と、どうやら同じクラスのようだった。
※
まるで神殿みたいな教室だった。
電子液晶板が教室前方にあり、段差式の座席が教室後方に作られていた。
校門の賑わいに反して、教室は随分と閑散としていた。
最前列に数人、そして最後列に数人座っているだけで、中間列には誰も座っていなかった。だれもが余所余所しく、積極的に交流を持とうとしない新学期一日目に相応しい光景だった。
それもそうだろう――このクラスだけ、人数が圧倒的に少なかった。
問題児が集められたクラスだと解釈するのなら、それも納得がいく。
素性をほぼ明かしていない俺ですら入学できる学校だ、他の生徒にどんな事情があろうと、納得できるだろう。
「初めて見る顔だな」
教室を見渡していると、最前列に座っていた男子から声が掛けられた。
さもこの教室にいる全員が顔見知りだとでも言いたげな言葉だった。
「えっと、よろしく」
「おう、よろしく。珍しいな~お前」
どこかひりついた教室の雰囲気をバックに、男子生徒は握手を求めてくる。
差し出された手を受け取って、笑顔で返した。
「握手に応じてくれたのは初めてだぜ……俺は嬉しいよ」
「転入生でしょ、知らないけど」
二つくらい離れた席に座る金髪の女子生徒が一瞬だけ俺を見て、そっぽを向いた。
俺を見たくないというよりは、窓の外の景色の方がまだ興味があると言ったようだった。
「握手するたびに魔力吸ってくのよ、コイツ」
「ちょっとしたイタズラだって、な?」
悪気はなさそうに男子生徒が俺の手を放す。
魔力を吸われる、というのはどういう感覚なのか、残念ながら実感はなかった。
「転入生だっけ? 四月に転校してくるとか、やるじゃん」
「つい昨日まで入学するかどうかも考えてなかったんだけどね……」
俺の言葉に、ほんの少しだけ空気がどよめいた。
どうしてどよめいたのかは、俺には分からない。
「まぁ、なんだ。よろしく。俺はカルシェ、でコイツは」
「近づいてくんなバカ。私はハルナ。これからしばらく同じクラスだろうしね――一応挨拶くらいはしておくわ」
「俺はケルン=ムーン。二人とも知り合い?」
「まぁ、そうね。腐れ縁ってところかしら。私はコイツと知り合いだったことで一つもいいことなかったから、本当はそうじゃないって言いたいんだけどね……」
「ハルナはこれでも一応、今までトップ以外取ったこと無かったからな! 自慢の幼馴染だぜ」
「その言い方やめろって言ったでしょバカ!」
少なくとも、二人の仲は悪いわけではないようだ。
どちらかというと、良い方なのかもしれない。
「――で、噂の最強さんとやらはいつ来るんだよ?」
その言葉と共に、教室中のひりつき具合が一層加速する。
ギルド長が言うには、ユージェは同じ学校の人間を次々と倒して『最強』の名前を欲しいままにしたんだそうだ。
だからこそ、この空気は彼女に対する警戒心の表れなのかもしれない。
「その、最強って何なんです?」
一方で、知らない人もいるようだ。
クラスの最上段に座っていた少女が声を掛けてきた。
制服もダボダボで、最小サイズですら合わなかったのだろう。
シャミーが履けばミニスカートになりそうなのに、立派なロングスカートと化している。
「この学校の新入生に最強の剣士が来たんだってさ」
誰も話そうとしないので、代わりに俺が知っている情報を話す。
どうやら知らなかったのは小柄な少女だけらしい。
他のクラスメイトは興味なさそうにしている。
「へぇ~……それは物騒ですね」
「なんでだよ! 面白そうじゃん! こんなわくわくするイベントが入学初日から起こるとなると俺ワクワクするぜ!」
カルシェが歓びの雄叫びを上げようとしたところで、ハルナが口を塞いだ。
それでも漏れる空気圧は、カルシェの異常なまでの肺活量の表れか。
「まったく……そんなんだからいっつもモンスターにボッコボコにされるのよ。『猪突猛進で無策に突っ込んでいくからお前に剣は渡せない』って言われたのもう忘れたの?」
「そんなの随分前のことだろ? 俺はあれから随分変わったんだぜ! 襲い掛かってきた奴は全員返り討ちにしてやるよぉ! なんなら俺から向かってやるぜ!」
「何にも変わってないじゃない……」
呆れるハルナに、猛るカルシェ。
そんな二人を眺めながら、小柄な少女はてくてくと最上段から中央階段を下ってきた。
よく見ると首元にゴムが巻き付いており、死角となっていたその背後にはとんがり帽子が提げられていた。片手には杖が握られており、魔法使いだということが一目で分かるシルエットをしている。
「よろしくなのです。僕はリーナ。気軽にリーナと呼んで欲しいのです」
ちょこんと俺の座っている席の隣に、身を乗り出すようにして座った。
そうでもしないと座高が足りないので座っているようには見えないからだろう。
「他の人が殺気づいているのは知っていたのですが、そんな事情だとは……てっきり今日の大事件と関係することだと思っていたのです」
「今日の大事件は今から起こるんだぜ?」
ユージェが自分たちを襲いに来ると疑わないカルシェが、ポケットから杖を取り出す。
杖にもかかわらず剣のように素振りするその姿は、とてもではないが魔法使いではなかった。
「……冗談じゃなくて、本当に知らないんですか?」
「何がだよ?」
カルシェが疑問符を湛えてリーナに尋ねる。
とても今朝はニュースに触れる時間なんて無かったので、そんなニュースがあったことは俺も知らない。
とはいえ、何かがあれば街中が騒がしいはずだが――。
いや、賑わっていた。
いつも以上に、街に喧騒が溢れていた。
それは、ただただ学生が今日から活動を始めただけ。
それは一つの事件と言っても過言ではないだろう。
だけど、リーナの口調は明らかにそれではなかった。
「今朝未明、墜ちたらしいんですよ」
ぽつりと呟くようなリーナの言葉に、俺の肌は粟立つ。
墜ちた。その言葉の響きを俺は知っている。
だけど、それは。
もう終わった過去の出来事。
新生活とは切り離された、物語の終わり。
――急に、目が覚めたような感覚に見舞われた。
目が覚めたというよりは、むしろ逆だ。
悪夢に引き戻されたような――そんな言葉だった。
「伝説の浮島ルーナ島……千年の沈黙を守った島が、クラーケンの棲む海域に着水したみたいです」